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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<210>

Hunger

みんなと一緒に夕食を取ろうか、取らないか、それが問題だ。少しお腹は空いてはいるものの、もしあのひとにディナーに誘われたら食事が楽しめないから。「私はメインだけにしておくわ」だなんて変だし、無理に前菜からデザートまで食べるのもどうなのか。うーん。困った。レストランの客引きに半ば社交辞令であんなことを言ってしまったけれど、それはよくあることだろうからさほど気にはしていない。予約したわけじゃあるまいしさ。

ジョゼさんと私がこの街のどこかで食事を一緒にするなんてことがまるで想像出来ない。この2週間、マデイラでの3日間を除いてずっとジョゼさんは我々と一緒に食事を取っていたけれど、同じテーブルで話をしながらなんてことは一度もなかったし……。あのひとも好き嫌いはあるのかな。私が日本人のくせに生魚が一切ダメなように、ポルト名物の臓物煮込みはどうしても食べられないとかさ。E旅行社のツアーではいつも美味しいものばかりが出るといつかツアーメンバーたちが話していたけれど、やれ名物料理、高級料理だのいわれても自分の口には合わないものもあると思う。私はポルトガルに来てからこりゃ不味いと思ったものはほぼなかったのだけれど、健康上の理由や宗教上の理由などではない偏食は恥ずかしいことで、残すのは作ってくれた人にも食べ物にも、一緒に食事をしている人にも申し訳ないと思ってしまう。他の人の好き嫌いに関してはなんとも思わないのに。ああ、やっぱり私は冒険などせずに自分の好きなもの、間違いのなさそうなものだけを注文するのがいい。

ホテルの前に夜遊び組の女性と門田さん、小林さんがいる。彼らもちょうど戻って来たばかりのようだ。
「ミホちゃん、またお散歩してたの?」
「まぁ、そんな感じです」
「そうなの、なんか面白いものあった?」
「いや、ここらを少し歩いただけで、特になにもなかったです」
「私たち、路面電車にチャレンジしたわよ。ロシオ広場の近くのなんとか広場から乗って、サン・ジョルジェ城まで行ったの」
「笑い話なんだけど、運転席の上にある表示に『プローシマなんとか』って出てたからてっきり停留所の名前だと思ってたら、いつまで経っても変わらなかったのよね。ずっと、プローシマなんとか。心配になって『サン・ジョルジェ城?go?』って運転手さんに訊いたらイエス、イエスって頷いて。無事に着いたときはホッとしたわ。プローシマなんとかってのは次の停留所って意味じゃないかってタクシーに乗ってる途中で気付いてみんなで大笑いよ」
「サン・ジョルジェ城からの眺め、素晴らしかったわよ。ちょうど陽が落ちてね。目の前はテージョ河でしょ、それに段々と家の灯りが付いて。夜だなぁ、って」

ああ、みんなリスボンを、ポルトガルの最終日を楽しんだのね。私も路面電車に乗りたかったなぁ。サン・ジョルジェ城から見る夕日、たまらなく美しかっただろうな。

「ミホちゃん、夕飯はどうするの?私たちはホテルで取ろうと思うけど」
「あ、もう、8時少し前ですね」
「どこかで食べて来ようかなって思ったんだけど、ちょっと疲れちゃったし、お店を探すのもあれだからって戻って来ちゃったのよ」
「この辺り、結構レストランありました」
「そうなの?どうしましょ」
「僕はホテルで取ります」
「迷うわね。どうします?」
「私もホテルで取るわ。明日は早いし、ゆっくりしたいから」
「そうしますか。レストランは確か地下だったわよね」
「そう、地下」
ああ、どうしよう。とりあえずはあのひとから連絡があったか確認したい。
「私、ちょっと遅れて行きますね」
「そういえば夕食ってビュッフェ形式なのかしら?土田さんはなんて言ってたかしら?」
「夕飯は7時半ってことしか言ってなかったわよねぇ、確か」
「そうよね。食いっぱぐれたら大変だから急ぎましょ」
「明日は朝食抜きで出発だものねぇ」

「私、ロビーで一服してから行きます」
「うん、来てね」
「はい。ではまた後で」

一服もしたいけれど、その前にフロントに行かなきゃ。トランクを手にしチェックインしている人の後ろに並んで待つ。
「すみません。223号室の者ですが、伝言を預かっていませんか?」
さっき対応してくれた人が見当たらないので別の人に声を掛けた。
「ボア・ノイテ、セニョーラ。少しお待ちください……いえ、預かっておりません」
「オブリガーダ…….誰かが私を呼び出すことがあれば知らせてください」
「かしこまりました、セニョーラ」

ああ、不安でいっぱいだーーロビーのソファーに座って煙草に火を付ける。ああ、お腹が鳴った。食欲なんて全然なくなってるのに。