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『おしん』に見る近代(2008)

『おしん』に見る近代化
Saven Satow
Jul. 11, 2008

「『おしん』が私の人生の変わり目でした。どうしても日本に行ってみたかった」。
アーシュ・マーラシンハ

 アキバに代表されるサブカルが「ジャパニーズ・クール」ともてはやされています。けれども、世界で最も知られる日本のテレビ・ドラマとなれば、おそらく、『おしん』でしょう。「働ぐごどは、どだなごどでも苦にはならねえっす」。

 2008年7月10日付『朝日新聞』の「『おしん』今も途上国で人気 25年間で放映64カ国に」によると、初放映から今年でちょうど25年経つのですが、すでに64の国と地域で放映されています。中でも、途上国での人気は圧倒的で、アジアや中東、南米などでは繰り返し放送されています。台湾に至っては、現在、27回目の放送が行われています。

 さらに、日本のテレビ・ドラマを無償で貸し出している国際交流基金にイエメン、ザンビア、マダガスカル、インドネシアから要望が出されています。アキバ系が若者を中心とした流行だとすれば、『おしん』は幅広い年齢層に浸透しています。その点で、『おしん』の方が人々の間に根づいていると言えます。

 スリランカ出身のアーシュ・マーラシンハ長岡技術科学大学准教授は、子供の頃に、『おしん』に感動し、日本への関心を抱いています。今、アジア諸言語に訳された『おしん』を自動翻訳の能力向上等に生かす研究をしています。さらに、大きな夢を持っています。それは、各国の放送人等を招待し、おしんゆかりの山形県酒田市で「おしんサミット」を開くことです。

 受容されている理由は、各地で多少の違いはあるでしょう。けれども、近代的な発展から取り残された貧しい地方の村落、急速に近代化され、市場経済に支配される都市、不安定で不穏な空気漂う政治情勢など『おしん』で描かれる状況は、依然として多くの途上国の抱える現状です。苦難にめげず、幼い少女が健気に生きて成長していき、貧困からぬけ出そうとする姿は身近なのです。

 なぜ『おしん』が海外で愛されているのかとしばしば議論になります。しかし、その前に、『おしん』が日本でも、大ブームを巻き起こし、歴史的な視聴率を記録していることを忘れてはなりません。

 『おしん』は1983年4月から翌年の3月まで放映されています。視聴率の平均は52.6%、最高は11月12日放送の第186回「戦争編・東京の加代」の62.9%です。朝の連ドラにおいて、記録のある1964年から現在までで、最高の値を誇っています。視聴率は、概して、娯楽の乏しい60年代や70年代が高いのですが、後期消費社会に入った80年代に記録したということは驚異的です。

 『おしん』のプロットは次の通りです。1901年に山形県の酒田で、小作人の三女として生まれたおしんは、貧しさのため、進学できず、奉公に出されてしまいます。上京して、結髪師見習いになった後、羅紗問屋を経営する田倉竜宋と結婚したものの、関東大震災で店を失い、夫の佐賀の実家に一家で身を寄せます。けれども、姑からのいびりに耐えられず、おしんは子供を連れて家を出ます。その後、夫婦は偶然再会しますが、戦争で一儲けをしようとする竜三との間はすれ違い始め、出征した長男は戦死します。敗戦後、すべての財産を失い、竜三は自殺してしまいます。残されたおしんは子供を育てるために、魚の行商から再出発し、遂にはスーパーマーケットを経営するに至ります。しかし、その経営方針をめぐって、息子たちと対立してしまうのです。

 1901年生まれということは彼女の人生は20世紀の日本の歴史に重なり合います。第一次世界大戦やロシア革命の1910年代、大衆文化が花開く黄金の20年代、世界恐慌の30年代、第二次世界大戦と占領下の40年代、55年体制の確立と日米安保の50年代、高度経済成長の60年代、ドル・ショックとオイル・ショックの70年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代です。

 とは言うものの、作品自体はチャールズ・ディケンズもどきの域を超えず、児童労働や嫁いびり、夫の自殺など類型的なエピソードが多く、物語の展開もフロー・チャートがつくれるほどお約束通り、過度にセンチメンタルで、20世紀の日本史という背景がなければ、相当苦しい通俗的な作品になったことでしょう。

 しかも、『おしん』は、年老いたおしんが自分の人生を回想するシーンから始まります。これは、文学ジャンルで言うと、最初に結末が提示され、なぜそうなったのかという因果関係を作品を通じて語っていく「ロマンス」の構造です。

 近代小説のような等身大の人物を登場させ、現実の世界を描くと言うよりも、作者の願望を表わします。すべての要素はその目的を実現するために奉仕し、作者にとって曖昧なもの、意にそぐわないものは排除されます。登場人物は人間的な深みに乏しく、作者の操り人形でしかないことも少なくありません。作品世界に対する作者の自意識の優位さを確認することが最終的な目的です。

 ただ、近代小説以前の形式であり、前近代的な世界を描くには適しています。このロマンスは最も手軽に大規模な構成の作品を構築することができ、三島由紀夫や村上春樹の小説に典型的に見られます。作者の願望に感情移入できれば、作品としてなっていなくても、受容されるのです。そのため、このロマンスほどはまってしまうと、作品に対する批判的な視点が消え、盲目的になるジャンルはありません。

 その一方で、『おしん』は形式が明瞭ですから、視聴者にとっては安心して見ることができます。物語の起伏も含めて、先が予想でき、ほぼその通りに落ち着きます。どんな視聴者でも楽しむことができるのです。そもそも朝の連ドラです。朝食は、豪華である必要もなく、白いご飯に味噌汁、お深厚、焼き海苔と生卵があればいいという感じです。

 放映された当時、『おしん』の大ブレークは、後の『冬のソナタ』ブーム同様、意外な現象として受けとめられています。正直、これ以前の歴代の連ドラと比べても、『おしん』は臆面もない気恥かしさに覆われ、あまりにもベタです。そんな『おしん』は明らかに時代のトレンドに反しています。はっきり言って、アナクロです。

 1983年、自動車や家電を中心とした日本製品が世界に溢れ、世界第二位の経済大国となります。経済的な自負だけでなく、ポストモダンやニュー・アカデミズムが流行し、知的でオシャレな文化的雰囲気が日本社会を覆っています。田中康夫は「ブリリアントな午後」とこの近代日本の黄金時代を呼んでいます。

 80年代は高度経済成長期以降に生まれた世代が成人し始めた時期です。彼らは発展途上国の日本を社会人として経験していません。地方の貧しい家庭出身の根の暗い主人公が幾多の苦難や災難を乗り越えて、成功ないし栄光をつかむというスポーツ根性物のテレビ・ドラマはすでに「クサイ」物語でしかありません。そのパロディとも言うべき大映テレビ製作の『スチュワーデス物語』が若者の間で圧倒的な人気になっていたくらいです。

 しかし、30歳代以上の地方出身者は違います。高度経済成長期の昭和30年代でさえ、地方には貧困にあえぐ農村や漁村が数多くあります。弁当を用意できず、お昼になると、校庭で時間をつぶしたり、父親が出稼ぎに出てしまい、病弱の母親に代わって家事を切り盛りしたりする小学生もいます。

 貧しい子供時代の記憶が30歳代以上の人々には共有されています。『おしん』と聞いて、実際にイメージされるのは小林綾子の演じた少女時代でしょう。子役時代という限定はつくものの、小林綾子は世界で最も有名な日本女優です。

 苦労しながら、貧乏から抜け出すというサクセス・ストーりーは、戦後日本の経済発展であると同時に、その時代を生きた人たちのある程度共通する行路です。時代やテレビの流れから取り残されたそういった視聴者たちが『おしん』を歓迎するのです。

 しかし、これが5年後に放映されていたら、バブル全盛ですので、『おしん』もブームにはならなかったに違いありません。また、今、新作として発表されても、ワーキングプアの深刻化により『蟹工船』がベストセラーとなる時代ですから、見向きもされないでしょう。

 『おしん』は、これからも世界各地で人気を博していくと断言しても差し支えありません。この作品は、その物語に普遍的な近代化のプロセスが組みこまれているからです。近代化が続く限り、『おしん』は古典化することはありません。

 『おしん』を見て感動している姿を嘲笑してはなりません。その人は『おしん』の物語自身に心動かされているわけではないからです。『おしん』をきっかけとして、自分の人生を思い起こし、それを反芻しているのです。
〈了〉

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