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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<176>

Life is a gamble

あんなに賑やかだった街がウソのように静かだ。島で一番のカジノがある大きなホテルの辺りですら人があまり歩いていない。それでも潮風は気持ちよく吹いているし街の灯りは綺麗だ。

パスポートを提示して4ユーロの入場料を払うと紙片を手渡された。日付と名前にパスポート番号、国籍、そして年齢が印字されている。25 Anos……私はもうすぐ26歳になる。ポルトガルでは何歳からカジノに入れるのだろうか。

中に入ると広い空間には客がまばら。ルーレットやポーカーに興じている人の熱気がこもっていて少々如何わしかったブカレストのカジノとは全く違った雰囲気。よくいえば落ち着いて小洒落ているけれど、なんだか寂し気ともいう。50ユーロをチップに換えたけれどまずはバーのテーブルに着いてお酒を注文する。これもブカレストとは大きな違いだ。ブカレストではウェイター、ウェイトレスがひっきりなしに(無料の)酒を運んでいた。うーん、賭け事に夢中になるのではなく静かに語らいながらお酒を飲むのがここでの正しい楽しみ方なのかも知れない。

お酒が運ばれてきた。乾杯をする。
「私、カジノって初めてなのよ」
「実は私もなの」
「私は去年、ブカレストで行ったんですよね。飲み物はタダでしたし、沢山お客さんがいましたよ」
「私は一度だけ、マカオでやったことあるわ。西洋風のカジノじゃなくて、あれはなんていったかしら?サイコロの目が奇数か偶数かで賭けるのよね。それよりびっくりしちゃったのはスタッフが美男子ばかりだったことよ。入り口でみんな一列に並んで挨拶してきたの。思わず眺めてしまったわねぇ。一緒に行ったお友達と『ねぇ、選んだわよね?誰が一番好みかって』ってカジノそっちのけで盛り上がったくらいよ。まぁ、もう随分昔の話だけどね」
なんだかすごいなぁ。私がまだまだ知らないディープな世界がこの地球にはある。

「もう、旅も終わりが近づいてるわね……。寂しいわ。けど、日本に帰ってもこうしてお話ししたいわ。幸いみなさん、首都圏にお住まいだし時々集まってお食事でもしませんか」
「いいわねぇ、そうしましょう。これも縁ですから」
「是非。ポルトガルの思い出を共有した人たちで集まって交流出来るなんて嬉しいです」

冷房がやたら効いていて少し寒い。お酒を飲みながらいつものようにたわいもない話をするマデイラの夜。こんな瞬間や感覚、いつまでも覚えているに違いない。きっと死ぬ間際、走馬灯に現れるんじゃないかしら。辛かった子供時代やロクでもない出来事を上書きするくらいにもっともっと楽しいことを経験したい。ああ、あの夜のこと、あのひとも出てきてほしいけれど、それはそれでこの世に未練を残しながら死んでいくと思うと遣り切れなくて、まだほんの少しだけでも生きていたいと願うのかな。

「さて、そろそろ勝負しに行こうかしらね?」
「このままお話しててもいいけれど、せっかく来たからそうしましょ」
「ルーレットにしますか?ポーカーやブラックジャックは駆け引きが必要ですからね」
「そうね。ルーレットならルールも簡単そうだし。ただチップを置くだけでいいのよね?」
「そうですね。好きな数字や赤か黒かなど選んでチップを置くだけです」

テーブルには我々の外、英国人と思しき数人しかいない。みんな静かにチップを置くとディーラーがルーレットを回し球を投げ入れる。
「No more bet,thank you」
ああ、この感じ……やっぱりたまらない。
「残念、持ってかれちゃったわ」
「私もです。けどまだ始まったばかりですからねぇ」
高配当は狙わず、2倍もしくは3倍にチマチマと少額ずつを賭ける私、少し勝っては少し負けるの繰り返し。けれどこれでいい。儲けるために来たわけではなく、雰囲気を楽しみつつツアーメンバーとの思い出になればいいのだから。とはいっても勝ちが続くとやはり面白くなる。チップは2倍の100ユーロ分になった。
「ミホちゃん、随分儲かってるじゃないの」
「たった50ユーロ程なんですけれどね。このまま続けるかここで止めておくか迷いどころです」
「私、もう全部擦っちゃたわ」
「私もよ」
50ユーロじゃブーツと口紅、両方は買えやしない。ええい、いっそもう全額賭けてしまおうか。36倍の配当を狙って……どの数字に?
1.000ユーロならちょっと考え物だが100ユーロなんて楽しいひと時に遣ったと思えば全然惜しくはないし、もし運命の女神が微笑んだならば今回の旅費が丸々返ってくる。
「やっぱり止めておきます。飲みましょうか。よろしければご馳走させてください」
「あら、いいのよ。お土産やなんかに遣ったらいいわ。けどもうちょっとお話してから帰りましょうか」
「そうしましょう」

さっきまでいたテーブルに戻るとグラスは片づけられていてキャンドルに火が灯っていた。
「なんだか思い出すわね。ベージャのポサーダでジョゼさんと土田さんとバーに行ったじゃない?楽しい夜だったわね」
「あんなこと、これまでで初めてだったわ。添乗員さんやドライバーさんとお酒飲んだなんて」
氷がカランと音を立てた。グラスを握った手が冷たい。
「あ……ミホちゃん、ゴメンね、変な意味で言ったんじゃないのよ。けどね……」
「そんな、お気を遣わないで下さい。私も楽しかったです。いい思い出になりましたし」
「けど、ミホちゃん、空港で本当に寂しそうな顔してたから心配になっちゃってね。今でもよ」
大山さんがそう言うとみんなも頷いた。
「はい……ちょっと今でも、まだ寂しいですけど、こればっかりは仕方ないです。私、どうしてあんなことになったのか自分でも分からないんですよ……」
「ジョゼさん、本当に色男だったわよね。しょうがないじゃない。あんなに素敵なんだから。私だってあと30歳若ければ恋してたと思うもの」
「そうね、私もきっとそうだわ」
「私は夫を早くに亡くしたんだけど、亡くなって何年だったかしら?男の人に惚れちゃったこともあったのよ。子供たちはもうとっくに家庭を持ってたし、一緒になっても良かったんだけど夫は生活に不自由ないくらいのお金、こうして旅行も出来るお金を遺してくれたから……操を立てるっていうんじゃないけど、なんていったらいいのかしら。だけどね、今でもたまにその人のこと思い出すのよ」

ああ……みんな優しい。そして人生をしっかりと生きている。私も見習わなくてはいけないーーそれにしてもこんな話をしてくれるだなんて泣きそうになる。

帰りたくない。けれどグラスの氷は溶けてしまった。