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零戦とグラマン(2013)

零戦とグラマン
Saven Satow
Jul. 21, 2013

「帰宅の途中などで、機銃掃射されるのが怖かった。案外に当たらぬものだし、爆弾だと当たったらおしまいである。それなのに機銃掃射が怖いのは、自分がねらわれているという恐怖のゆえだろう」。
森毅『自由を生きる』

 2013年7月20日より宮崎駿監督によるアニメ映画『風立ちぬ』が公開されます。零戦の開発者として知られる堀越二郎が主人公です。宮崎監督は、7月20日付『朝日新聞』のインタビュー記事「零戦設計者の夢」において、作品にこめた思いについて語っています。

 宮崎監督は零戦を愛国心に利用することを次のように批判します。

「零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです」。

 その上で、堀越を補佐した技術者の曽根嘉年が特攻に零戦が使われるのを見て「情けなくて、こんなに大勢の人が死ぬのなら、作らない方が良かった。設計しなければよかった」と思ったことについて、次のように語っています。

 「彼もそう感じたかもしれませんが、同時に『それは自分の関わることではない』とも思っていたはずです。無論、堀越二郎も一人の日本国民としての戦争責任は背負っていますが、一人の技術者が歴史全体に責任を持つ必要はない。責任を問うのはくだらない、と思います」。
 「曽根さんの『作るんじゃなかった』という気持ちは分かりますが、作らなかったら、もっとつまらない人生だったと思います。映画の中でも言いましたが、飛行機は『美しくも呪われた夢』です。作りたかったものを作って、呪われ、傷を負う。でも、後になって曽根さんは『仕方がなかった』と思ったに違いないんです。そうやって、時代の中で精いっぱい生きた方がいい。これが良くてこれが悪いなんて、時代の中では誰も偉そうに言えないんですから」。

 宮崎監督は戦争を批判します。その一方で、時代の中で、自分の責任範囲で「精いっぱい生きる」ことを善悪で論じるべきではないし、それは今でも言えることだと主張しているのです。

 日米開戦直後、しばらくの間、零戦は太平洋の空を支配します。けれども、戦争が長びくにつれ、その優位は崩れていきます。

 太平洋戦線において零戦から艦上戦闘機の王座を奪ったのがグラマンF6Fヘルキャットです。実は、両者の設計思想が異なります。零戦が戦術的思想に基づいているのに対し、グラマンは戦略的思考です。戦中の日本において、ヘルキャットは「グラマン」と呼ばれていましたので、ここではそれを用います。

 当時、旋回して相手の背後について機銃掃射をするのが戦闘機の標準的戦法です。零戦はこの戦い方で優位に立つことを極限にまで追及した傑作です。太平洋戦線が始まってすぐに零戦が空の王者の座に就いたのも当然です。

 同じ発想では零戦の優位を覆せません。そこでアメリカの技術者は別の戦法に立脚した戦闘機を考案します。それがグラマンです。

 相手の背後に回りこんで機銃掃射をする戦法は戦闘機の設計・製造ならびにパイロットの技能のいずれにも高度な水準が要求されます。一方、上空から相手に機銃を浴びせる戦法ならそれよりも効率的です。上から見るのでターゲットが大きくなりますので、機銃の命中精度もパイロットの腕も従来より要りません。また、この戦闘機に必要とされるのは相手よりも高い上昇力だけです。それには馬力のあるエンジンを開発すればいいのですから、設計・製造も容易です。

 戦術的思考と戦略的思考の違いについて比喩を使って説明しましょう。ここに橋のない川があるとします。どうやって橋を架けたらいいのかと技術的に考えるのが戦術的思考です。一方、戦略的思考は総合的に検討することです。なぜ橋がないのか、橋を架けたら社会的・自然的環境はどう変わるのか、費用対効果の点で橋でなければいけないのかなどを吟味するのです。戦術的思考が前提条件を自明にしているのに対し、戦略的思考はそれを再考します。

 戦略的思考に基づくグラマンの開発には堀越二郎のような天才は必要ありません。むしろ、設計コンセプトに才能や熟練に依存しない前提があります。そう考えると、堀越二郎は戦術的思考の下で「精いっぱい生きた」のであり、戦略的思考もあるという「ひらめき」は生まれていないのです。

 大戦末期の航空機製造の現場について興味深い証言があります。故森毅京都大学名誉教授の自伝『自由を生きる』の中の一節です。

旧制三校生だった森少年は、1945年4月から安治川河口の住友の工場に勤労動員されます。航空機の主桁を炉から押し出す工程の効率化の研究に従事します。押し出す速度による熱損失の調査です。東京帝大工学部を卒業したばかりの技術中尉の下で午前中は勉強し、午後は現場で実験の毎日を送ります。理論式のグラフも難しい本を拾い読みして作成しています。ところが、差分近似を知らなかったので、ウィナーの展開という面倒くさいことをしてしまうのです。大戦末期の航空機工場は旧制高校生が手さぐりで携わる状況だったわけです。

 森名誉教授は当時を振り返り、戦術的思考を相対化して次のように述べています。

 いいかげんなようで、けっこう熱心にやったが、その研究が役にたったとも思えぬ。うっかり役にたって敗戦が遅れたら日本のためにならぬ。たいした強制もないのに熱中するのは一種の職人気質か。主義者でないと、サボタージュはできないもんですなあ。

 この頃、アメリカではマンハッタン計画が大詰めを迎えています。日本が旧制高校生まで刈り出して既存技術の改良に四苦八苦していた時に、海の向こうではノーベル賞クラスの科学者を大勢集めて基礎科学の軍事技術への応用という革命を行っているのです。

 核開発に手を出していたのはアメリカだけではありません。けれども、実用化に必要人材・施設・予算などを用意していたのは合衆国のみです。この組織の規模は巨大で、従前の産業のテーラー・システムでは管理・運営が不可能です。中間管理職を拡充した革新的な組織体が不可欠です。産業の時代の戦術的思考から脱却しなければなりません。マンハッタン計画は新しい時代の組織体なのです。

 マンハッタン計画は日本の軍部と異なる戦争観に依拠しています。先の戦術的思考と戦略的思考は戦争観の違いにもつながるのです。日本は大戦を「産業」の戦争と認知しています。一方、アメリカは「科学技術」の戦争と捉えているのです。日本の認識が第一次世界大戦の延長線上にあったのに対し、アメリカはそこから転換しています。日米は同じ戦争を別の思考で把握しているのです。

 いわゆる歴史認識の問題にもこの戦術的思考が影響しているのでしょう。戦術的思考はしばしば手段の自己目的化に陥ります。暗黙の前提を自明視するため、それが反省されないからです。「戦略」と口にされることが政官財でも多くなっていますが、そうした事件が起きる度に戦術的思考に無自覚なままだと思わざるを得ません。

 国内外から日本の右傾化が懸念されています。『風立ちぬ』を見て戦争の時代と現代についてさまざまな思いをめぐらすことは必要なことでしょう。ただ、それだけでなく、戦術的思考と戦略的思考という観点から「零戦設計者の夢」を再考してみるのも意義あることなのです。
〈了〉
参照文献
福田収一、『自己発展経済のための工学─スマートフローの時代』、養賢堂、2011年
森毅、『自由を生きる』、東京新聞出版局、1999年

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