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外交政策が失敗する理由(2018)

外交政策が失敗する理由
Saven Satow
Sep. 30, 2018

「正直は最良の外交政策である」。
オットー・フォン・ビスマルク

 「地球儀を俯瞰する外交」と豪語したものの、安倍晋三首相は外交において成果をろくに挙げていないことがようやく世論にも認知されてきている。「外交」ではなく、「観光」や「社交」との揶揄もある。これだけの長期政権でありながら、外交成果があまりに乏しい。それは尋常ではない。

 確かに、外交政策はしばしば誤る。その理由をめぐる考察は、政治学のみならず、社会学や経済学、心理学の方法を用いても進められている。具体的事例の分析を通じて示されており、外交の失敗の原因は一つではない。代表的モデルを説明しよう。

 まず、社会学者のロバート・K・マートン(Robert King Merton)が提唱した「予言の自己実現(Self-fulfilling Prophecy)」に基づくモデルである。先入観を持って対峙すると、相手の反応を見ても、それを確証するように理解してしまう。

 各国は、通常、相手国と対立を前提に接する。いかに友好国同士であったとしても、分野によっては対立状態にあることが少なくない。外交担当者は自らの手の内をできる限り隠し、相手の手の内を可能な限り入手しようとする。外交では、そのため、情報が非対称であり、不十分な状態で当局は政治的判断をしなければならない。そうなると、最悪の事態を想定した上で、当局は行動を採用せざるを得ない。相手も同様の情況にあるので、同じ姿勢をとる。

 特に、緊張の高い場面では外交交渉の余地が乏しく、お互いの真意を汲みとるのが難しい。結局、その行き着く先は、お互いに想定していた最悪の事態である。双方が相手との対立を想定して行動をとると、その予言を自己実現してしまう。これが予言の自己実現モデルである。

 次に、グレアム・アリソン(Graham T. Allison)の提唱した「官僚政治モデル」である。 彼はキューバ危機への対応を分析してこのモデルを導き出している。その際、彼は三つのモデルを想定し、それらを事例に当てはめて妥当性を吟味する。三つのモデルとは、「合理的行動者モデル(Rational Actor Model)」・「組織過程(組織行動)モデル(Organizational Process Model)」・「政府内(官僚)政治モデル(Bureaucratic Politics Model)」である。

 「合理的行為者モデル」は政府を一つの主体と捉え、明確な目標・価値観を持って、その実現のため合理的に選択をするというものである。しかし、これは理想論にすぎない。

 「組織過程モデル」は、政府が複数の組織からなる複合体であるとし、政策決定はそれらの活動の成果だとする。個々の部署や部局は自らの利益を実現しようと合理的に判断・行動するが、政府全体としての政策は合成の誤謬が起きて合理的であるとは限らない。

 さらに、「官僚政治モデル」では、大統領や政府高官の政治的取引の結果が政策となるとする。政府が複数の主体によって構成されていることは前モデルと同じである。けれども、各組織の間には政治力の強弱があり、それらの「売買契約(バーゲン)」の結果が政策であることが異なっている。個別の組織にとってでさえ合理的ではない恣意的な主張であっても、そこの政治力が強ければ、それを政府の方針にすることができる。この「政府内政治モデル」は、政府を複数の主体とした上で、その政治取引の結果を政策としたことで、実際の外交の失敗を考える際に示唆的である。

 第三がロバート・ジャーヴィス(Robert Jervis)の「認知の枠組(Framework of Cognitive)」モデルである。彼は、政策決定者は入手した情報ではなく、自分があらかじめ持っている「認知枠組」に沿うように判断していると主張する。外交では、すべての情報を獲得することは不可能である。それならば、自分の認知枠組みに基づく基準で情報の重要度を決定し、政策判断することが妥当に思える。それに適合せず、枠組の方を揺るがすような情報は排除される。政策決定者は合理的判断をしようにも、その心理的な限界から誤るというわけだ。

 第四としてアーネスト・メイ(Ernest May)の「歴史の教訓(Lessons of the Past)」モデルを見てみよう。歴史の教訓から学ばなければならないのは確かだが、状況が異なっているのに、それに引きずられると判断を誤るという考えである。

 具体例を挙げよう。英首相ネヴィル・チェンバレンは、1937年のミュンヘン会談において、第二次世界大戦を回避すべく、アドルフ・ヒトラーに譲歩したが、まったくの無駄に終わる。ハリー・S・トルーマン政権は、この轍を踏まないために、ソ連に強硬な姿勢で臨む。ところが、ソ連は東欧に勢力圏を拡大していたものの、国土が戦場と化し、多数に死傷者を出し、経済的・軍事的にアメリカと対抗できる余力がない。ソ連は、ナチス・ドイツほどの好戦性はなかったけれども、歴史の教訓に引きずられ、アメリカは必要以上に強硬に対峙している。

 最後に、ロバート・パットナム(Robert D. Putnam)の「二層ゲーム(Two-level Game)」モデルが挙げられる。これは、政策決定が国際交渉と国内政治という二つのレベルが同時に進行し、その干渉によって形成される説である。外交交渉は概して時間がかかる。そのため、あるトピックを交渉している過程で国内政治が影響を与える場合がある。関係するアクターが多い経済をめぐる交渉でそれがよく見られる。特に、近年では従来の農業や漁業、工業のみならず、金融業や環境問題も加わるなどその範囲が拡大し続けている。

 パットナムの指摘はもっともである。だが、一般的に、分析する際、国際政治の専門家は国内政治、国内政治の専門家は国際政治をそれぞれ軽視する。これは際限がなくなり、焦点がぼやけるという現実的な理由に基づいている。国内にしろ、国債にしろ、どちらも政治アクターが多く、両者の相互関係も加味するとなると、非常に複雑にならざるを得ない。

 ただ、昨今、この姿勢を改めようという動きが出ている。特に、内実はともかく、世界的に複数政党制や競争的民主主義を採用する国家が増えている。また、世論調査も普及、デモを始めとする抗議運動もインターネットを通じて国内外に伝えられる。さらに、グローバル化の進展と共に、さまざまな面での国家間の相互依存が強まっている。ウラジーミル・プーチン大統領のような強権的な指導者であっても、国内世論の動向を無視できない。こうした現状を踏まえるなら、国内・国際政治の相互関係を考慮する必要が研究にも求められている。

 以上の代表的な説を見るだけでも、外交政策の失敗について参考になる。政府が一つの主体で、完全情報・完全合理性であるならば、外交政策は失敗しない。しかし、現実には政府は複数の主体によって構成され、情報も合理性も限定的である。これらの説は、この条件下で、どのようなメカニズムが働いて外交が失敗するのかを明らかにしている。近年の事例についてもそれぞれ適用すべき説が思い浮かぶ。ジョージ・W・ブッシュ政権のイラク戦争は官僚政治モデル、ドナルド・トランプ政権尾イラン政策は認知の枠組などである。おそらく理論が複合した原因もあるだろう。

 しかし、いずれの理論も、政府が成功するはずだと思って判断・行動するにもかかわらず、失敗してしまう理由を説明している。ただ、安倍政権は外交において内閣支持率を上げるために、「やってる感」を演出することが目的で、成功は二の次であるかのようだ。先の理論で説明できる場合もあろうが、それは演出をもっともらしく正当化しているだけである。国益につながらないけれども、支持率を上げるために、内閣が努力をしているかのように演出する手段として外交を利用している。失敗してもかまわないという姿勢で外交に臨んでいる。重要なのは結果ではなく、印象である。だから、失敗しても、学習しない。そのため、成長せず、失敗を繰り返す。しかも、このツケは政権が続くほど増え、国民に将来回ってくる。確かに、これは外交ではない。
〈了〉
参照文献
藤原帰一、『国際政治』、放送大学教育振興会、2007年

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