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タトゥー 4

背もたれの高い一人掛けのソファーに反対向きに跨り、背もたれに両腕を回し抱きかかえる状態になった。
「じゃぁ、始めるよ」
私はぎゅっと目を閉じた。そしてすぐに開いた。

思ったより全然痛くない。痛いには痛いが、想像していたような痛みではなかった。中学の頃に好きな人の名前を腕にコンパスで彫った時の方がよほど痛かったし、そういう「引っ掻いた」あるいは「切っている」ような痛みの種類とは違ったし、これまでに経験したことのない、たとえようのない痛みの感覚だった。

なんだ……拍子抜けだ。覚悟していたのになぁ。タトゥーの痛みはどんなものかと想像していたら、中学生の頃背伸びして読んだ本に書いてあったチベットだかどこだかの苦行僧の
「痛みはありますが、苦しみはないのです」という言葉を突然思い出したりなんかして、自分もいっちょ、苦行僧の境地とやらに到ってみようかって思ってたのにな。

今、私の背中はどうなってるのだろう。もうどこまで描かれているのだろう。見たい。
改めて気づいたけれど、背中に入れるということは自分には見えないのだ。本当にここでよかったのだろうか?キレイに仕上がっても鏡越しにしか見えない場所。腕にすればよかったかな、もう遅い。そもそも何故背面に決めたんだっけ……。ああ、ポルトガル。あと2週もしないうちにまた私は彼の地を踏んでいる。リスボンは今何時だろう、今はサマータイムだから8時間前……まだ夜中だ。ホテルの部屋の鏡で背中を眺める自分の姿を想像したーーそんなことを考えている間、時々痛みとKさんの吐息を感じた。

「筋彫り終わったよ。少し休憩する?」
「大丈夫です。けどお疲れじゃないですか?」
「俺は平気だよ。じゃ、いい?続けちゃって?」
「はい、お願いします」
肌に感じた感覚ーーこれには憶えがある。家にある、あまり効き目の感じられない低周波治療器のダイヤルを最大にした時とそっくりだ。ビリビリとした刺激。痛くはない。
「あ~、さっきより全然痛くないですね。なんか、低周波治療器って感じがします」
「あれ全然効かないよな、俺は肩こり持ちなんだけどさ」
「同じです。めちゃ身体凝ってて、硬くって」

「はい、終わったよ、お疲れ様」
彫り始めて30分くらい経っただったろうか。もっとだろうか。時間の感覚がない。肌の少しヒリヒリとした感覚だけがあった。
「ありがとうございます!Obrigada!」思わずポルトガル語が出てしまった。
「消毒の前に写真を撮るね」
店を予約する前から散々眺めたホームページに、私のタトゥーも載るんだなぁ。不思議な気持ちだ。
「ほら、こんな感じ」とカメラを見せた。
ディスプレイに映っている、入ったばかりの私のタトゥー。キレイで感激した。赤く腫れた肌が少し痛々しかったけれど。早く鏡で見てみたい。
「消毒するよ、ちょっと沁みるよ」
うっ…。彫っている痛みより消毒の方がずっと痛かった。
軟膏を塗って、ラップをかけてもらい終了。服は着ない方がいいというので上半身裸のまま煙草を吸っているとインターフォンが鳴った。友達だった。ああ、もうそんな時間か。

挨拶もほどほどに友達は私の背中を見て
「お~!すごいじゃん!いいね」と言ってくれた。
カメラや鏡を使わないと見ることが出来ない私のタトゥー。
修行僧にはなり損ねたけど、ヨガでも始めてみようかな、なんて少し思った。