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社会認識と文学(2012)

社会認識と文学
Saven Satow
Feb. 29, 2012

「豊かな日本に育った世代が、気分よく暮らすことを、生活のメジャーにしている現象を描いている小説であった。けれども、残念ながら、そうした青春小説は、僕が留年するまで、現われてこなかった。『ならば、僕が、そうした小説を書いてみよう。感覚で行動する世代が登場していることを。何も、小説ってのは、ピカピカにみがかれて、ガラスの箱の中に入っている芸術品である必要は、ないのだから』」。
田中康夫『著者ノート「なんとなく、クリスタル」を書いた頃』

 1979年、ハーバード大学教授エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を刊行する。これは日本から学ぶべきところがあるというアメリカ社会への提言だったのだが、このタイトルが一人歩きを始め、80年代の日本を象徴するフレーズとして定着する。

 二度目のオイル・ショックを無難に切り抜けた日本経済は、80年代に入ると、不況にあえぐ諸外国を尻目に、ほぼ一人勝ちの状態を迎える。自動車やエレクトロニクス、家電を始めとして製造業が広い分野で強い国際競争力を保持する。80年代はまさに日本の時代だったと言ってよい。

 80年代は文学シーンも活気づいている。散文フィクションだけを見ても、1980年に田中康夫が『なんとなく、クリスタル』を発表したのを皮切りに、続々と革新的で挑戦的な作家が登場する。脱制度化・多様化・相対化を志向する彼らは「ポストモダン文学」と総称される。また、従前の文学者も意気軒昂で意欲的に作品を表わしている。そうした新旧世代間を始めとして文学論議が盛んに行われている。

 80年代が終わり、バブル経済が崩壊すると、日本経済は長期不況に陥る。製造業のさまざまな分野で次第に国際競争力を失っていく。80年代にあれほど激しく燃え上がった半導体分野の日米貿易摩擦だったが、92年には日本はアメリカに再び抜かれてしまう。90年代を「迷える10年」となっていく。

 こう考えると、80年代は天国、90年代は地獄と明瞭なコントラストによって印象づけられる。しばしば沸き起こる80年代への郷愁もここに由来する。けれども、実態を調べてみると、こうした実感が浅はかだということが明らかになる。

 確かに、80年代の日本の製造業は強い国際競争力を持っていたが、それらはキャッチアップ型で占められている。リバース・エンジニアリングの涙ぐましい努力は認めるが、欧米を中心に開発された技術を応用して、利益につなげる後発国の利点を生かしたものである。

 一方、90年代、日本の製造業が多くの分野で国際競争力を徐々に失いながらも、液晶パネルや大型テレビ、光ディスクなど日本発のオリジナル技術が市場に投入されている。明治以来のキャッチアップからフロント・ランナーへと脱却している。ただ、それと同時に、日本企業は、初めて、そのつらさを味わうことになる。

 日本企業はアーキテクチャ、すなわち設計の基本構造がインテグラル型、すなわちすり合せ型が強い。独自製品はそうした製造法から創造されたが、価格が高価で、一般に普及しない。アーキテクチャをモジュラー型、すなわち組み立て型にすると、多くの企業が参入できるため、競争によって価格が下がる。アーキテクチャのモジュラー化を進める必要がある。促進すると、安い人件費を武器に新興国企業が加わり、新技術は一般に普及し始める。けれども、せっかく技術革新の努力をしたのに、当の日本企業にとっては得られる利益が目減りしてしまう。米国のIT大手がやるように、商品サイクルを短くして新製品を市場へ次々に投入する方法もあるが、日本企業はそれを採用していない。

 新興国の追い上げにより、電機大手は、90年代以降、国際競争力を低落させる。実は、完成品がモジュラー型だとしても、階層構造を下げると、部品や材料、その製造機械がインテグラル型が多数含まれている。ハード・ディスクを読み取るリーダーがその一例である。完成品を販売する大手は厳しくても、下のレイヤーを担当する中小企業は依然として国際競争力を維持している。韓国製品が世界市場で売れるほど、対日貿易の赤字が膨らむ現象はこうした状況に起因する。

 現在も、事実上、90年代の延長線上にある。新興国のような成長は望めないが、日本独自のオリジナル技術が世界を席巻する可能性は高い。

 さて、その90年代に出版業も、製造業同様、不況に陥っている。しかし、製造業と違い、日本発のオリジナル文学が登場した様子はない。

 明治以降、日本の文学者は西洋から近代思想・文学を輸入し、実情に合わせて、変更している。中でも、近代社会を描くために生まれた近代小説の導入には苦心している。日本近代文学の歴史は、製造業と同じように、キャッチアップが中心だったと言ってよい。80年代の文学にもポスト構造主義が大きな影響を与えている。90年代に入ると、思想の輸入が滞る。ここからオリジナル文学が誕生すると思いきや、まったく惨憺たる状況である。

 期待の新人も現われ、話題作も生まれている。また、村上春樹を始め多くの作品が外国語に翻訳され、海外でも広く知られるようになっている。しかし、それだけのことである。新たな方法論を携えた作家が登場し、それを諸外国の文学者が模倣したり、とり入れたりした形跡は見当たらない。90年代の文学の模様を眺めると、ただ作品が点在しているといった印象である。従来の文学上の日本語を相対化する非ネイティブ・スピーカーによる創作を除くと、これといった課題さえ日本文学には現われていない。

 言葉の壁のせいではない。もし独創的な方法論を持った作品があれば、翻訳を待つまでもなく、それを諸外国の文学者が援用するだろう。方法論は異言語間でも共有可能である。エンジニアリングと同じだ。逆に言うと、いくら翻訳数が増えても、それを備えていなければ、作品は模倣されない。

 明らかに参考の対象となったのは、90年代の作品ではなく、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』である。日本滞在経験のあるダグラス・クープランドは、1991年、小説『ジェネレーションX』を発表する。この作品の構成は見開きの一方のページに本文、もう一方に註という『なんとなく、クリスタル』とそっくりである。おまけに、末尾の人口動態に関する統計の添付まで同じである。ほとんどリメークだ。『なんとなく、クリスタル』からの強い影響を認めるクープランドは、この小説のあとがきで、「ジェネレーションX」をアメリカ版「新人類」だと告げている。なお、この「ジェネレーションX」は80年代に公民権を獲得した世代を指す名称として米国で定着している。バラク・オバマは初のジェネレーションXの大統領である。

 『なんとなく、クリスタル』は非常に明確な方法論を有している。田中康夫は青春小説の形式を採用する。主に大学生を主人公とする青春小説は日本近代文学の伝統的なジャンルの一つである。時代の鑑とさえ見なされる。田中康夫は、その由緒正しいフォーマットを使いつつ、新たな修辞法で作品を構築する。こうすると、そのジャンルの前提としてきた社会的風景が変容したことが明確になる。

 田中康夫の描く主人公の女子大生は消費者である。それまでの青春小説の主人公は、たいてい、悩みを抱えた学歴エリートである。若者は、中には、富豪の子息もいたが、それは非常に少数で、貧乏と相場が決まっている。しかし、80年代に日本は豊かな社会に入り、若者が近代日本史上初めて先進的な消費者として台頭する。

 作品の舞台の「1980年東京」、すなわち現代は消費社会である。すべては消費の対象という点で「等価」である。商品であるなら、それらはカタログに掲載することができる。そこでは、商品に関する説明やコメントも必要だ。しかし、この消費社会は現在の人口動態によって支えられている。今後、少子高齢化が急速に進むと予想され、社会は新マルサス主義に応じて変容せざるを得ない。このような社会認識があの作品の重層的な方法論を導き出している。

 『なんとなく、クリスタル』の新しさの一つは、人口動態に言及しているように、現在が過去のみならず、未来にも規定されていることを明確化した点である。未来の人口は現在に依存する。将来の状況を織りこみ、逆算して今を考えなければならない。今日、さまざまな将来予測を前提に、政治・経済・社会の各領域で活動が営まれている。けれども、1980年当時、マルサスのロジスティック・モデル、すなわちy’=kyを念頭に置いた文学作品は他になかったし、世間も概して将来に楽観的である。

 実は、近過去を舞台にした場合、この未来からの制約を無視できる。1984年にしろ、昭和63年にしろ、それは現在から顧みられる。未来が現在を規定する方法を使わなくてすむ。もし近過去をめぐる小説を見かけたら、『なんとなく、クリスタル』が切り開いた新たな文学的地平からの後退だと思ってまず間違いない。

 なぜ文学は90年代に製造業のような脱皮を遂げられなかったのかという疑問がわく。それはおそらく社会認識についての姿勢の違いにあるように思われる。

 日本の製造業は、80年代から90年代へと至る間に、認識の転換を経験している。キャッチアップであれば、目標がはっきりしている。一方、フロント・ランナーは世界の情勢について認識しなければならない。市場動向や世界の産業編成、国際競争力などに常に気を配り、そうした地図上の自分の位置を確認しておく必要がある。

 『なんとなく、クリスタル』以降、社会認識に基づく方法論を明確に示した作品はあまり見当たらない。なんでもありのポストモダン状況を経て、90年代、文学者は何をしていいのかがわからなくなってしまう。アイロニカルな恣意が溢れ、作品はその場限りの座興として次から次へと現われては消えていく。作者は、他者から見れば矛盾しているように思えても、自分の中では一貫性があると主張する。しかし、それは不安によって失いがちになる心のバランスを保とうとする自己防衛策である。そうして自意識は社会に対して優位さを確保する。東西冷戦の終結、バブル経済の崩壊と平成不況、各種のグローバル化の進展により社会はめまぐるしく変化している。不確実で曖昧な雰囲気が不安を助長する。

 方法論で重要なのはどう描く以前に、いかに社会を認識するかである。現代社会についての定義が決まれば、その問題解決の選択肢も決定できる。現代社会は複雑であり、実態と実感がずれていることは往々にある。実態と実感を弁証法的に検討していくことで、社会への認識が深まる。現代社会像をさまざまな理論が提起している。それは大いに参考になる。ただ、自らの恣意を正当化するためのつまみ食いとして利用するだけでは十分ではない。社会に関して何を理解しているだろうかと自問し、何をわからないのかと疑問に思い、その上で自分と比較しつつ他者の意見や見方を論じて批判する。

 こうした作業をしないと、社会をどのように捉えていいのかわからないから、書くべき内容が定まらない、あるいは何を書いていいのか思い浮かばないことになる。社会に対する不安があるので、それを埋めるように書き始める。中身は二の次にされる。

 90年代を経て21世紀を迎えても、文学シーンは方法論において特に変化はない。2000年代の後半に入って、素朴に受容された新自由主義への反発の他に、80年代への懐かしさが強まっている。

 80年代への無邪気な郷愁がそれを経験した文学者の間に生まれ、遅れてきたポストモダン文学者の登場を待ち望む。そんな空気を察した作家が現われると、彼らは気恥ずかしさも覚えず、拍手喝采で歓迎する。手段であったはずのポストモダン的手法が自己目的化していても気に留めない。小説に多くの註が付記されたとして、『なんとなく、クリスタル』と違い、それは社会認識の表象でもない。80年代は東西冷戦と右肩上がりの経済成長という強固な基盤に立脚している。そうした現実に依存して何でもありと思っていたにすぎない。80年代の意義を踏まえて、その限界と課題を乗り越える新たな展開が必要だというのに、文学にはそんな自己陶冶など微塵もない。

 一例を挙げよう。ポストモダン文学以来、「横断」や「越境」が肯定的な概念として文学者の間で使われている。70年代、アカデミズムの各分野において、独立した体系の行き詰まりが目立ち始め、学際的研究が本格化する。横断や越境はこうした状況が求めた手段であって、目的ではない。それ自体に特別の価値があるわけではない。その一方で、各分野で専門化・細分化・高度化も進む。学際化が進展するほど、他領域に関する知識も必要となるが、その学習はきりがない。また、特定分野の成果を一般化するには、アイデンティティを維持しつつも、汎用性が必須だが、次々に登場する用語・方法の標準化の課題もある。今日のアカデミズムでは、学際化=横断・越境は常態化していて、むしろ、協同の困難さの克服に主眼が移っている。依然として「横断」や「越境」とほめそやしている文学者がこうした現実と向き合っているとはとても言えない。

 3・11に直面した際、人々が思い出した散文は吉村昭の『三陸海岸大津波』である。40年以上前に書かれ、半ば忘れられていた作品が読み返される。一方で、90年代以降の作品は、漠然とした空気に向けられたものであり、とてつもない破壊など想定していない。そこに見られる自意識の優位は心理的操作によって得られたにすぎない。3・11を経験している社会において、何でもありや近過去を素朴に扱う文学はお呼びでない。

 2011年3月11日以来、日本社会では過去と現在と未来が錯綜している。現在は過去に規定され、未来によって縛られている。また、過去を清算しなければ、未来を描けないし、それが決まらなければ、現在が動けない。制御と予測の入り組んだ弁証法が現在を支配する。抽象的な話ではない。いつ終わるとも知れぬフクシマの惨状がこれを端的に示している。

 今、無数のシナリオが提案され、多くの可能社会が用意されている。しかし、それらは一つまた一つとさまざまな理由によって淘汰されていく。一つが落ちれば、それに続く選択肢も外される。けれども、ただ消え去るわけではない。それらは記録や記憶の中に生き残る。ある社会像が現実として選ばれるが、あくまで暫定的である。何らかの事情によって記録や記憶の中の別の社会が復活してくるだろう。

 3・11下の文学は、おそらく、こうした社会認識とそれが必要とする方法論を体現したものである。3・11は、日本のみならず、近代世界が経験した初めての事態の一つである。それを捉えるには、輸入品を待ったり、既製品を当てはめたりしていては不十分である。3・11に当事者意識を持って臨むならば、日本発のオリジナル文学が生まれざるを得ない。少なくとも、それが今生きている文学の責務である。
〈了〉
参照文献
田中康夫、『なんとなく、クリスタル』、河出文庫、1983年
ダグラス・クープランド、『ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち』、黒丸尚訳、角川文庫、1995年

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