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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<178>

神秘

部屋の電話が鳴る。何事か。思わず跳ね起きる。
「ハロー?」
「ボン・ディア、グッド・モーニング…...」
「ボン・ディア、オブリガード」
ああ、モーニングコールを頼んでおいたんだっけ。それにしても眠い、眠すぎる。今日は観光なんてせずに部屋でダラダラ過ごし、気分が向いたら散歩に出てショッピングをしたい。仮病でも使って休んでしまおうかという考えが過る。いや、ダメだ。みんなに心配を掛けてしまうし、ただでさえ私はブラックリストに載りかねない要注意の客なのに。

「おはよう、ミホちゃん」
「おはようございます」
「よく寝れた?」
夜遊び組の女性たちも眠たそうな顔をしている。
「あんまり寝れませんでした、眠くって眠くって」
「そうよね、ちょっと遊び過ぎちゃったわねぇ」
昨日カジノで儲けた50ユーロはなにに遣おうか。そうだ、ホテルのバーで今夜全部遣ってしまうのはどうだろう。宵越しの銭は持たない、ってね。私は江戸っ子じゃなくてハマッコだけれど。あのリカルドって人、またいるのかしら。もし会えたらなにを話そうか。

「おはようございます。本日もよろしくお願いいたします。マデイラ島も2日目、張り切っていきましょう。昨晩カジノに行かれた方、どうだったでしょうか?皆様、がっぽり儲けたことでしょうね!」
「ミホちゃんだけ儲かってました!」
「では、南様に今晩マデイラワインを一杯ずつご馳走して頂きましょうか」
「そんなに儲けてませんって!」
みんな笑っている。ああ、楽しいなぁ。仮病を使って寝てようかと思った私はバカだ。もうあと、3日しか残ってないんだから。明日の夜にはリスボンか……。

大航海時代にマデイラ島が「発見」された地、カマラ・デ・ロボス。当時アザラシが沢山生息していたことから「アザラシの部屋」と名付けられたそうだ。チャーチルは戦後、マデイラに2度ほど滞在し、ここのテラスで絵を描いて過ごしたという。

アザラシといえば去年、大岡川にタマちゃんと名付けられたアザラシが出没したと話題になった。あんなドブ川になぜやって来たのだろうか。仕事の帰りにいつもそばを通るけれど姿を見たことは一度もない。どこからやって来たのか知らないがあんな川まで泳いで来たなんてどうかしている。けれどなにかわけがあったんだろう。『キリマンジャロの雪』の冒頭の、山頂で凍てついた豹みたいに。なんともこの世には説明しがたいことが色々あるらしい。神秘と謎の違いというテーマを扱った本をこの間読んだ。謎というのは今はまだ明らかにされてはいないが今後研究が進んで解明されるであろうことで神秘とは人知を超えたあれやこれのことだそうだ。

ああ、私は哲学をするためにポルトガルに来たわけではない。だけどあまりにも怠くて眠くてこんなことでも考えていないと岩場に足を取られて転落しそうだ。「日本人観光客、マデイラで崖から落ちて死亡ーーその謎に迫る」と新聞に載せられては嫌だからしっかりしっかり慎重に歩く。けれど客死したって一向に構わない。そんなアンビヴァレントな感情が沸き起こるのはなぜだろう?神秘ってやつ?それともいつか私の心を見透かす人が現れて
「それはね……」って酒を飲みながら教えてくれるかも知れない。

いくら一人で哲学問答をしたところで眠気は収まらない。困った。ここ、ジランはヨーロッパで一番、そして世界で二番目の高さを誇る岬は霧に包まれている。マデイラに来てからずっと晴天だったけれど、午後には一降り来るだろう。

バスが北部の海岸線を走ると早くも雨が降り出した。地獄の峡谷と呼ばれる狭くてスリップしそうな路…….名もない沢山の小さい滝が流れ落ちて静かに音を立てている。首都のフンシャルと同じ島だとは思えない風景だ。ホラーゲームにこんな場面がありそう。滝壺からモンスターやゾンビが出てきてさ…...。

断崖絶壁の路の終点、ポルト・モニスに到着。溶岩で出来たという自然のプールは不自然なくらいな青緑色をしている。青というより碧。

碧色のプールを眼前に臨むレストランで昼食。昔々、ここにクジラが生息していたので店の名を「カジャロット(クジラ)」としたと店主。アザラシにクジラ……。この島の人々が自然と共存してきたということがよく分かる。

前菜は生ハムとメロン。別々に食べた方が美味しいと思いつつ口に運ぶ。サラダ、フライドポテトと昨日も食べたとうもろこしのフライに続いてメインはマグロのステーキ。うん、これは文句なしに美味しい。日本人のくせに生魚が好きではない私にとってはありがたい。

食後のデザートはバニラアイス添えのプディング。ポルトガルのプリンはだし巻き卵よりは軟らかいけれど卵豆腐より硬い。そして日本のプリンよりずっと濃厚で卵を食べているという感じがする。子供の頃大好物だったプッチンプリンには申し訳ないけれどこっちに軍配が上がる。

ポルトガルの食べ物が全部私の口に合う秘密は謎に違いない。そう思っていれば、またここに来ることが出来る。きっと。謎が多いほど人生の楽しみがある……