冬の京都で露出狂に出会ったはなし。
当時京都でバーテンダーをしていた私は、やっともらった元旦のお休みにただ部屋でゴロゴロ、友達は全員帰省してしまっており、ひとりせんべい布団に横たわる私はひしひしとこみ上げる孤独感に押しつぶされそうでした。
そんな私に、
ふと急に”ベイブを見ながらからあげクンを食べたい”という衝動が湧き上がりました。
深夜0時過ぎ―何枚もいろんなものを重ね着し、家を出ました。
大晦日の大雪ですこし残った雪が溶けて凍って、すっかりツヤツヤの道でオーッとコケる人々がドリフでした。
でもみんな正月だからか転んでもなんとなく陽気な賀正オーラでオーライあけおめーってな感じでひとり口をモグモグさせながら去るのです、または、急にキリッとした顔で颯爽と去る。わたしは後者派。
TSUTAYA西院店で無事ベイブを借りたわたしはさて次はローソン、とお昼のテレビで見た、雪の日でも転ばない歩き方を実践しながら白い息をはきはき進む。
やや前傾姿勢で足の裏全体で地面をゆっくり踏みしめて進む、繰り返し。
暗くて白めの、人通りの少ない道に、ひっそりとローソン。しかも茶色。ナチュラルじゃないローソンも茶色い京都です。
からあげクン三種類とコーラを買って店を出て左に曲がる、と、左側の視界に、上から黒×肌色×黒の配色の人のようなもの。
よく見ると?
それが、わたしが初めて見る露出狂の姿でした。
茶色いローソンの前、もえるゴミ、もえないゴミ、ペットボトル、缶、そして露出狂という並び。
よくよく見ると、
黒いフルフェイスヘルメット×黒いジャンパー×チンさん×ずり下ろした黒いズボンに黒いスニーカーといういでたち。
「なるほど」
おどろきました。
齢23の娘の口から出た言葉は「なるほど」でした。
冬。そのままわたしは、視線を前方に戻して、歩き始めました。
もうすぐ壬生寺。
おどろかない自分におどろき、あれが露出狂か、ああ、からあげクン冷めちゃう、さむいさむいと律儀にテレビで見た雪の日歩きを実践しながら歩きつづけました。
冬の京都はさむくて、静かです。
コンビニからの帰り道にいきなり南禅寺とか、いきなり銀閣寺とかがままあるこの日常にフト驚くこともあります。
壬生寺を過ぎて、ちょっと行ってから左に曲がると、私のアパートです。
と、後ろから静かにバイクの音、近づいてきて、今度は私と並走しているようです。
見ると、チンさんは相変わらずズボンをずり下げた状態でバイクの運転をしています。
さむかろうと思う。
「ちょっとだけ、チョットだけ見てんか」
フルヘルメットの奥から聞こえる声に耳をすます。
「ホンマ、チョットだけでええねん、な、な、な」
と、どうやら寒い中がんばって露出した自分の成果物をどうしてもわたしに見て欲しいチンさん。
「チョットだけやん、ホンマやで」
わたしは歩きつづけました。
四条通り、このまままっすぐ歩けば木屋町、そして鴨川。
わたしは鴨川が好きです。明け方、河川敷。元芸妓でいまは雑居ビルの隅でお好み焼き屋をやっている女将さんが、くたびれたシーズーを連れて、カモメに餌をやっています。
はげた化粧が朝日に照らされて、なんだかメロウです。パンくずのようなものを勢いよく上空へ投げる女将さんの袂がはためく。
その姿は、飲み過ぎて欄干にもたれかかっているわたしには、いつも神々しくうつるのです。
「な、な、ほんまチョットだけでええねん、チョッ」
「うるせー!!」
おどろきました。
どうやらわたしは怒っていたようです。
わたしは止まりませんでした。
「なんなんだよオメー正月からキッタネーもん見せんじゃねーよ金出せ金! それかあと10分走ってピンサロ行ってこい、それが嫌なら金出せ! そしたら見てやっからよ」
わたしの中にこんなアウトレイジな言葉がひそんでいたことに驚きました。
「ちゃうねん、ホンマ、チョットだけやねん、チョット」
「何がチゲーんだよ黙れボケカスミンチにすっぞ」
からあげクンとベイブ袋を持つわたしの手は、プルプルと震えていました。
「金ないねん、頼むでホンマ、ちょっとやん、ナッちょっと」
いかり。
なぜわたしがこんなに怒っているのか、分かりませんでした。
きっと、正月を正月らしく過ごしたいという気持ち。ちょっとのさみしさ。でも金もないし誰に連絡をしていいのかもわからないし、ひとまず人に迷惑をかけずにマイ正月感を満たそうと努力した結果としてのベイブだったのに、チンさんはそれを何の思い計りもなくこわした。
チンさんの言い分としてはきっと、さぁー正月だぞチン出そう、でもうん、金もないし恋人も友人もないしさてローソンの前なんかどうだろう、出して待ってたら誰か見てくれるかな、という心持ちで準備をして着替えて家を出て、茶色いローソンの前でそっと立っていたのでしょう。
その、準備をしている状態のチンさんに「やめようか」と忠告したい、したかったよ、というのを言おうにもチンさんは今、完全にフルヘルメット状態なので、顔すら見えないただのダフトパンク。人の顔は好きなだけ見て、自分の顔は見せないんかい、ずるい。
チンじゃなくて、顔を見せて、それで「チョットだけでええから」と言ってくれたら。
私たちは、買ったばかりのからあげクンを半分こにして、一緒にベイブを見れたのかもれないのに。
わたしに、その可能性を見出してくれなかったチンさんに、心底腹が立った。
タバコに火をつける。
歩きタバコをしながら並走する黒フルヘルフルチンの男に罵声を浴びせつづけるわたしの年明けです。
つい昨日は大晦日で、
仕事を早めに切り上げたわたしは、劇団員の友人が主宰するカウントダウンイベントへとタクシーで向かいました。
タクシーのおっちゃんはいつもお馴染みのおっちゃんで、自転車ものせられてしかも安いこのタクシーを貧乏バーテンダーの私はときたま利用していました。
この日は雪なので、おっちゃんは忙しいんヨーもーと愚痴をこぼしています。車のモニターでみる紅白、信号待ち、女性歌手の歌をふたり、じっと聞き入る。小林幸子だったでしょうか。
目的地についても、私たちは二人じっとして、その人の歌を聴いていました。
おっちゃんは小声で「イヤーうまいうまい」などと呟いています。
外は一面の雪景色で、窓も曇って、暖房がゴーッと音を立てる二人だけのあったかい車内で、離れがたかった。
このまんまおっちゃんとカウントダウンして過ごしたいと思いました。
大雪、大晦日、タクシーで年越しなんてオツだなあ、でも、わたしはその女性歌手の後に「じゃあ」となぜか急いでいるようなフリをして、お金を払ってそそくさと降りました。
それから、劇場でカウントダウンやらあって、一応を年は越しました。
その後もなんか色々イベントがあったけどわたしはどういうわけか途中で出てきて、そのまま一人サクサク雪を踏みながら八坂神社へ向かいました。
着くと、友人たちはおのおのグループで輪になって一杯やっていて、わたしは忙しそうにグループからグループへとはしご酒。
「じゃあ」を繰り返して、結局最後には一人で人ごみに紛れていました。
一人でいることなんてちっとも好きじゃないのに、何でわたしはこんなことをしているのでしょう。
思えば、わたしはよく一人でバーに座って、誰かと話をするのを待っています。
誰かを誘って行けば「今日は誰かと話ができるかな」なんて期待と不安を抱えずにすむのに、何なんだオマエは。
はしごして明け方、ラーメンチャーハン餃子定食かきこんで、家帰って大の字で大いびきかいて寝ているのです。
バーは好きです。
それは、いつでもそこにあって、いつでも誰かがいて、それから、いつでも離れられるからなのかもしれません。なんかちょっと深めのエリアに入り込む前に、「じゃっ」とかいってドロンできる気軽さ。
ほんとはもっとグッと、人と関わりあってみたいのだけど。どうにもこうにも。
「チョットだけやねんで、なあ」
とうとう、わたしとチンさんは壬生寺を超えました。
左に曲がりました。
そこはもう、わたしのすむアパートの前です。
「ホンマにチョットだけでええから、見てんか」
わたしはとうとう、真っ直ぐに身体をチンさんの方へ向けて、言いました。
「ヘルメット脱げ、顔見せろ、そしたらチンコ見てやる」
間。
彼は、わたしのその悲痛なセリフを無視して言いました。
「いや、エエんや、ちょっとだけでエエから見てくれたらええねん」
わたしはキレました。
火のついたタバコをチンさんのチン自身に投げつけます。
命中しました。
「アチャー!」
とチンさんはザコキャラのような声をだしてバイクに飛び乗り、去っていきました。
わたしは、あっけなくひとりになりました。
「……」
今のわたしには、3点リーダーしか残されていませんでした。
アパートの階段を登りかけて、わたしは何だか形容しがたいきもちで、このまんまじゃ家に帰ってもベイブどころじゃないし、一時間前のわたしにはもう戻れないし、なんか、どうしても人が恋しくてたまりませんでした。
チンさんのさみしさの露出に感化されたのでしょうか。
わたしはまた、四条通りに戻って、
そのまんま、まっすぐまっすぐ歩き続けました。
雪でも滑らない歩き方を律儀に実践しながら、そっと、すっかり冷え切ったからあげクンを一つ食べました。わさびマヨ味。おいしいよ。
おいしいよ。
さむくって、泣きたくって、人恋しかった。
だれかと話したかった。
夜はずっとずっと長くて、誰も歩いていなくて、わたしはひとりでした。
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