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酔いどれ雑記 125 西口にて


あれはまだ私が19歳の頃だったと思います。確か現役で行ってた大学を辞めた直後。横浜(駅)に買い物にでも行こうと最寄り駅のホームのベンチに座っていたら、ソバージュヘアを金髪に染めて、派手ないでたちのおばさまが声を掛けてきました。ちらちらと目に入ってしまいましたが多分全身シャネル。
「ねぇ、お姉さん、ヒマ?わたしねぇ、女の子とお喋りするのが趣味なの。これから西口に用があるんだけどね、それ終わったらもしよかったらご飯食べない?」
うん......暇だけど......どうしよう。なんか面白そうだし、行こうかなぁ。いざとなったら逃げればいいんだし......でも......と思っているとおばさまは
「あたし、怪しいおばさんじゃないわよ。第一、おばさんじゃないもの。もうね、あたし60過ぎてるけどビキニだって着るんだから。あたしね、年だからって髪を適当に短くするとかそういうの大嫌いなの。ほら、肌だってきれいでしょ?余計なもの付けないでベビーオイルだけ付けとけばいいの、ほら」と喋っては私の手を取って頬に触らせました。
ますます面白い......好奇心がわいた私はおばさま......いえ、ええと、なんとお呼びしたらいいのだろうか?と食事くらいならしてもいいかなぁという気持ちになりました。怪しい人かもしれないけど悪い人には見えないーー少なくとも私に危害を加えるような人ではないと直感で分かりました。

「ははん、まだあたしのこと変なおばさんだと思ってんでしょ」と言いながらおばさま......シャネラーの女性は話を続けます。
「あたしね、結婚しなかったの。子供いるんだけど子供生んでないのよ。実の子じゃないの。あたしの父親は小児科医でね、お金には全然不自由しなくてね。で、あの子に『あたしはあんたのお母さんにはなれないけど、友達にはなれるよ』って言ったの。あの子は黙ってうん、って言ってたけどね。娘には子供がいてね、もうあんたと同じくらいの子だよ。その子はあたしのこと『大ママ』って呼ぶの。そんでママより大ママの方がセンスがいいって言っていつも一緒に洋服買いに行ったりするの」

まだ電車は来ない、各駅停車しか停まらない駅。「大ママ」はカバンから写真の束を取り出して見せてきました。ハワイでビキニを着ている写真、若いボーイフレンドと一緒の写真、そして誰でも知っている超有名人たちとの写真も多数(合成とはとても思えない代物です。もしそうだとしても、あの時代にしてはものすごい技術で、相当なお金が掛かっていると思います)......。一体この人は何者!?どうやら、この辺りの大物とつながっているようですが真偽のほどは分からない......。

私は大ママと高島屋の美術展が開催されている階で待ち合わせをすることになりました。時間になって向かうとすでに大ママがいて
「来ないかと思ったよ。お腹空いたでしょ、何食べようか」と言って洋食屋に入りました。もうすでにお互いの軽い身の上話は駅でしてしまったので、そこでは何を話したが全然覚えてないけれど、そのあと東急ホテルのラウンジでコーヒー飲んで煙草を吸いましたーーニコチンとカフェインだけはやめられないって言って。大ママはKOOL、私はマルボロ。

帰りも同じ赤い電車で戻ってきました。大ママは坂の途中で立ち止まり
「この階段上りきったところに、あたしの住んでる家があるの。この上、家は一軒しかないからすぐ分かるから。いつでも遊びに来て。あ、あたしの名前、ルリっていうの。この年にしてはしゃれてるでしょ?」

その後、大ママの家に行くことはありませんでしたが、一緒に食事をして1か月後くらいに妹と商店街を歩いていると「あんた!」と声を掛けてくる人がいたので見回すと大ママと、娘と思しき女性とお孫さんらしき子がいました。
「突然声なんか掛けてごめんね~びっくりした?その子、妹さん?あんたと似てるから分かるよ」とニコニコしながら言っていました。

以後、20数年大ママとは会っていません。近所なのに、あんなに目立つ人なのに見かけることすらなかったなんて。

ある年齢層以上のハマっ子は横浜駅周辺のことを「西口」と呼んでいました。もちろん、うちの親も。私が子供の頃は東口にデパートやファッションビルなどはなく、西口に行く=横浜駅周辺で買い物や食事をすることでした。いつでも工事をしてて「日本のサグラダファミリア」などと揶揄されていた横浜駅も随分変わりましたねーーそれでも横浜に帰りたいです。もし日本で死ぬ運命なら、横浜ででしかありえません。