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安定志向ネガティブママが、年収3倍のセルフブラックママを経て、セルフホワイトママに。

セルフブラックという言葉は知っていますか?
私も受講生に言われて「なるほど」と知った言葉なのですが。

セルフブラックとは:
主に個人事業主、フリーランス、経営者などが陥る過重労働・長時間労働のこと。 企業に雇用された状態で生じる長時間労働とは異なり、自身で働き方に裁量がある状態で自ら長時間労働をしてしまう点が特徴。

https://caroa.jp/times/glossary/self_black

私が3年間で安定志向年収300万円代のネガティブママから、
挑戦型年収3倍セルフブラックになり、
最終的に年収を大幅に下げずにセルフホワイトになる一連の流れを話していこうと思います。

なぜこの話をするかというと、たくさんのママに夢を持って欲しいという想いと、今皆さんがどのマイルストーンにいるか、自分と照らし合わせてみて欲しいからです。どんな場所にいても現実は変えることができるし、
「そのためのロジックが必ずある」
ということをこの記事で知って欲しいなと思います^^
(どんな考え方も、どんな選択ももちろん良し悪しはなく、あくまでも私の話である、ということだけは知っておいてください^^)

第一章:
年収300万ネガティブママが、
セルフブラックママに

元々安定志向に入っていた私は、1000人規模の企業に勤めていたインハウスデザイナー。何もしなくても仕事は入ってくるし、お金の心配もない。本当にありがたい環境でした。このままこの会社に骨を埋めます、と啖呵を切っていました。笑
しかし、離婚をしたことにより、時短給与で生活をするには難しく、別の仕事を選ぶことを決意。(2020年3月。ちょうどコロナが始まったタイミングでもあり、全てが混沌としていました笑)

転職して知り合いと2人で会社をスタート。(以降本業と言いますね)本業は時間の自由も効き、年収もそのままスライド。年収はスライドしただけなので、正直自分の理想に近づけることはできませんでした。1年目は、結局本業の仕事を覚えることでいっぱいいっぱい。 1日12時間以上は働いていました。家事育児をしながら「何でもやってやる!」という想いでいっぱいでした。
この働き方を続けた結果、なぜこの年収でこの働き方なのだ?と疑問を持つように。
でも、今思えば自分で全てを抱えこみ、後先考えずに猪突猛進で「Yesマン」になっていたからなんです。新卒時代に営業を少しかじった程度の私にとって、クライアントとの絶妙なテクニックなども知らず「今日中に!」と言われたらそのまま、翌日の朝6時までが「今日中」という認識で、ひたすら働きました。

第二章:
自分のやりたい仕事を増やして
更なるセルフブラック第二弾へ

このまま、本業を頑張っていても、会社という形をとっている以上、急に給与が上がることはありません。自分の力で稼いでいかないと、理想に近づけないと確信したので、副業を始めることにしました。
もちろん最初は仕事の取り方すら分かりませんでした。昔の知り合いに連絡をしたり、できることを増やしたり、とにかく色々なことに挑戦しました。
デザイン以外にも、ディレクション業務、PPT資料作成、動画製作、医療事務、、、
1分でも時間があれば、何かを吸収しなければという概念に苛まれ、誰かと一緒にいても、何だか切羽詰まっている24時間。
1年過ぎたあたりくらいから、仕事が少しずつ入るようになってきました。月5万程度でしょうか。もちろん稼働に見合った額ではなく、明らかにセルフブラックの始まりでした。クライアントが悪いのではなく「このくらいですかね?」に対して「Yes」と答え、私はこのくらいの価値なんだと、勝手に思い込み、ひたすら低価格で受託。

第三章:
セルフブラック中にあったあるきっかけ

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