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酔いどれ雑記 104 トマトの缶


あなたの記憶にある一番古いものっていつ、どんなことでしょうか?

私が2歳の頃、父と母と3人で風呂のないアパートで暮らしていました。母はスナックに勤めていて、父の仕事が終わる時間が近づくと父の仕事場へ私を連れて行き、母はスナックへ向かい、私は父と一緒に家に帰りました。アパートから父の仕事場へは5分くらいでしょうか。でもそんなわずかな時間でも私を留守番させることはしなかったのです。母に連れられて行った父の仕事場には、大きなトマトの絵が描いてある缶が置いてありました。いかにも舶来品といった感じのどっしりとした紺色の缶。それを今でもずっと覚えています。数年前、ひょんなことから父にその話をしたら「お前、よく覚えてるな!」とたいそう驚かれました(父も私も、長期記憶はよい方だと思います)。

トマトの缶と同時期でしょうか。母がスナックに行かない日は父の帰りをアパートの階段の上で母と待っていました。いつも同じ時間に帰ってくるのですが、父が帰ってくるまでに赤い車が何台通るか一緒に数えたりしていました。

その後すぐ、父と母は離婚します。母が父の暴力に耐えかね、私を連れて家を出て勝手に離婚届を出してしまったのです。戸籍には「協議離婚」と記してありますが、他人に父の欄を書かせたのです。

まだ妹が生まれる前の私の写真、たくさん残っています。落書きだらけのふすま。シールだらけのタンス。ボロボロの畳の上には当時流行っていたおもちゃがいっぱい。これらを見ると悲しくなります。一応は真面目に育てる気があったのかなと思うからです。子供が落書きをしたりシールを貼ったりするのはよくあるいたずらかと思いますが、撮られた時期が違う写真を見比べるとだんだんそれらが増えているのです。そのことからどういうことが想像できるでしょうか。落書きをしても、シールを貼っても怒られなかったということです。もし怒られていたならば怖くて二度とそんなことはしないはずですから。そのくらいの歳の私は、親にいじめられた記憶が全くないのです。ひょっとしたらつらい記憶にふたをしてしまっているのかも知れませんが、思い出せません。

クリスマスの夜のこともよく覚えています。母が台所に私を連れて行き、窓を開けて空を指さして「あ、サンタさんが来たよ」って。6畳間に戻るとちゃぶ台にプレゼントの箱が置いてありました。もちろん、今となっては母と私が台所にいる間に父がどこかに隠しておいたプレゼントを出したのだと分かりますが...........こうして書きながら涙が出てきて止まりません。母が窓を開けたときに入ってきた冬の風の冷たさまで頬に残っているんです。

染料の入ったトマトの缶、キャンディ・キャンディやドラえもんのシール、冬の夜風は私を傷つけなかった思い出というべきなのでしょうか、それとも優しく真綿のように心を締め付けているのでしょうか。一生答えは出ないと思います。