[古着陰謀論]
兄貴は心配です、妹が比較的露出の高い服を着ていて。
25歳になった。ネクライトーキーではなくjazz dommunistersを聴きながら、帰りの車の中でひっそりとそれを迎えた。15歳が10年も前なんて信じられない。いや、そんなもんか。鹿や馬が生まれてすぐに走り出すことや、小さな虫にも人間と同じ使用目的の器官として眼や耳があることのほうが到底信じられないが、そんなことはどうでもいい。
音楽で世界を変える?スポーツでみんなに勇気を与える?じゃあ政治家になればいいのに。音楽よりもスポーツなんかよりももっと早いだろう。「古着で群馬を盛り上げる」みたいなヌルいことを吐かす人がいたらしいが、それこそつまらない市役所のジジイが考えつきそうな浅知恵である。そもそも古い服はそんなに崇高なもんでもない。カルト宗教やバブル経済みたいなもので、本質的な価値はなく、ただ希少性と知名度に基づいたマネーゲームである。それだとしても、最近よく思うことがあって。
たとえば、フランスの灯台守が使用していたコートと説明された商品があったとしよう。それを買おうとするとき、その話、あなたはどこまで信用する?買い付けるとき、仕入れるとき、売るとき、誰が間に入って、誰が嘘をついているかわからない。ただのデパートに売ってるコートをボロく加工したものかも。死んだ軍人からひき剥がしたものかもしれない。全部嘘かもしれないよ。
意地悪なことを書いたが、そこの証明はたぶん無理で、古着の価値は性善説で成り立っている。インターネットの普及によってビンテージ品の見分け方なんかを紹介するメディアも増えたけれど、それは一体どこにソースがあって、誰が確認をとったのだろうか。まるで陰謀論のようだが、66前期なんて、悪魔の数字にリーチじゃんね。
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