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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<195>

お喋り

ああ、どんな意図があるのかないのか分からないけれど、そんなことを言われても困ってしまう。カルラさんも土田さんもちょっと意地悪だ。私がジョゼさんに気があるだって?あるに決まってるでしょう。カルラさんはともかく、土田さんはよく知っているじゃないか。

エルヴァスのポサーダでオーバーブッキングに遭ってジョゼさんの部屋が用意出来ず近隣のホテルにも空きが見つからないから、ジョゼさんが私の部屋に泊まってもいいのかと訊いている、どうしましょうと言ったのは他ならない土田さん、あなただ。どうしましょうだなんて私に尋ねずにそんなことはダメだ、無理だ、女性客と一緒の部屋に泊めるなんて以ての外、出来ないとジョゼさんにきっぱり断ればよかったし、もしくは誰にも秘密であなたの部屋に泊めたってよかったのではないかしら。

それに……ベージャのポサーダでチェーンがなかなか外れなくて集合時間に遅れそうだと伝えようとしたらジョゼさんと私のことがツアーメンバーの間で噂になっているけれども自分は目をつぶる、大人同士なのだから二人の関係には関知しないなどと告げられ、面食らったっけね。

あのときはまだ私たちは関係など持っていなかった。それどころか休憩で立寄ったガソリンスタンドそばのベンチで煙草を吸いながらたったの数分間話しただけ。口さがない人たちの噂話なんて笑い飛ばすか知らんぷりして私には伝えなければよかったはず。ああ……噂なんて本当にあったのだろうか。ツアーメンバーの誰がそんなことを言っていたの。今一度考えてみたけれど思い当たる人がまるでいない。どこまで本当の話なのか分からない。彼女の作り話とも思えないけれど……。
こりゃ、例の、バラを咥えた鵲よろしく、ってやつかしら。お喋りな誰かがちょっとだけでも面白半分に誰かに話をしたら尾ひれが付いて広がって……。ああ、そうだなぁ、私は鵲じゃなくて渡り鳥だし、バラの代わりにマツバギクを咥えさせてよ。それに「善意から」とやらじゃなく、bitchとでもアバズレとでも書き添えてくれ……。

ああ……心が荒みまくっている。こんなことを考えている自分が死ぬほど嫌だ。あのひととあんなことになったのは私が望んでいたからだったじゃないのか。けれどもう、分からない。今夜あのひととお酒を飲みながらお話して、朝まで一緒にいるなんてことがあるかしら。これは恋などではない、それははっきりとしているけれど私はどうしてあのひとと……ああ、もう、考えるのはよそう。止め、止め。

「まだ少し時間あるわね、もう一杯コーヒーでも飲みましょうか」
「そうしましょうか。散歩してもいいんですけどここ、居心地よくって」
「ね。ずっとこうしてお喋りしてたいわよね」
こうしてみんなとカフェでお喋り出来るのもこれできっと最後だろう。ああ、足から根っこが生えて床を突き破ってしまえばいいのに。ずっとここにいたい……。コーヒーをゆっくりと啜りながらSGにまた火を付ける。あのひとは今、ユミコさんとカルラさんとどこかのカフェでまたお喋りをしているのかしら。どうしてもあなたのことを考えてしまう……。

無情にも時間は過ぎ、集合場所の王宮の前に向かうともう12時を廻っている。12時間後は明日の0時過ぎか。そんな当たり前のことが頭を駆け巡る。0時には私はあの部屋で眠れぬ夜をひとり、煙草を吸いながら過ごしているのだろうか。落ちかかった化粧のままマデイラの商店で買ったまだ封を切っていないジョニーウォーカーの小瓶をちびちび飲みながら帰国の朝を迎えるだなんて嫌だ。そうだ、ひとりでいるのが耐えられなければホテルのバーに行けばいい。大きなホテルだし、今日は金曜日。誰かしら飲み相手になってくれる人がきっといるはずだ。もしいなくたって、部屋でひとりでいるよりはずっといい。そうしよう。リスボンの、ポルトガル最後の夜を楽しまなきゃもったいない。

私、怖い顔をしていないだろうか?ツアーメンバーに心配を掛けてしまうほど暗い表情をしていないかしら。下を向いて歩こう、石畳に足を取られて転ばないように。

清潔感あふれるレストランの店内。白い壁、天井、真っ白なテーブルクロス。小綺麗だけれど面白みはない。夜はホテルのレストランで食事だからこれがツアー最後の外食。けれどただみんなとお喋りを楽しめるならどこでもいいし、殺風景だろうが食事がいまいちだろうが気にしない。

「リスボンに戻ったらもう終わりね。楽しい2週間だったわ」
「あちこち行ったけど、こんなに楽しかったのはなかったわ。こんなにお喋りしたのも初めて」
「みなさん、楽しい方ばかり、個性的な人ばかりで毎日笑いの連続よ」
やはり、私のような若い人が一人でこの手の旅行社のツアーに参加しているのは稀らしい。
「一人だけ若い女の子がいるから、成田で見たときびっくりしたわ。旦那さんと一緒なのかなって思ったけど。あ、女の子、は失礼ね。ミホちゃんは立派なレデイよ」
「若い女性ってのはそれだけで華があるからねぇ」
「いやぁ、一人が好きなんで……というか、一緒に旅行してくれる友達もいないですし」
「そりゃそうよね、ミホちゃんは一人で東欧に行ったり、エチオピアに興味あったり。そういうところに行きたがる若い人はそうそういないでしょう。若い子はみんな、ハワイだとかベトナムとか、ヨーロッパならパリやイタリアよねぇ」
「話が合う同年代のお友達はいるの?旅行だけじゃなくて、趣味が合うお友達」
「……いないですねぇ」
「ミホちゃんの話について行ける子なんていないわよ。だって…….」
「私って、そんなに個性的ですか」
苦笑いするしかない。
「個性的っていうか、年が上の人と話してる方が楽しいんじゃないかって思うのよ」

今、かろうじて友達と呼べそうなのは店のひーちゃんくらいしかいない。彼女とは趣味が合うわけではないが、私と同じく生育環境が悪くて、はっきりとした性格なのが似ているからかなんとなく仲良くなった。
クラブ遊び仲間だった子たちはどうしているのか分からない。ロサンゼルスに一緒に行ったリサは通信制高校に入ったというメールが来て以来、お互いロクに連絡することなく2年近くが過ぎてしまった。リサはアメリカ人と結婚したい、アメリカに住みたいとずっと言っていたけれど今は勉強しながら家庭を築いているのかしら。けれどもう私はかつての仲間に連絡することはないだろう。ロックなんてダサい白人の音楽だとバカにしていた彼女らに実は私はパンクが好きなんだと打ち明けることが出来なかったし、東欧やポルトガルに行ってブルガリアンヴォイスやファドに心を揺さぶられたと話したら笑われるか、なんと答えていいか分からずに「そうなんだ~」と適当な返事が返ってくることだろうーーだけど分からないなぁ。人ってやつは変わるから。私にパンクを教えてくれたカナちゃんも中学を卒業する頃にはパンクは卒業して流行りの音楽を聴いていたっけ。そういう自分も中学時代から根っこや枝は変わってないと思っているけれど、傍から見たら変わってしまったのかも知れない。

「小夜子ちゃん、なにか飲む?ご馳走するわよ」
ああ、また考え事をして半分彼岸に行っていたけれど隣にいる宮本さんの奥様に声を掛けられてこちらに戻って来ることが出来た。いつもご馳走になるのは申し訳ないと思いつつ、断っても「あら、遠慮なんてしてもらったら困るわ」と気を遣ってくれるのを知っている。
「ありがとうございます。では、オレンジジュースを」
「この間もオレンジジュースだったわね、お酒じゃなくって」
「お酒は、ホテルに帰ってから飲みます」
「そうする?じゃぁ、オレンジジュースね」

いつか私はこの人たちと同じ目線でものが見たい。おばさんになってもおばあちゃんになっても旅行をするならばこの人たちと同じように快活で、知的好奇心を持ち続けて若い旅人に優しくしたい。情けは人の為ならずというじゃないか……。

前菜のチーズが運ばれてきたーー美味しい。
あ、ジョゼさんはワインを飲みながらユミコさんとカルラさんと…….土田さんとお喋りをしている。聞こえてくる英語と日本語とポルトガル語…….。私、今夜こそあなたと一言でも交わしたい。この国にさよならする前に。