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グッドモーニング,レボリューション(13)(2014)

13 ラジオと3・11
 ラジオ、日本のラジオの歴史ですが、日本では、戦前、政府が民間放送を許さなかったけれど、一九五〇年に電波法が改正されて、翌年の九月一日から民間ラジオ放送が始まっている。大阪の新日本放送と名古屋の中部日本放送が最初だがね。新日本放送は今の毎日放送のことやね。電波の周波数は短い方が安定してるんです。だから、公共性が高いということで、NHKに短い周波数が割り当てられています。公共性?そう公共性。うーん公共性。一九六〇年代、中波の深夜番組によって、ラジオは若者をつなぎ、ゲリラ的な活動の道具としても機能しているんですね。『オールナイトニッポン』や『パックインミュージック』、『セイヤング』あたりが有名。局アナがアイドル歌手並みの人気を博して、LFの亀淵昭信社長もその一人。

 しっかし、空回りし続けてるよねえ。喋っているときは、面白いんだけど、後から聞き直すと、恥ずかしくなるほど、つまんないことってよくあるんですね。「聴いてちょんまげ」なんて言っても、そのときはいいんだけどねえ。第一、声。声が気に食いませんもの。鼻声で。活舌甘いし。武具馬具武具馬具三武具馬具合わせて武具馬具武具馬具六武具馬具。坂信一郎さんみたいな声だったら、人生変わってましたですね。オヨヨ。

 あ、そうだ!受信機の方の話もしとかないとね。歴史的に見てさ、日本にとって重要なのはトランジスタラジオだよね。一九五四年にアメリカのリージェンシー社が世界初のトランジスタラジオを開発する。その前までは真空管を使っていたので、どうしてもラジオは大きくて、そうねえ、今のプリンタくらいはあるよね、家具みたいに置いて聞くもの。持ち運んで聞くなんかとてもできない。画期的だったのは翌五五年に今のソニーが販売したTR-55。実は、これ、電池式で、ラジオは初めてモバイル化する。このモデルは国内販売だけだったけど、話題はグローバルに伝わる。五八年からソニーのトランジスタラジオが世界展開されていきます。ソニーのトランジスタラジオは世界で認められたに初めてのMade in Japan。それまで、日本製は安かろう悪かろう。国内でさえ、日本製品は評判が悪く、舶来品に太刀打ちできない。この悪評を最初に変えたのがソニーのラジオ。池田勇人首相がフランスを訪れた時、シャルル・ド・ゴール大統領から「トランジスタラジオのセールスマン」と揶揄されたけど、歴史を知ってると、それは象徴的なエピソードだよ。それとね、モバイル革命は今も続いてるけど、ウォークマン、携帯電話、iPod、iPad、Kindle、iPhoneってね、その最初もラジオなんだよ。

 テレビの衛星放送やインターネットが本格化するまで、短波ラジオが国境を超えるメディアとして機能している。受信報告書を放送局に送って、ベリカード(Verification Card)を集めるBCLが一九七〇年代にブームになって、山田耕嗣さんが、今風に言うと、その「カリスマ」かな。一九七八年一一月二三日、日本のAMの周波数の間隔が10kHzから9kHzへと変更されてる。それまでは、結構、同じ周波数帯を使っている局が多く、夜になると混信することも多く、その状態を改善する目的があったわけ。中波は放送周波数の上下4kHzの振幅があるため、隣の周波数帯の局と混信しないには、最低9kHzが必要。でも、ラジオは過去のメディアなんかじゃありません。

 そりゃあ、一九五二年に始まったNHKのラジオ・ドラマ『君の名は』みたいに、「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」なんてことは、日本じゃあもうない。世界的に、デジタル・デバイドの問題が広がっているけど、最もシンプルな電波メディアのラジオはメディア・リテラシーには有効だ。考えてみれば、ちょっと違うけど、日本にも、『大学受験ラジオ講座』や『百万人の英語』なってのもあったねえ。J・B・ハリス先生。Oh, I’m sorry to hear that.QRに教育番組が多かったのは大株主が旺文社だったんで、テキスト販売と自社のイメージ戦略のため。ただ、今は資本関係はない。ぜんぜん違うか。ごめん、浮かんだことは口に出さずにはいられない性質で。悪い癖だ。まったく余計なことを言っちまうんだよな。九・一一以降のアフガニスタンで最も信頼されていたのはBBCによるパシュトゥン語のラジオ放送。ラジオは、テレビと異なり、送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震や津波などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度のサイズの小型送信機からの放送も可能。実は、中に白木みのるさんが入ってんだけど。

 これを生かして、災害発生時には臨時ラジオ局が開設されることがある。阪神大震災ではラジオがその威力を発揮してたよね。局が、日本でも、数多く開局して、日本に居住する外国人のための情報交換やコミュニケーションを提供している。大沢悠里さんはディレクターにキュー振りするし。テレビじゃ、ちょっとない。また、受信機の構造も簡単だから、乾電池やゼンマイで動く小型のものが安価で購入できる。鉱石ラジオとかゲルマニウム・ラジオって知ってる?知らざぁ言って聞かせやしょう。アンテナとアース、コイル、バリコン、イヤホン、ダイオードさえあれば、ラジオってできるのよ。ただ聴くだけなら、ラジオに電力も必要じゃない。電波が受信できれば、いつでもどこでも放送を聴くことができる。

 忘れちゃいけない。三・一一…ラジオは被災者に情報を届け続けて…ラジオは被災者の手助け…確認するような情報は新聞がいいけど、緊急だったり、リアル・タイム性だったりする情報はラジオが役に立つ。電池が切れないかと心配しながらラジオに耳をそばだてた被災者も大勢いる。ラジオは…ごめん、ダメなんだ。思い出すと、まだ涙があふれてきちまう。涙はなかなか枯れんもんだよ。

 一曲。あの時、一番口ずさまれた曲。『アンパンマンのマーチ』。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも

そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

 次の日の朝、テレビすけたら、陸前高田の海岸が映っててね、何もない。膝から崩れてね、思い出の場所、何もない。小学生の時、陸前高田に海水浴に行って、ある旅館に泊まってさ、女の中居さんがこう言ったのを今でも覚えてる。「お客さん、この部屋はいい部屋なんですよ。何しろ、高橋圭三さんがお泊りになったんですから。隣は…千昌夫が泊まったんですけど、やっぱり千昌夫より高橋圭三さんの方がいいでしょ?」ってさ、あの中居さん、無事だったかな。圭三さんは花巻の高千代といおう呉服屋の息子さんでね、その近所に宮沢賢治の生家の宮澤商店がある。圭三さんが発音の練習をしてたってのは有名な伝説。どーも、どーも、高橋圭三です。

 三・一一の時にどう振る舞ったかが人や組織への信頼感や評価の根本にある。あの時のことを決して忘れん!絶対に許さん!先に死んだらあいつら祟ってやる。日本の伝統らしくな。あの時、無様に、醜く振る舞った奴に限って、今威勢がいいじゃねえか!お前らなんか信用せん!

 自然は人類が誕生する前からある。自然は人間の都合なんか考えちゃいねえ。先史時代も現代も関係ねーんだ。自然科学の知見を利用すれば、多くのことがわかるのは確かだよ。例えば、地球上の可能な山の高さも物理学の知識でだいたいわかる。分子の融解エネルギーと重力ポテンシャル・エネルギーのつり合いだから算出できる。地球の岩石の組成は多様だけど、二酸化ケイ素として計算すると、およそ八〇〇〇m。実際ともまああってる。火星は地球の呪力の三分の一で、山の高さは二四〇〇〇mと予想できる。実際には二七〇〇〇mのオリンポス山だから、組成が違うと推測できる。こんなことはできる。でも、自然災害は不確実。想定外が当たり前で、想定外は言い訳にならねー。想定外ってのはうぬぼれてました、自然を見くびってましたってことだろ!

 フクシマが教えてくれたことの一つはな、原発事故は起きると、責任なんかとりようもねーくれーの被害が出るってこった。責任ってのは権限に関わる。でもよ、あの被害は東電の幹部が辞職する、全財産差し出すってことじゃあすまねー。責任をとりようがなねーことをやっちゃいけねーってこった。おまけに、自然相手だ。前これくれーだったから、それに合わせりゃいーってことにはなんねー。自然てのは不確実なもんだ。たまたま高度経済成長の時にゅあ大きな自然災害がなかっただけだよ。人間には正常化バイアスがあっから、大丈夫だろうと思っちまう。でも、自然は人間の認知なんか考えてねーよ。

 安倍はオリンピック招致の時に、フクシマについてよ、「アンダー・コントロール」と言ったけどよ、責任をとりようがねーくれーのことに責任なんてよく言うぜ。つーか、何かあったら、辞職じゃすまねーんだぜ。どうやって元に戻すのよ?責任、責任と言いたがるけど、軽りーよな。この政権はこれだけじゃねーよな。誰かが責任とるじゃすまねーことやりたがる。責任じゃすまねーから責任を無視して何をやってももいーことにはなんねーだろ?責任のとりようがねーものに手―出しちゃいけねー。権限が被害結果の十分な回復に及ばないのであるなら、責任が成り立たないとして、それを行うことはできない。アハノンキだね。いや、もう大丈夫。もう大丈夫。

 次の曲は、すべての避難民のために、です。ドン・マクリーン(Don McLean)の『バビロン(Babylon)』という曲です。ドン・マクリーンと言うと、明るい曲調の『アメリカン・パイ』が有名ですけど、これはとても悲しげな曲です。歌詞は、実は、彼のオリジナルではなくて、旧約聖書の『詩編』の一三七章の章句です。『詩編』はダビデの作とされてますが、キリスト教にとってもこの箇所は大切で、修道士たちがラテン語でみんなで朗誦するんですね。

 歌詞の内容は、ユダヤ人がバビロニアによってバビロン捕囚されていたことはご存じだと思いますけど、その時のことです。バビロンの川のほとりfrシオンの地、つまり故郷のことを思い出すという内容です。被災して避難せざるを得なかった人たちにもそんな気持ちがあるのではないかなと思い、選びましたので、どうぞ聞いてください、ドン・マクリーンで『バビロン』です。

By the waters
The waters of Babylon
We lay down and wept
And wept for, thee Zion
We remember, thee remember
Thee remember, thee Zion

By the waters
The waters of Babylon
We lay down and wept
And wept for thee Zion
We remember, thee remember
Thee remember, thee Zion

By the waters
The waters of Babylon
We lay down and wept
And wept for thee Zion
We remember, thee remember
Thee remember, thee Zion.

 三・一一はディアスポラス。それは社会的記憶。


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