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岩手県の地域医療と宮沢賢治の羅須地人協会(3)(2021)

3 宮沢賢治の羅須地人協会
 こういった医療県としての伝統は未来に生かすのみならず、過去の再検討も促すだろう。その一例が宮沢賢治の「羅須地人協会」である。従来、この実践はロバート・オーウェンやウィリアム・モリス、武者の興治実篤等の理想郷運動と関連してしばしば論じられる。賢治にそうした運動の影響があったことは確かである。実際、協会設立に先立つ1926年4月1日付『岩手日報』は「新しい農村を建設する 花巻農学校を辞した宮沢先生」という賢治の談話入りの記事を掲載している。これは、明らかに、武者小路実篤が1918年に始めた「新しき村」運動を踏まえている。

 ただ、賢治の「羅須地人協会」も、すでに述べてきた時代的背景や岩手県の農村事情から捉え直すことができる。その前に、協会について見てみよう。

 協会は1926年(大正15年)8月に賢治が現在の岩手県花巻市に設立、活動期間は翌年3月までの約7ヶ月である。賢治はこの運動を通じて地域の農民に近代農業に必要な科学的知識を教え、文学や音楽といった表現活動によるQOL、すなわち「生活の質」の向上を図っている。生産性を上げなければ、経済的困難さから抜け出せない。しかし、それだけではスピリチュアルな豊かさが得られない。経済的・精神的満足の両方が伴ってこそ個人や共同体の幸福がある。賢治はこの協会により伝統的農村を近代的コミュニティにすることを目指している。

 賢治は1926年3月末を以て、岩手県立花巻農学校(現岩手県立花巻農業高等学校)を退職する。これは後に「羅須地人協会」と呼ばれる運動のための辞職である。4月、宮沢家の別宅をリフォームして独居自炊の生活に入っている。5月から賢治は地域住民を集め、レコードの鑑賞会や子ども向けの童話の朗読会を始める。

 旧盆に当たる8月16日、賢治は地域の賛同者と共に「羅須地人協会」を設立する。しかし、農繁期の農民は忙しい。賢治は農作業をしつつ、11月29日から「農民講座」を始める。植物や土壌など農業関連の科学的知識を受講者に教えるのみならず、「農民芸術」の講義も行っている。この教材として執筆したのが『農民芸術概論綱要』である。

 賢治は農民による楽団の結成も構想、チェロを購入して練習に励んでいる。また、農閑期に民芸品や衣服などを制作することも企画している。さらに、協会のメンバーも受け身の姿勢ではなく、フリーマーケットを開催している。

 協会には若い農民たちが集まったものの、高い年齢層の賛同を得られていない。1927年2月1日付『岩手日報』が「農村文化の創造に努む 花巻の青年有志が地人協会を組織し自然生活に立ち返る」と活動を紹介する。しかし、記事により社会教育を行っているのではないかとのうわさが立ち、賢治は伊藤儀一郎花巻警察署長に事情を聞かれることになる。この件をきっかけに、賢治は3月いっぱいでの活動休止に至る。かくして協会運動は挫折する。

 この実践は1年ももたずに休止したこともあり、必ずしも評価されていない。賢治自身もうまくできなかったと後に書簡で振り返っている。ただ、岩手県の地域医療史を考察した上で、この運動を検討するなら、従来の論考が十分に当時の時代的・社会的事情を考慮していないと言わざるを得ない。この運動が1920年代後半に取り組まれたことから見てみよう。

 医学をめぐってすでに触れたように、1920年代はあらゆる分野において世代交代の時期である。西洋近代的な専門教育を受けた人材が伝統的なそれよりも多数派になっている。新しい教育制度・内容が始まったとしても、安定するまで時間がかかる。落ち着いた後にそれを学んだ者が一定数以上いないと、社会は言うに及ばず、その領域でも影響力を持ち得ない。

 近代化が一朝一夕でできるものではないことは今の世界を見てもわかることである。第二次世界大戦後に多くの独立国が誕生したが、半世紀を過ぎても、依然として開発途上国と呼ばれている国も少なくない。

 賢治が運動において取り組んだ近代的な農業・音楽も例に漏れない。音楽を例にすれば、西洋音楽の教育を受けた作曲家や演奏家が多数生まれ、その中から一定水準以上の技能を持った人材が育たなければ、交響楽団を創立することができない。ゼロから始めたら、身体技能も伴う分野でもあり、少なくとも2世代、すなわち60年はかかる。現存する日本最古の交響楽団は東京フィルハーモニーで、これは1911年に名古屋のいとう呉服店(現松坂屋)が結成した「いとう呉服店少年音楽隊」が母体である。こうした楽団の数が増え、活動が活発になるのは20年代に入ってからだ。

 賢治が盛岡高等農林で学んだのは1910年代後半である。20年5月研究生を修了、翌年の12月から花巻農学校の教職に就いている。賢治は20年代という世代交代の時期に社会に出ている。東京を始めとする都市は日進月歩のスピードで近代化していき、農村との格差が拡大する。賢治は取り残されていく農村を何とかしたいと思わずにいられない。西洋近代的知識の宣教師として主に地元の花巻で活動していくことになる。

 しかし、農村は新しい農法には消極的姿勢をとる。それを取り入れて成功すればよいが、失敗したら飢饉が待っている。だから、農村は慣れ親しんだ農法を繰り返すことを選ぶ。イノベーションに対して保守的であるが、無理からぬところだ。こうしたローカル・ナレッジは経験や継承によって蓄積されるものなので、年長者が指導的立場になる。そのため、農村は農業以外も全般的に保守的である。

 賢治は近代的農法を農学校で学んでいる。すでに実績が専門家の間で認められていても、ローカル・ナレッジの農民はなかなか受け入れない。ただ、安定した制度による学校教育を受けた若い世代は近代的知識に抵抗感が少ない。そうした若き農民たちの中から、自分たちで共に何とかしなければならないと考え、賢治の運動への共鳴者が現われる。

 「富国強兵」・「殖産興業」のスローガンが示す通り、戦前の日本の体制は国内外の課題を安全保障に翻訳した上で認知行動する。農村政策も同様である。為政者にとって農村は食料を生産、兵士を供給するなどによって国家に奉仕するものである。社会保障制度による公助も温情程度だ。だが、明治の大合併によって伝統的村落共同体は近代的行政区分に変更され、松方デフレ以降に拡大した不在地主が小作人を支配、かつての共助も機能が低下、実質的に農民には自助しかない。

 賢治にとって農村は安全保障に翻訳されて捉えられるものではない。年配者に蓄積された暗黙知ではなく、誰もが共有できる明示知の学習のコミュニティである。イノベーション・フレンドリーで、若者の発想が共同体を率先する。自助には限界があるけれども、公助は期待できず、もはや伝統的な共助も弱体している。だから、このコミュニティは、フリーマーケットが示すように、新たな共助も構築していく。当時はともかく、こうした姿勢の必要性は後継者不足に悩む高度経済成長期以降の農村が思い知ることになる。

 それは今日で言う「ノットワーキング(Knot-working)」の初歩的な姿であろう。この「ノット(Knot)」は「結び目」を意味する。これは教育学者のユーリア・エンゲストローム(‪Yrjö Engeström‬) ヘルシンキ大学名誉教授が提唱した拡張的学習の概念である。難しいあるいは複雑な問題に協創によって対処するためには、複数の場や組織などをまたぐ水平的次元の結び目が必要になる。しかし、この集合はチームのように固定的ではない。今回のパンデミックにおける医療機関をまたぐ患者・医師・介護・福祉の連携を思い起こせばよい。それは分野を超えて野火のごとく広がる活動である。‬‬‬現代の政治や社会の諸課題は専門家でも領域が異なると理解できなくなるほど学問が高度化・専門化・細分化している。対処するには連携が不可欠で、ノットワーキングが求められるのは当然である。‬‬‬‬

 余談ながら、パンデミックのように影響が広範囲で複雑に絡み合っている対象を扱う際に、批評には「ノット・ライティング(Knot-writing)」が必要である。本論は「ノットライティング批評」の実践でもある。

 明治政府は「富国強兵」や「殖産興業」を掲げて近代化を進めたが、全国的には均衡を欠き、地域間格差が生じている。岩手県は取り残された地域の一つである。世界恐慌の1930年代、豊作貧乏や大凶作などもあり、農村県である岩手県は極めて厳しい状況に置かれる。個人や家族の自助によって克服が不可能であっても、当時の政府にとって公助は温情程度で、期待できない。そのため、地域自ら事態を改善しようとする医療保険運動、すなわち共助運動が始まる。

 賢治は1933年に亡くなっているので、30年代の岩手県の地域医療運動を十分に知ることはない。そうした土壌が養われつつある中で実践を始めた彼がそれを見たらどう思ったか興味の湧くところだ。

 今日においても岩手県は、全国的に見て、協同組合運動が盛んである。多重債務問題に消費者信用生活協同組合も取り組んでいる。瀋陽生協は、消費生活協同組合法に基づき1969年9月2日に設立、岩手県と青森県で活動している。周りの目を気にせず、相談しやすさを考えて、窓口を生協に併設している。もし窓口が独立して構えていると、世間は訪れる人を多重債務の相談に来たと噂するだろう。こうした活動は全国的にもあまりない。多重債務問題も行政による公助だけでなく、協同組合の共助が岩手県では機能している。こういった取り組みもすでに見てきた地域医療の歴史から納得できる。

 賢治の協会もこうした協同組合の土壌から再検討する必要がある。世間知らずの知識人の啓蒙運動と揶揄するのは岩手県の伝統を見ていないと言わざるを得ない。

 戦前と違い、安全保障翻訳の一元主義ではなく、戦後は多様なアクターの活動する多元主義に耐性が変換している。近年、それがさまざまな方面で浸透する。NPO・NGOの重要性が世界的に広く認知されている。日本でも1998年にNPO法が制定、陳情の実現に存在理由を見出していた政治家や自身の法制度設計を無謬であると自惚れる官僚が長らく市民の自発的活動を抑圧してきた政状況も変化している。なお、日本においてNPOは主な活動が国内である組織を指し、国外のそれをNGOと呼ぶ慣習がある。

 もちろん、数多くのNPOが誕生しているが、成果を挙げ、活動を継続させられる組織は限られている。掲げる理念を実現し、公共性・公益性に寄与するために、いかにして組織を維持・運用していけばよいのかはNPO活動共通の課題である。実践例を参考にしてよりよいNPOマネジメントの方法が活動家・研究者の間で探究されている。

 NPO経営はノウハウがある程度蓄積された現在でもなかなか難しい。賢治の実践を農民の現実を見ていない知識人のお遊びと揶揄するとしたら、それこそ世間知らずだろう。NPOは草の根の活動であるから、成否以前に組織の数が要る。広がり、試行錯誤の中で、多数が失敗しつつ、成功例が登場、次に刺激を与える。賢治の運動はそうした地の塩である。

羅須地人協会
らすちじんきょうかい

※新型コロナウイルス感染拡大に伴い、無期限で閉館しております。ご了承ください。

1926年、農学校を退職した賢治が農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために設立。
1928年に病気になるまで、賢治はこの建物で自炊生活をしていました。
1969年、現在地(県立花巻農業高等学校地内)に移築復元されました。
※学校施設のため10名様以上の団体様は、事前にお申し込みが必要です。

基本情報
住所     〒025-0004
岩手県花巻市葛1-68
電話・FAX TEL: 0198-26-3131(花巻農業高校) 
FAX: 0198-26-1220(花巻農業高校)
開館時間 要問い合わせ
休館日 12月~3月
駐車場 有
アクセス 新花巻駅から車で10分、花巻駅から車で15分
JR花巻駅より電車で5分、「花巻空港駅」下車、徒歩16分
JR花巻駅よりバスで18分、「二枚橋(国道沿い)」バス停前より徒歩7分
(『花巻観光協会』、)
〈了〉
参照文献
青山昌文他、『社会の中の芸術』、放送大学教育振興会、2010年
河合明宣他、、『NPOマネジメント』放送大学教育振興会、2017年
大門正克編、『「生存」の東北史』、岩波書店、2013年
高岡裕之、『総力戦体制と「福祉国家」』、岩波書店、2011年
堀尾青史、『年譜 宮沢賢治伝』、中公文庫、1991年
山住勝広他、『ノットワーキング 結び合う人間活動の創造へ』、新曜社、2008年
吉田和明、『宮沢賢治』、 現代書館、1992年

「羅須地人協会」、『花巻観光協会』、2020年
https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/spot/article.php?p=134
Alastair Gale and Chieko Tsuneoka, ‘This Japanese Region Has No Coronavirus: Iwate, hit by a tsunami in 2011, is alone among nation’s 47 prefectures with no reports of Covid-19 among its 1.3 million residents’, “The Wall Street Journal”, May 15, 2020 5:30 am ET
https://www.wsj.com/articles/this-japanese-region-has-no-coronavirus-11589535002
「"感染者ゼロ"岩手県知事に聞く」、『メディカルトリビューン』、 2020年6月25日17時27分更新
https://medical-tribune.co.jp/rensai/2020/0625530783/
「岩手県・達増知事が語る『半年感染者ゼロ』の理由と『岩手1号ニュースだけではすまない』への意見」、『文春オンライン』、2020年7月21日更新
https://bunshun.jp/articles/-/39079?page=2
達増拓也、「岩手『感染者ゼロ』の教訓(上)対策阻むプレッシャー 感染者に共感を」、『毎日新聞』、2020年9月25日更新
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200924/pol/00m/010/004000c

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