自分を変人という女は凡庸である『ドラゴン・タトゥーの女』
昔仕事でお世話になっていたフリーライターの女性。
彼女は「私みたいな変わった女といっしょに暮らす家族は本当に大変~」、「異質な人にどうしても惹き込まれてしまうの」、「ヤバいモノに自分から近づいてしまうんです」と言い、自分と他者との区分標識を穿ちたがる。
私は、「そうかな。常識人に見えるけど…」と心の中で思っていたが、周囲はどう感じているのだろうか?
そもそも、本当に異質な人、社会のシステムの外側にいる人は、自分を「変わっている」などとは吹聴しない。
いかに普通であるか、凡庸であるか装い、心のひだに入り込む埃を排除するために気を抜かないものだ。
なお、他と違う自分の演出の一貫なのか、彼女はいつも他人とは違うファッションをしている。オブラートに包んだ表現だと「個性的」のカテゴリーに分類されるが、似合っているかどうかと言われると似合っていないし、バランスが良いかと言われたらアンバランスだと思う(あくまでも個人的見解)。
別に、どんな恰好をしようが、他人にとやかく言われる筋合いはないし、自分が着たいなら、似合ってようが組み合わせが最悪だろうが好きにすればいい。
でも、いつも若干寝ぐせのついたオカッパ頭に厚底メガネ、合皮のライダース・ジャケットからのぞくおばさんっぽいインナーという組み合わせは、まるで優等生の女の子が無理して不良を装っているみたいなのだ。
おそらく、「年相応なんていう固定観念から解放されて、いくつになっても着たい服を着て、自分らしさを失わない、稀有で崇高な精神の私」の表現手段の一つとしてのファッションではないだろうか。
ちなみに、普通に、ジーンズとユニクロのシンプルなニットとか、旬の丈のスカートとパーカーの組み合わせにしたら似合いそうなんだけどな。(余計なお世話、自分棚上げであることは百も承知です。)
ライダースといえば、私の最近のお気に入り『ドラゴン・タトゥーの女』のリズベット。全身たくさんのピアスとタトゥーは、世間を拒絶しているかのように見える。私が暮らしているサブカルの町でも、耳以外にピアスをしている人の比率は比較的高いが、あそこまで穴だらけの女はあまりみかけない。
しかし、外見の異質性・攻撃性に反して、彼女はとても常識的な人だと思う。劇中「私は異常者だって言ったでしょ」というリズベットのセリフがあるが、実際の彼女は誰よりもフェアで優しく、頭脳明晰で、他者との境界線を尊重する人間であることが、彼女の行動から読み取れる。
ただ、今の社会の仕組みや法では裁き切れない、どうしようもなさ、やりきれなさに抵抗するために、自分で自分を守るために、外見を武装しているのだ。そして、実際に彼女は自分を侵略しようとする敵(小賢しい男たち)を知恵とテクノロジーと暴力でなぎ倒していく。
凡庸な人間が、異質なものに憧れる、自分を特別視したいのはよくわかる。だけど、リズベット並みの無頼派以外は、「自分は変わっている」と言う前に、普通(ノーマル)と変(スペシャル)の差分を計算したほうがよさそう。
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