7.5cmのハイヒールとN部長
ノラ猫だった私
私は今風に言うところのJTC(Japanese Traditional Company)の子会社に20年近く在籍していた。
社内会議のためだけに座席表を作ったり、会議のための会議を設定したり、落下傘のように親会社から降り注いでくるエラい人の機嫌を取るための飲み会の幹事をしたり、とてもやりがいに満ちた仕事をしてきた。
2000年頃にはすでに電子申請が導入されたされていたにも関わらず、
「ワークフロー回付しました。承認お願いします!」
と2フロア上に鎮座するエラい人たちを巡回したのは遠い思い出だ。
根回し命! と上司にねちっこく言われるので、私は一人ひとり頭を下げて回った。
お金を出すのは、この人たちじゃなくて、会社なのに……。
相手が機嫌のいい時は、「おう!わかった。承認しておくね」とサクッと返され、
機嫌の悪い時は、「そんなの通知来てるんだからいちいち言いに来るな!」と私はノラ猫のように追い払われていた。
顕著なのはN部長だ。おそらく3回に1回は罵倒されていた。
当時のオフィスは築40年近い老朽化が進んだ自社ビル。
私はカビ臭い階段を7.5cmのハイヒールでかけ降りながら祈りを捧げた。
「どうか来世ではN部長がゴキブリになりますように」
でも、N部長は人間の姿のまま、定年退職したらしい。
N部長は大企業が敷いたレールを一歩も逸れることなく歩み続け、時にはレールの外に部下を突き飛ばして怪我させながら、そのレールの先に待っている「何か」にむかって疑うことなく邁進しているようだった。
ある時、N部長に矢継ぎ早に質問を連打された私は、ついあいまいな返答をしてしまった。
私の優柔不断な態度に腹を立てたN部長は
「さばかんなさんは主任なんでしょ。そのレベルで主任なの?」
と唾をまき散らされたので、
「あー。すみません」
と小声で返したら、
「なんで謝るの!謝らないでよ!!」
と無限ループに陥ったので、私は後ずさりして消えた。
怒り心頭の瞬間、相手の「職位」が口から出るのは、記号で他人を判断する思考の鋳型ができてるんだなーと妙に感心してしまった。
ちなみに私の先輩は、N部長に反論したとき、
「絶対に昇格させてやらないからな!」
と脅迫されたらしい。
パワハラのやり方にも時代性が現れる。
質実剛健を通り越して……地味
この会社は、おそらく今でもその社風は残っていると思うが、関西系の製造業であるせいか、雑巾を絞って絞って、絞り過ぎて破けるまで絞るようなところがあった。
一律スーツ姿で、1000円カットで散髪すらおじさま方に関しては、まあそりゃそうだろうなと思うのだが、親会社の女性に会うたびに、その地味さに私は驚いた。
シャッター商店街で売れ残ったようなパンプスや、イトーヨーカドーの衣料品売り場にあるような余計なリボンがついた、てかてかのナイロンのブラウスを見ると、「良い給料もらってるのに、どこで買ってんのそんな服?」とまことに不敬な感想を抱いていた。
人それぞれですよね。スミマセン。他人の服装にケチつけて。
でも、「学生が入りたい企業ベスト10」とかに入るような企業なのに、見た目には頓着しないんだなと、弱小子会社の僻みっぽい私は諸先輩方を意地悪ーい視線で眺めていた。
もちろん私もおしゃれのセンスがあるわけでもないし、給料だってそんなにたくさんはもらっていなかったのだが、わりと華やかな学校に行っていたこともあり、自分なりに身なりには気を使っていたと思う。
20代後半~30代、特にはまったのがエンポリオ・アルマーニのお洋服とJIMMY CHOOやルブタンのハイヒール。
ちょと大胆なラインで愛らしさもあるエンポリオのお洋服は、今みてもときめく(財政事情によりもう買えないが)。
ああ。あの頃は、薄給の中から、エンポリオを買うために資金を抽出する元気があった。懐かしい。
アイロンで巻いた髪の毛に、ツヤツヤのネイル、エンポリオのスカートをひらひらさせ、ハイヒールで決裁をとるために、社内を巡回して回る私は、きっと浮いていただろう。
私は今になって気づいた。
大企業の戒律を愚直に守り、質素倹約こそ正しい道だと信じていたN部長にとって、私は異教徒だったのかもしれない、と。
会社というカルト宗教
私の在籍中、毎年開催される仰々しい方針発表会は、新しいカタカナであふれていたが、実際にやっていたのは泥臭い営業回りだ。
太い顧客も少なく、1件、1軒、愚直に見込み顧客を訪問して、セールストークを繰り広げる営業スタイルが染みついているのに、急に変わったりできるはずない。
20年の在籍期間の間、目標を達成したことが何回あるだろうか?
在籍した最後の4年はずっと赤字だった。
N部長は考えたに違いない。
「自分の信仰していた宗教は、もしかしてカルトだったのではないか?」
はい。カルトです。
あの共同体でしか通用しないルールばかりだと、外に出ると気づきます。
先人たちが築いた必勝パターンを守っているのに利益が出せない。
喝を入れるつもりだったのに、パワハラ扱いされて次々部下が休職、退職してしまう。
地味こそ正義なのに、7.5cmのハイヒールの女が目障りだ。
N部長にとって、会社員の晩年は、パラダイムシフトの時代だったのだろう。
そして、7.5cmのハイヒールは、JTC崩壊の象徴だったに違いない!
(と思い込むことにしている。)
N部長との別れ
基本、怒髪天のN部長だが、部下を通じて飲みに誘ってくれたり、唐突に昔の職場の写真を見せてきたり、苦手なら距離をおけばいいのに、何かしら向こうから私に近づいてくることも多かった。
私は自分からは近づかないが、N部長を軽視しているわけではないし、その時代のやり方で懸命に生きてきた人なんだろうなとリスペクトしている。
そもそも、来る日も来る日も、オッサンに罵倒され続けたおかげで、私の免疫力も上がり、大声を出されてもなーんとも感じなくなってきていた。
それに、私はN部長のいいところもちゃんとわかっている。
N部長は基本仏頂面だが、ここぞと言う時はどストレートに感謝の言葉を私に伝えてくれた。
「さばかんなさん。うちの社員の面倒をみてくれて、ありがとね」と。
そんな私が退職する2、3日前。平社員の私の席に上級国民のN部長がわざわざ挨拶にきてくれた。
労いの言葉を慎重に選びながら、少しはにかんで、穏やかな口調で話しかけてくれたが、なんだかN部長も心底疲れているようだった。
誰だって、他人の苦労なんてわかんないもんね。
あんなに怒鳴ってたのも、何事も一生懸命やっているからこそなんだろうな。
無類な酒好きのN部長は、明らかに飲みに誘いたそうだったが、心はすでに未来にしかない私の全身から発せられるNo.のサインを感じ取ったらしく、さよならだけ言ってお別れした。
N部長ありがとうございます。
おかげさまで、オッサンに怒鳴られても「うっせーよ」って言い返せるぐらいの気概のあるおばさんになりました。
あたし、仕事する!
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