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パンデミックの記憶の風化(1)(2024)

パンデミックの記憶の風化
Saven Satow
Feb. 23, 2024

「面接では『今年はどういう年か』『紀元は二千六百年、めでたい年です』『なぜめでたいか』『こんなに長く続いた国はありません』と、模範答案どおりに進行。ところが、『二千六百年より二千六百一年がもっとめでたいことになるが』という奇妙な反論。あ、模範答案ばかりで試験官はうんざりしてるなと覚《さと》ったのがかしこいところ。ところ。『そりゃ、これからどんどんめでたくなりますが、いつもめでたがっているわけにもいかぬので、ちょっきりのときにお祝いするよりないでしょ』と言ったら受けた」。
森毅『自由を生きる』

1 アルベール・カミュの『ペスト』とスペインかぜ
 アルベール・カミュの『ペスト』はペストのエピデミックを扱っている。けれども、1947年に発表されたこの小説はスペインかぜの経験をあまり踏まえていない。確かに、都市封鎖を始め新型コロナウイルス感染症をめぐる状況と共通点も認められる。うまくこしらえているように見えるが、スペインかぜの際に出現した特異な社会的行動は描かれていない。感染症の大流行は正常な現実検討能力を損ねる。作者は1913年生まれなので、1918年から20年までのパンデミックの記憶はあまりないかもしれない。流行にも波があり、地域差もあるから、幼いカミュがどれほどの体験をしていたのかはっきりしたことはわからない。ただ、1913年から47年までの間で、最も広範囲に極めて深刻な被害をもたらした感染症の流行はスペインかぜである。にもかかわらず、『ペスト』にその影響を見出すことは困難だ。

 なるほどペストはヨーロッパ人に忌まわしい記憶を想起させる感染症である。三度のパンデミックは欧州に甚大な被害をもたらしている。そうした歴史もあり、、1910年に満州と呼ばれた中国東北部で発生したペストの流行のニュースは、遠く離れているにもかかわらず、ヨーロッパ人に恐怖を与えている。しかし、20世紀半ばにおける最も鮮烈で衝撃的なパンデミックの記憶はスペインかぜである。作品の都合上、カミュはペストを選んだと思われるが、描写の際にスペインかぜの経験が生かされていないのは奇妙である。満州で流行したペストは肺ペストで、個人予防具としてのマスクの確立につながっている。これはスペインかぜの時に社会的に利用が定着する。

 『ペスト』は1940年代のアルジェリア西部のオラン市を舞台にしている。感染力が強く、致死率が高いペストの発生が確認されたことで当局は都市封鎖を実施する。重要な登場人物は街を脱出してパリの恋人の元に帰ろうとする記者ランベール、行政に予防措置の強化を要求し、現場で治療に取り組む意思の医師リウーである。ただ、この記者はその自覚に欠け、自分の置かれた状況で記事を書くというできることを十分にしていない人物である。一方、医師の方は「市民が死滅させられる危険がないかのごとくふるまうべきではない」と行政に専門家として直言、自身の職業に対する自覚がある。

 『ペスト』において最も中核として捉えられる部分がランベールとリウー、保健隊を率いるタルーとの会話のシーンである。ランベールは、スペイン内戦を経験したため、感情に裏打ちされないイデオロギーに基づくヒロイズムに反発を覚える。そんな彼はリウーの献身的な姿勢にもうさん臭さを覚えている。

『ペスト』において最も知られているのは次の対話である。

「今回の災厄では、ヒロイズムは問題じゃないんです。問題は、誠実さということです。こんな考えは笑われるかもしれないが、ペストと戦う唯一の方法は、誠実さです」
「誠実さって、どういうことです?」とランベールは急に真剣な顔になって尋ねた。
「一般的にはどういうことか知りません。しかし、私の場合は、自分の仕事を果たすことだと思っています」

 カミュはこの小説においてペストの流行を戦争のアナロジーとして捉えている。彼の関心は理想と現実の乖離、それを正当化しようとする偽善を非難することだ。作者は、そのためエピデミックの中でそうした倒錯に囚われず、自分の仕事に専心する医師に好意的である。ただ、これは感染症の流行という設定でなくても成り立つ。

 満州での肺ペストの流行により、この感染症に関する知識が更新される。従来の流行を引き起こした腺ペストはヒト=ヒト感染をしない。ところが、肺ペストは患者から飛沫感染する。それはスペインかぜの予防策にも通じる。ペストのエピデミックの際にもそれが生かされるはずだが、そうした記述が希薄である。

 興味深いのは、作者の関心はともかく、『ペスト』がスペインかぜの情報に必ずしも基づいていないことを読者からあまり指摘されていないことである。彼らの中にはパンデミックの経験を持つ人も少なくないに違いない。それによって大切な人をなくしたり、自身も感染して苦しんだりした人もいるだろう。社会的経験だったはずなのに、実際のパンデミックを十分に踏襲せずにエピデミックを描いた作品への違和感が読者からさほど示されていないように思われる。

 『ペスト』がパンデミックのリアリティを十分持っていないことは近年の日本での需要からも理解できる。新型コロナウイルス感染症が中国で流行していると報道量が増えた頃、『ペスト』が日本で売れているとニュースになっている。

 NHKは、2020年4月8日 20時46分配信「カミュの『ペスト』累計100万部突破 新型コロナ拡大で再び注目」において、それを次のように伝えている。

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、感染症の広がる社会を舞台にしたフランスの作家、カミュのおよそ70年前の小説『ペスト』に再び注目が集まり、日本国内の文庫版はこの2か月で15万部余りが増刷されて、累計発行部数が100万部を突破しました。
『ペスト』はフランスのノーベル文学賞作家、アルベール・カミュが1947年に発表した長編小説で、ペストの感染が広がって外部と遮断された社会の中で感染症という見えない敵と闘う市民の姿を描いています。
日本では1969年から文庫版が刊行されていますが、版元の新潮社によりますと、新型コロナウイルスの感染拡大以降、書店からの注文が急増していて、ことし2月から今月7日までに7回、合わせて15万4000部が増刷され、累計発行部数は104万部に達したということです。
ここ20年ほどは平均で年間5000部ほどの増刷ペースだったということで、この2か月でこれまでの30年分に当たる増刷が行われた計算になります。
小説には感染拡大による行政や経済の混乱や、封鎖された都市を描写した「それは自宅への流刑であった」という表現など、今の状況にも通じる描写が見られ、再び注目が集まる理由について新潮社は「突然降りかかった災厄や大きな困難に直面したときに、人間はどう振るまい、いかに生きるべきかを問いかけているからではないか」と分析しています。

 NHKは同年4月に Eテレで『100分de名著 カミュ“ペスト”』を全4回一挙放送している。こうした話題もあって、2020年上半期に小説は大変な売れ行きを記録する。ところが、日本でも流行が本格化すると、こういった反応はメディアから消える。それに代わり、後に述べる通り、メディアはスペインかぜをめぐる当時の状況を発掘し始める。『ペスト』は、実際にパンデミックを経験すると、リアリティがなく、その中で生きる人々に十分な示唆を与えない。海の向こうで流行している時、その状況を想像するのには助けになっても、体験を通して読むと違和感を覚える。

 感染症の予防策の基盤は公衆衛生である。近代では政府がそれを整備し、前近代の感染症の大流行と違い、人口の4分の1や3分の1が犠牲になるような事態は起きていない。しかし、作家が架空のパンデミックを描く際、感染力と毒性の強い病原体を登場させる。それにより世界を単純化でき、小説家は自分のテーマを描きやすくなる。けれども、前近代と比べて死亡率の低い20世紀のパンデミックは社会的影響が広範囲かつ複雑に現れる。それは個人の想像力をはるかに超える。架空の感染症流行の小説がパンデミック体験者にリアリティを感じさせないのは社会的影響の単純さである。

 カミュの『ペスト』はスペインかぜの情報を十分に踏まえていない。加えて、当時の読者もその記憶を忘れている。それはパンデミックの経験が社会的に継承されず、風化したことを意味する。

 1918年から3年に亘って世界的にスペインかぜが流行する。全世界で発病者数5億人、2000万人から4000万人、研究者によっては1億人以上が犠牲になったとされ、第一次世界大戦の死者2000万人前後を上回る。なお、第二次世界大戦の戦没者数は5000万人から8500万人とされている。世界大戦との比較に相当する死者数を記録したパンデミックでありながら、その記憶が社会的に共有され、後世に伝わっていない。これは奇妙な事態である。おそらくそれには理由がある。

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