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グッドモーニング,レボリューション(9)(2014)

9 グローバル化とイノベーション
 途上国にとって、グローバリゼーション経済成長のチャンスでもあるんです。世界的なサプライ・チェーンに入れば、経済成長の期待ができます。グローバリゼーションは世界の均質化を目指しているって言われてるけど、もしそうなったら、資本主義はもたない。例えば、日本だと、安い人件費を求めて、中国に工場柄お立てたり、正社員じゃなくて派遣やパートを採用してる、ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター教授は経済の発展にイノベーションを重視したけど、各企業にすれば、グローバル化やIT化で輸送費や通信費が下がれば、固定費の人件費の負担が大きいでしょ?ローザ・ルクセンブルク(Rosa Luxemburg)というポーランド出身の美しく聡明なマルクス主義者は、『資本蓄積論(Die Akkumulation des Kapitals)』(一九一三)で、資本主義体制の成長には非資本主義的生産の領域への拡張が欠かせないと指摘したんです。これは当時の指導的マルクス主義者から非難されたけど、すごく現代的。資本主義社会の崩壊は内部的矛盾ではなくて、国際的な戦争や植民地の解放闘争にあるというわけ。

 カール・マルクスは資本主義社会の内部的矛盾に耐えきれなくなったプロレタリアートが革命を起こして、それをぶっ壊すと考えたけど、現代世界を読み解くのには彼女のテキストは刺激的だよ。イノベーションだけじゃ、カバーできない。労働集約的なサービス業とかね。イノベーションと人手が反比例するケースも少なくありません。イノベーションが進んで、驚異的な演算処理能力を備えたゲーム機が登場した結果、ゲーム・ソフトの開発では、逆に、これまで以上に人手が必要になっています。日本企業では、生産の拠点を海外に移しているのは珍しくないで好けども、中には、東証一部上場企業の中にも、研究開発・販売・サービスは国内でやってても、生産はすべて海外なんてとこもあります。

 イノベーションってのは新結合。ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターによればね。それは、要するに、エントロピー増大。乱雑になれば、新しい結合が生まれるからね。だから、エントロピーが増大するとも言える。ま、イノベーション論も、シュンペーター型じゃなくて、アロー型ってのもあるけど、詳しくは自分で調べて。シュンペーターはこれからも示唆を与えると思うよ。

 ちょっと前の話、そうね、10年前とか数年前とかの話をを今回してるけど、何でしてるかと言うと、結構忘れてるからですね。少し前にどうだったかを忘れて今を考えてしまうことが多い。それをですね、でも、思い出すと、今が見えてくるものです、もとね。だって、今はその少し前が合っていまなんですから。あの時はそう思ってたな、それが直線的に続くと思ってたな、でもそうならなかったのはどうしてかな、とかね。記憶から考えるために、つまり記憶を考えるためじゃなくて、話してるんですね。次もそういうちょっと前の話です。

 ある企業のトップが何年か前に言ってたんですが、中国とインド、それにインドネシアに工場を構えていれば、あと五〇年は人件費に関して心配する必要はないそうです。中国で事業展開していると、なるほど、上の方は、昔自転車で通勤していたのが、バイクになり、今では車だけども、全従業員の九割を占めてるのは、いわゆる労働者、ワーカーです。しかも、そのほとんどは二〇歳前後の女性なんです。こういう人たちというのは貧しい地域からの出稼ぎで、まあ長くいれば給料をあげることになるんですけど、そういうとこは考えが保守的と言うか、伝統的ですから、女性はさっさと結婚しなきゃいけないんで、四年もすると郷里に帰って、結婚しちゃうんです。その地域が豊かになれば、まだ貧しいとこから募集するんで、だから、一〇年以上も初任給をあげていないとその幹部は言うわけよ。そうねえ、搾取だよねえ、考えてみれば。マルクスは正しい。でも、中国はインフレがすごいからねえ。人件費も上がってるよね。農村と都市を始め格差も拡大してる。みとしもまた変わってると思うよ、そのトップの人もさ。

 そうそう、そのトップ、こんなことも言ってます。中国に進出する時、中国共産党の幹部と知り合いになるとうまくいくらしい。こっちは材料や機械、ノウハウを提供するから、そっちから土地と工場、労働者を用意してくれとタイアップすると円滑にいくようなんですよねえ。ちなみに、古くなって、日本企業がいなくなった工場は地元の企業にレンタルするんで、損はないらしい。中国での日本企業の成功の理由は、たんに人件費に安さだけじゃないんです、実は。経営の現地化です。結構、経営を現地の人に任せてるんですわ。

 ただね、ちょっと耳の穴かっぽじってよーく聞いて欲しいんだけど、こういう体験や実感に基づく解説をそのまま鵜呑みにしてはいけない。ボトムアップの知識だから、全体像が見えた上で、それがどう位置づけられるのかが欠けているからね。一般向けの書籍や新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどもボトムアップの知識を伝えることが多いね。全体像を捉えるために、アカデミズムの専門書を読んで、トップダウンの知識を習得する必要がある。トップダウンの知識があると、完全な情報がなくても、推測や修正ができる。でも、トップダウンの知識は習得が難しいと、一般的にわりにやりたがらない。でも、ボトムアップの知識だけだと、全体像がつかめないので。思いこみと思いつきで認識の隙間を埋め。恣意的な理解になってしまう。そもっとも、読者も作者もそうなら、そんな本が売れるけどね。だけどね、理解を確かにするためには、トップダウンとボトムアップの両方の知識が要る。もっともね、何年か前に読んだ経営学の専門書に、中小企業の定義の一つとして「経営者の個性が強い」と真っ先に挙がっていたのには笑ったけどね。確かに、中小企業の社長は個性強いわ。

 八〇年代は生産の現地化で、そこまで要ると思っていませんでした。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」で傲慢になっちゃって、日本式が正しいと、アメリカとか東南アジアとか韓国とか、進出先に押しつて反発を招いて、結局、撤退になっちゃったってことが多かったんです。その苦い経験が生きてるってわけ。現地に同化して、愛される企業にならなきゃいけないと思いだしたんですなあ。これは日本企業だけでなく、世界的な傾向です。つまり、資本主義は均質ではない外部を求めて、内在化していってるってわけ。世界が均質化したら、どうすんの?EU憲法への批准反対なんか膜の時代だから起きてるってこと。確かに、ニューヨークやロンドン、東京のように、都市はエスニック化した小社会の連合体。固定化しちゃうわけよ。やっぱり。この系は開かれていて、非平衡でしかない。

 バブルかあ。バブルの時、結局、流行んなかったけど、ラテンのダンスが紹介されて話題になりまして。男女が身体を密着させるんです。そういう曲です。カオマ(Kaoma)で『ランバダ(Lsmbada)』。

Chorando se foi quem um dia só me fez chorar
Chorando se foi quem um dia só me fez chorar
Chorando estará, ao lembrar de um amor
Que um dia não soube cuidar

Chorando estará, ao lembrar de um amor
Que um dia não soube cuidar
A recordação vai estar com ele aonde for
A recordação vai estar pra sempre aonde for

Dança, sol e mar, guardarei no olhar
O amor faz perder encontrar
Lambando estarei ao lembrar que este amor
Por um dia um instante foi rei

A recordação vai estar com ele aonde for
A recordação vai estar pra sempre aonde for
Chorando estará ao lembrar de um amor
Que um dia não soube cuidar

Canção riso e dor melodia de amor
Um momento que fica no ar
Ay, ay, losenta lambada
Dancando Lambada

 ヒスパニックな感じで、ちょっと憂いがあるでしょ?で、どんな感じの踊りかは、どうぞYouTubeで確認してみてください。


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