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図解と文章(2012)

図解と文章
Saven Satow
Mar. 02, 2012

「一つの出来事や事件を図解するにしても、100人いたら100通りの図解ができあがるでしょう。そして本人にとってそれが最も対象を理解するのに役立っているのならば、どんな形であっいぇも構わないのです。その自由さがそのまま思考の自由さに結びつき、発送と理解が広がっていくのです」。
久垣啓一『問題がすっきり解決!図解思考の本』

 久垣啓一多摩大学教授は、『図解VS文章』において、法律の条文を例に図解と文章の長所短所について次のように比較している。

 法律は文章と箇条書きで作られていますが、私は文章と箇条書きを中心としたコミュニケーションでは、物事がうまく表現できない、伝わらないと考えています。なぜなら文章は文脈で物事を表現しなければならず、また接続詞など、細かい部分にも気を配る必要があるうえ、用語や言い回しも慎重に選ぶ必要があります。
 実際、文章は非常に複雑な表現方法で、文章の達人でない限り、思いを余すことなく伝えるのはかなり難しいのです。また、複雑なだけに、矛盾があったり曖昧なままでも書き手自身が気づかないということも起こります。さらに、レトリックでごまかせるという特性も持っています。
 つまり、文章によるコミュニケーションは書き手自身がよくわからないままに書き上げてしまうことができ、それゆえ、それを詠んだ人はなおわからない、ということが起こってしまうのです。また前述したように、箇条書きはキーワードを提示しただけであって、最も大切なキーワード同士の関係性を説明する器を持っていません。

 これほど明確に図解と文章のそれぞれの長所短所を要約した指摘もない。久垣教授は図解について徹底的に考え抜いているからこそ、それらを認識できていると言える。

 図解全般と久垣教授のそれについてまず説明しなければなるまい。図解は、グラフや表で把握できない対象を主に図形と矢印を用いて概念の分類・関係を示すものである。図形で分類、矢印で関係を表わす。図解は、広義では、物理図解と論理図解に分かれる。前者は建物や機械の設計図、地図、案内図、イラストなどで専門的な知識・技能が要求される。久垣教授の言う図形は後者を指す。こちらは、慣れは要るが、特にそうした専門性が必須ではない。

 さらに、論理図解は構成図・関係図・時系列図の三つに大別できる。第一の構成図は、システムや概念がどのような要素によって構成されているかを示すもので、組織図や分類図とも呼ばれる。第二の関係図は集合・グループ・領域などの関係性・関連性を表わすもので、特に複数の円を用いたタイプをベン図と言う。第三の時系列図はある現象の時間的変化を連続的もしくは一定間隔を置いて不連続に観測して得られる値、時間を含んだ概念を図示したものである。工程表や手順図、フローチャートなどが含まれる。

 久垣教授の図解は構成図と関係図のミックスを指している。『問題がすっきり解決!図解思考の本』においてフローチャートを「手順書」にすぎず、「作者の思考」が浮かび上がってこないので図解に含めていない。「自分自身の頭の中を外にさらけ出し、エッセンスを凝縮したものこそが図解」である。「何を言いたいのか」を見せるのが図形であるから、「強調すべき点」がある。その際、図形や矢印に強弱や濃淡が表われる。それを欠く「パターン思考」は図解にとって最も警戒すべき姿勢である。

 図解は、対象を図形によって分類し、矢印により関係を表わす。直観的に、すなわち見てすぐわかる。矢印によって関係を固定するため、各カテゴリーはコンテクストから切り離される。この抽象化のため、他者同士でも理解を共有しやすい。静的に把握する際に、図解は有効である。

 一方、文章は具体的なコンテクストへの依存が強い。助詞や接続詞が異なっただけでも意味が違ってしまう。詳細化には向いているが、その分、矛盾や曖昧さも生みやすい。こうして文章は他者同士の理解の共有が図解と比べて難しい。反面、関係性が柔軟であるため、対象を動的に見なくてはならない場合に文章は有効である。

 コンテクスト依存が弱い場面では図解が適切で、その逆の際には文章が向いている。どちらが優れていると言うよりも、使い分けが重要だ。

 図解は、言ってみれば、対象のアーキテクチャをモジュラー化することである。文章は設計構造がインテグラル型であり、語と語の相互調整が不可欠である。ところが、図形でモジュラーにすれば、矢印によるそのインターフェースだけが重要となり、すり合せは不要である。図解は対象を抽象化することで普遍化への道を開き、理解を民主化する。各方面でのグローバル化の進展や参加型民主主義を始めとした市民のエンパワーメントの拡大、インターネットを通じた情報発信・共有の普及において、図解は非常に大きな役割を果たすだろう。

 文章の読解や作成が苦手な人に図解は非常に有効な手段である。紙と鉛筆を取り出して、キーワードを丸で囲み、それを矢印で関係を示せばよい。自信のある人でも、自らの読み書きを第三者的に確認する際に、図解は効果的である。

 他方、法律の条文が箇条書きである理由もここから明らかだろう。各条文の関係を固定的にしないために、むしろ、箇条書きが使われている。法令やその条文の関係が不動であれば、解釈・適用が著しく窮屈になり、原理主義のそしりを免れない。固定した関係、すなわち杓子定規で個別の事情を抱える紛争の解決はできない。

 また、政治では、曖昧さで決着を図る場面も少なくない。その際には、図解ではなく、文章が有効である。国際条約では、締結を優先させるため、懸案事項は将来何とかすればいいとして、複数の解釈がとれる文言にすることがよくある。

 さらに、文章自体がもたらす快感もある。80年代、蓮実重彦東京大学元総長が独特の長いセンテンスの文体で、読者を魅了する。この「蓮実節」の文章を図解にしても、味気なくなるだけである。

 その一方で、同時代に浅田彰京都造形芸術大学大学院長が図解の名人として登場する。彼は、難解な哲学書を鮮やかに図解化している。図解を方法論とした日本で初の批評家である。ただ、惜しむべくは、それがこのニューアカの旗手の個人芸にとどまり、一般化していない。

 80年代の文芸批評では図解と文章の魅力が併存している。しかし、それを以後の書き手が消化できていたとは言い難い。80年代の批評を踏襲しつつ、さらに発展させるのに、今や効果的なツールがある。それはパワーポイントである。筆記用具の変化が思想や文学に与えた影響は少なくない。20世紀の思想を支配したフリードリヒ・ニーチェがいち早くタイプライターを使っていたことはその一例である。パワーポイント批評による新たな展開が到来している。
〈了〉
参照文献
久垣啓一他、『図解VS文章』、プレジデント社、2008年
久垣啓一、『問題がすっきり解決!図解志向の本』、PHP研究所、2010年

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