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入院生活記録②「手術の前後、その次の日」

5月10日
しばらくして看護婦さんから準備が整ったと伝えられ、いよいよ手術にむかうことになった。おそらくもう明け方だった。

日曜日だったので病院も人手が少ないらしく、私の横たわる大きなベッドを看護婦さんが一人で押してくれて廊下を進む。角を曲がるたびになんとなく不安定さを感じたりしながら、エレベーターに乗って出ると手術室前の部屋に辿りついた。

貴金属をつけていないかなど看護婦さんの最終確認をいくつか終え、「ではいきますね」と大きな扉が開いた。そこには何人もの先生たちがドラマで見るような感じの手術着を立っていた。

すぐに手術台にまた這うように移り、眩しいライトの下で仰向けになる。その時に腹部に何か印のようなものを書かれたりもしたと思う。
本当にこれから手術を受けるんだな、お腹を切るんだなと改めて思っているうちに、右腕に注射を打たれた。おそらくそれが全身麻酔だったようで、すぐきれいに意識がなくなった。



そこから数時間がが経って、自然に目が覚めた。
周りを見ると、大きめの個室のベッドに寝ていた。体に疲労感はあるが、腹部の痛みはかなり和らいでいるようで、ようやくしっかりと眠れて頭はすっきりした感覚だった。

少しして看護婦さんがお疲れ様でしたと言いにこられて、バイタルを測ったり痛み止めの注射をしてもらう。そのときは手術のことが気になりつつも自分からは何も聞かなかったが、入れ替わりで来てくれる看護婦さんたちの表情や言葉などから、無事に成功したんだと思った。

荷物の整理を少し手伝ってもらい、持っていたお茶と携帯だけ近くに置いてもらった。依然として喉がカラカラに渇いていて、もうお茶は飲んでいいのかと聞いてみたが、今日はまだ水分も食事も摂れないですと言われ、心の中で深いため息をついた。


点滴などをつけてもらい、一通りのことが落ち着いたので携帯を開くと、Twitterにかなりの数の通知とコメントが来ていて、そこから心配してLINEを送ってくれている人もいた。

とりあえず心配してくださっている方に手術を終えたことを伝えなければとは思うが、体がまだ思うように動かないのと気持ちもどっと疲れていたので、ラインをくれた方だけ先に少しずつ返していく。入院中は孤独ではあったが、こんな私にも心配してくれる人がいたんだと、じんわり胸が熱くなった。

長時間画面を見つめるのがまだしんどかったので、一つ返信文を書くごとにしばらく休んで、その間にまたtwitterの通知が増えていたりするのを眺めていた。よく知っている人から久々の人やまだ会ったことのない人まで、心配や激励の言葉が並んでいて、全て目を通していた。なんだか大ごとに思われているようで若干心苦しさはあったが、そんな優しい世界にいたんだなと改めて自分のいる環境や生きてきて支えてもらっていることに感謝できた。


そうこうしてあっという間に夕方になり、夜勤のナースさんが今日担当の者です、と挨拶に来た。手術後の説明はもう受けましたかと聞かれて、まだ特に何もと答えると、「腹腔鏡下手術を受けられる方へ」と書いてある用紙を持ってきてくださった。

目を通すと、手術前後の水分や食事、入浴など、いつからどのように元の生活に戻していくのかといった大まかなスケジュール表だった。普通は手術前日から入院して、そこで渡されて心構えをしておくためのもののようだが、私は緊急手術だったので終わってから渡されたのだろう。

用紙にしたがって、水分摂取は今日の夜から開始で明日の朝に歩行を試してみること、食事は明日の夕食から、ただし最初は流動食からだんだん常食に近づけていくこと、明日からシャワー浴ができるようになることなど、なんとなくの流れを説明してもらう。改めて自分はれっきとした病人だったんだと実感する。


その日の夜は、リモコンでベッドの頭の高さを上げればようやく上体を起こせるという感じで、なんとかベッド上で歯磨きとうがいを自力で行い、念願の水も吸飲みをつかって飲めるようになった。しかし看護婦さんが吸飲みに入れて持ってきてくれるのは市販の水や蒸留水ではなく病室の水道から汲んだ水道水で、正直味は美味しくなかった。

それでもまる一日以上ぶりに口から水が飲めることに感動して、少し気を使いながら夜間に看護婦さんが点滴の確認に来るたび、何度も何度も水道水のおかわりを頼んだ。いくら飲んでもすぐに喉が渇き、吸飲みをとって飲むたびに体が痛んで体力を消費する感覚。しかし水を飲んだ瞬間だけ身体中に染み渡るようで、その水道水が渇き切った砂漠の唯一のオアシスであった。


その日の夜中は全く一睡もできなかった。手術でで悪くなっていた部分は取り除かれたはずなので痛みは軽減されているものの、少しでも体を動かすと腹部が痛み、横を向いた状態も寝返りを打つこともまだ厳しかった。

そして腕の角度によっては点滴が上手く落ちなくなってしまうのであまり腕を傾けないよう気をつけていたり、喉が絶え間なく渇いてしまい、水を少しずつ大事に飲みつつもナースコールは押さず看護婦さんがきたときに水を汲んでもらおう、など色々なことを考えていたら眠くても眠れなかった。
水を飲むか時々携帯を覗く以外はすることなく、痛みを伴うので動くことも最小限にとどめるようとにかくじっとしていた。


5月11日朝
寝付けないうちに外はいつの間にか明るくなり、6時に定時の点滴から入院初日の朝が始まった。

あとで看護婦さんと一緒に立ち上がって歩いてみるという説明を受ける。その日まだ痛みと体の重さで一睡もできていないくらいだったので、こんな状態で起き上がって歩くとは結構ハードなことを言われていると思った。

昼前には看護婦さんも日中の方に交代し、早速起き上がってみることになった。ゆっくり横を向き、体を起こして足を下ろす。声には出さなかったがかなり痛かった。素足に靴を履いて、ベッドの柵と看護婦さんに支えられゆっくりと立ち上がれた。そして看護婦さんの支えと点滴の台に頼りながら、かなり少しずつではあるがなんとか一歩ずつ歩くことができた。

「歩けそうですね。ではここからはトイレや買い物も一人でいけますし、毎朝お風呂の予約を受付でとってくださいね」と言われ、いきなり放牧された感じになった。たった今やっとつかまり立ちできたようなものだが、気づいたらもう自立をせかされているような子供の感覚だった。

そして、今いる個室は一泊3万6千円もするらしく、手術当日はどの部屋でも無料であるが、次の日からもう少し安い部屋が空いていたらそちらに移りますかと聞かれた。なんとか歩けるようにもなったのでその日の昼からは空いている4人ほどの相部屋に移ることにした。

同じ部屋のそれぞれの患者は、カーテンで仕切られているが、声ややりとりは丸聞こえで、顔は見えないが若い人やお年寄りなど様々な人が同じように入院しているようだった。

相部屋に移ったその日、隣にやたらとナースコールを押すおばあさん(推定)がいて、断るごとに精神科の薬が欲しい、水を汲んできて欲しい、などと看護婦さんをイラつかせているのを聞いていたので、せめて自分は入院生活の間だけでも手のかからない素直な患者であり続けよう、と心に誓った。


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