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白河以北一山百文(2011)

白河以北一山百文
Saven Satow
Jun. 18, 2011

「心許なき日かず重るままに、白川の関にかかりて旅心定まりぬ」。
松尾芭蕉『奥の細道』

 東日本大震災において、東北人の態度や行動が国内外の人々から驚かれ、賞賛されている。阪神・淡路大震災を被災した中井久夫神戸大学名誉教授は、『災害がほんとうに襲った時』の中で、「日本人を代表しているのは今は東北人である」と讃えている。これを始めとして最上級と言っていい賛辞が寄せられている。

 とは言うものの、東北人気質とは何かと尋ねられても、その答えは印象やステロタイプの域を出ない。同じテーマで他の地域と比較しないと、特有さはつかめない。

 少々古いが、フジテレビ発行の非売品雑誌『AURA』180号に掲載されたリポート「テレビの見られ方 地域差分析」がそうした地域差を調査・分析した結果示している。FNS理事社合同調査会議が調査を企画し、2006年7月に、札幌や仙台、関東など8地域に住む13~64歳の男女4000人を対象に、訪問留置調査法を実施、有効回収率81.4%である。

 この調査にも、地域区分が視聴率調査用で大まかすぎるとか、項目に表われる概念の定義が不明瞭だなどの問題点を指摘できる。けれども、採用されているのが社会調査の王道とも言うべき訪問留置調査法である。新聞やテレビが内閣支持率を調べる際の電話を使ったRDDなどの逃げ腰調査とはわけが違う。しかも、4000人のサンプル数で、回収率が80%を超えている。興味本位やウケを狙った企画ではなく、地域差を考慮した今後の番組制作・編成の参考にするためなどの目的意識を持って実施されたと考えられる。こうした建設的な調査の結果は検討に値する。

 この調査で示される仙台の特徴は非常に興味深い。テレビの視聴意識について、「教養や情報を得るもの」・「気分転換になるもの」・「話題になるもの」などの因子で肯定的であればプラス、否定的であればマイナスと判断し、地域差を比較している。市長意識が最も消極的なのが仙台で、逆に最も好意的なのが広島である。また、バラエティー番組に最も消極的なのも仙台で、積極的なのは九州である。仙台でのバラエティー番組への不満は強く、否定の意識さえ見られる。 

 確かに、仙台の人がテレビに消極的と言われると、納得できる出来事も認められる。2004年に紅白歌合戦史上最低の視聴率を記録したのも仙台地区である。言うまでもなく、この結果をそのまま仙台の人の気質と解釈するには無理がある。地域特有の番組編成や生活環境、家族構成、御当地芸能人の傾向など他の要因も考慮する必要がある。『河北新報夕刊』二は視聴率ランキングが掲載されているけれども、バラエティー番組が上位に位置することも少なくない。日テレ系で放映されているバラエティー番組『秘密のケンミンSHOW』は、仙台地区で視聴率が高いことで知られている。この番組には御当地芸能人がゲストで出演し、宮城県も例外ではない。

 さらに、先のレポートは普段の生活意識も尋ねている。「政治や社会問題に関心がある」や「うわさ話が好きだ」、「熱しやすく冷めやすい」など26項目についての回答を分析している。 

 asahi.com2007年2月2日配信の「テレビの見られ方、地域によってどう違う?」がそれを基に作製した比較表の内容を引用しよう。

札幌
習慣やこだわりを重んじる反面、ややゴシップ好きで信じやすいところもある
仙台
反都会志向が強く、良識を重んじないがゴシップは好まない
関東
新しいもの、流行もの好き、ゴシップは好まない(東京駅を中心とした30㌔圏)
名古屋
習慣やこだわり重視で都会志向ではないなど保守的(名古屋市役所を中心とした40㌔圏)
関西
ゴシップ好きで信じやすい(大阪市役所を中心とした30㌔圏、神戸市、京都市、奈良市、大津市も含む)
広島
ゴシップや新しいもの、流行ものが好きで活動的、都会志向もある
九州
習慣やこだわりを重んじるが堅実、良識派ではなく、ゴシップ好きで信じやすい。都会志向もある(福岡市、北九州市とその周辺)


 こういうのは、認知心理学から見れば、眉唾物である。そうは言っても、話のネタとすれば面白い。仙台は、都会になびかないが、保守的ではなく、むしろ、革新的で、ゴシップなど下世話な話題を好まない。一言で言うと、教養市民層といったところだ。『秘密のケンミンSHOW』が好まれるのもうなずける。

 仙台は東北を代表する大都市であるが、そのすべてではない。けれども、そこに含まれる仙台が他の地域とこうした違いがあるというのは、東北人にとっても、思うところがあるだろう。

 中曽根康弘元首相は、2011年4月26日付『朝日新聞』のインタビュー記事「原子力と日本人」において、吉田貴文記者から3・11後の東北の復興を問われた際、次のように応えている。

「東北の歴史、社会的背景、土地と結びついた生活を大事にすること。それが一番、大切だ。復興の原動力の一つになる。かつて東北は『白河以北一山百文』と言われた。東北人特有の頑張りで戦後、地域経済を築いたが、大震災を機に東北がさらに新しい文化圏、文明圏として先行するという明確な方向を示さなければならない。どんなものになるか。東北の皆さんと中央の政治家、経済人、文化人が協議すればいい」。

 この「白河以北一山百文」は東北人にとって忘れられない文句である。明治維新の際、薩長土肥の藩閥は「白河以北一山百文」と東北を嘲る。1897年、仙台の事業家一力健治郎は経営難の『東北日報』を引き継ぎ、その侮蔑をあえて用いて『河北新報』と改称する。また、藩閥政治を政党政治によって打破した盛岡出身の平民宰相原敬は自身の俳号を「一山」としている。「わけ入りし霞の奥も霞かな」。これらを反骨晋と見なすのは総計である。それでは東北人を理解できない。むしろ、「反都会志向が強く、良識を重んじないがゴシップは好まない」ユーモアだ。

 これらはデイヴィッド・ヒュームの次のエピソードに重なる。1771年、スコットランドのエジンバラで、ヒュームの新居の外壁に「セント・デイヴィッド通り(St. David Street)」と落書きされているのを召使が見つける。慌てて消そうとする彼に、この偉大なる無神論者は「前々から立派な人が大勢聖人にされてきたではないか」と皮肉を言って、それをとめる。この話が評判になり、とうとう市がこれを正式の名称へと変更する。18世紀初頭にイングランドと合同した後も、独立心が強く、このヒュームの他にアダム・スミスなどスコットランド啓蒙と呼ばれる独自の自由主義を生み出した地域ならではのエピソードである。なお、セント・デイヴィッド通りは南北に分かれて今も存続している。

 あれから100日が経つ。「東北の歴史、社会的背景、土地と結びついた生活を大事にすること」がその復旧・復興には欠かせない。ところが、永田町を始めとして、自らを維新の志士に見立てる政治家が少なからず見られる。これで東北の復旧・復興と言われても、「十字軍」と自称してイスラム社会に向かうのに等しい。東日本大震災という国難の打開を明治維新に見立てるのは適切ではないが、それに気がついていない。東北人は、その姿を見ながら、白河以北一山百文のユーモアを静かに語り、周囲を見渡し、前を向いて復旧・復興を進めていく。
〈了〉
参照文献
中井久夫、『災害がほんとうに襲った時』、みすず書房、2011年
asahi.com、『テレビの見られ方、地域によってどう違う?』、2007年2月2日
http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200702020220.html
河北新報ニュース
http://www.kahoku.co.jp/
Edinburgh Online
http://www.edinburghonline.co.uk/

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