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入院生活記録③「退院までとその後」

5月11日夕方

入院して寝たきりの状態から丸1日経つと、無事になんとか歩行することが許され、最初は点滴の台と手すりに体重を支えられながらであったが一人でゆっくりと歩くことができた。と言っても初日であったのでまだ体力がなく、10m程離れたトイレや洗面台まで一回往復するたびにヘトヘトになりしばらくまた横になるという感じだった。

大半を過ごすベッド上でもやることは少なく、日中少し寝ようと思っても体は疲れているのに全く眠れなかった。持っていた単行本と携帯を交互にそれぞれ飽きるまでみて時間が経つのをただ待つ。こんなに1日が長いと思うことも今まで生きてきてあまりなかったと思う。

そしていよいよ夕方から食事が始まった。カーテン越しに係の人の声がして失礼します、と食事を持ってきてベッドの上のテーブルに置いてくれる。運ばれた日の昼から数えて丸2日は何も食べていないので、当然お腹は空いているのだが、気持ち的に食欲はほぼなかった。しかしやっと何か口に入れられることは嬉しかったが、運ばれたそれを見て一瞬言葉を失った。


お盆に乗った皿は、全て形がない流動食と呼ばれるもので、事前に話には聞いていたがご飯もおかゆの上の部分の上澄みだけを抽出したもの、具の入っていないコンソメスープ、もう何かもわからない色のおかずらしき皿が2つほど、そして市販のプレーンヨーグルトが乗っていた。予想はしていたが予想を超えた見た目のインパクトというか、改めて「病人」の2文字を突きつけられている気がした。

お粥の上澄みの重湯は一口食べてみたが本当に不味くて、しかもそれが大きなお椀にいっぱいつがれて、とても全て食べる気にはなれなかったし、他のおかずとヨーグルトも一口ずつくらい食べて気持ち悪くなってしまい、結局具なしスープだけ飲んで全く空腹は満たされぬまま終わった。


12日朝

一日中横になってほぼ動かないからか、もう入院から体内リズムがかなり狂っている。この日も朝の6時の点滴までほぼ眠れず、昼前まで寝るか寝ないか分からないくらいの意識でぼーっとして、あっという間に昼ごはんの時間になった。歩くのは少しづつスムーズになり、速度もまだゆっくりだが50mほど離れた受付までなんとか一人で行けるようになり、そこで初めて所定の用紙にお風呂の予約を書いた。


お風呂は朝9時ごろから予約できるということで、夕方までの好きな時間に入ってよかった。入院中はやることもなく天国か地獄のような暇の極地であったが、点滴と食事が1日3回ずつそれぞれ朝昼晩にあってどれも1時間ほどは様子を見なければならないと考えると、意外と入浴のタイミングは難しかった。入浴が一回30分枠であったのであまりゆっくりはできなかったが、16時ごろやお昼ご飯前のタイミングなど割と空いていて毎日そこらへんで入ることにした。

入浴初日まで丸2日お風呂に入れておらず、腹痛やら一連のことで変な汗をかきまくっていたので体が気持ち悪くて仕方なかった。まだ湯船に入れずシャワー浴のみであったが、やっとのこと髪の毛や体を綺麗に洗うことができ、ここ数日の色々なものを一旦リセットしたような爽快な気分だった。

この最初のお風呂に入るまではずっとどこか気が滅入っていて、看護婦さんやお医者さんと話す時も「ザ・病人です」という顔をして髪の毛もボサボサで肌もペタペタと見た目から汚らしい自分に、あらゆる恥じらいの気持ちも人間らしさも失せていた。だがお風呂に入って清潔になったら普通の人間の心をを取り戻したように少し動きや話し方も軽くなり、やはり清潔でいることで人としての自尊心やメンタルは保たれるのだなあと思った。


そこからは退院までほとんど同じスケジュールで、点滴・食事・入浴を同じ時間で繰り返す日々だった。食事は徐々にお粥の水分量が変わってきて、3分がゆ、7分がゆ、となって、ご飯がお粥の時はどんなに硬くなってきてもあまり美味しいと思えなかったが、おかずは早い段階で普通の見た目のものになり美味しく食べることができた。そして最後に常食になって、普通の白米を食べれた時はこの上ない幸せとお米のありがたさを身に染みて感じた。

あまり動けなかった初日から比べると食事も食べれるようになって飛躍的に体力も回復し、入浴した後くらいにはトイレや受付までの距離だけではなくエレベーターに乗って下の階のコンビニまで買い物にも行けるようになった。最初にコンビニに行った時はまだ流動食のようなものしか口にできていなかったので、本当はよくないが内緒でどら焼きを一個買って食べたりしていた。(普段ならお菓子を買うときはチョコレートとか洋菓子しか買わないのに、その時はどら焼きが一番食べたかったというのもやはり体力によって嗜好も変わるんだなと思う。)


そんなふうに徐々に体力と共に歩く速度も上がり、ほぼ自由に歩き回れるようになってからは、気分転換とリハビリを兼ねてコンビニに何度も行くようになった。急な病院生活だったので入浴や洗顔料やくしなど生活必需品を買ったり、お粥が食べられない分ちょっとしたサラダやおやつを買ったり、暇つぶしにちょうど良さそうな本を買ったり。


後半は体力はほぼ有り余っているのにどこにも出掛けられず、コンビニとそのそばにはオープンテラス的な新宿が一望できる休憩所があり、そこでずっとパソコンを開いて英語の勉強をしたりしていた。回診で毎日不定期にやってくるお医者さんには「またいないな。佐藤さん(本名)はいつなら病室にいるんですかね〜」と言われているのをたまたま病室に戻る瞬間聞いてしまったくらい、元気になってきてからは1日の大半をこのコンビニのフロアで過ごした。

そして大きな都心の病院ということもあってか、普通のコンビニよりも美味しそうなものの種類が豊富で、あたたかくしてある手作りパンや日替わりのお弁当や惣菜など、元気になったら色々買って帰りたいものを物色するのは楽しかったし、旅行先でお土産を物色するような小さな喜びでもあった。


そんな生活のリズムにも少し慣れてきてたころ、術後の経過も良好ということで15日土曜の朝に無事退院できることになった。

「何もなければ明日の朝に退院できます。おめでとうございます。」

腹痛で運ばれてから4日経った頃、先生や看護婦さんにも口々にそう声をかけられた。体力はかなり回復して一日中病室にいるのも飽きた頃だったので、もちろんそこから出られる嬉しさがあったが、少しだけこの特殊な生活が終わってしまう寂しさもなんとなく感じた。


手術から1、2日目までは動くことも声を出して喋ることにもエネルギーを消耗されてしんどかったものの、声がやっと出るようになったくらいの時にやっと職場に電話をして、色々とご迷惑をおかけしたことへの謝罪と、復帰の時期や病院から言われている注意点などについて上司に伝えた。

退院の日が決まったくらいに「退院後の生活について」という説明書きを渡され看護婦さんと一緒に確認したところによると、お腹の手術跡の傷が安定するまでは腹部に力を入れて圧をかけたり、湯船に使ったりすることは避けてくださいとのことだった。仕事で腹圧をかけるような介助の場面もいくつかあったので、そういった作業がしばらくはできないことを上司に伝えると、「他のスタッフにも伝えるからできることから始めていこう、無理しないで」と上司の優しさにも心救われた。

今まで職場が嫌になる時もたくさんあったが、こういったピンチの時に職場で助けられて、治療中ずっと心配して待ってもらって、復帰後も安心してフォローしてもらえる場所で働いてこれたのは、改めて幸せだと思った。

明日退院かという感傷に浸りながら、前日の夜は公開されたばかりのB'zの稲葉さんとミスチルの桜井さんの1時間以上の対談動画をフルで見ていて、病室は消灯し他の方の寝息もカーテン越しに聞こえる中、イヤホンで静かに聞いていてなかなか興奮で寝付けなかった。


いつの間に眠っているうちに夜が明け、退院当日は早朝から少しずつ荷物の整理をし始める。朝10時に実家の家族が迎えにきてくれ、あっけなく病院とおさらばした。病院の人たちはこんな患者の出入りを毎日当たり前のように繰り返しているのだろう、特に主治医さんたちの説明や病院の人の見送りなどドラマチックな演出もなく、事務的な最後だったと覚えている。職場としての病院という世界の構造を垣間見れたのもいい経験だった。


車で実家へ行き、手術や入院の時の話を家族にした。久々の病院の外の空気、景色、全てが普通のはずだが心なしか色鮮やかだった。すっかり病院食などのヘルシーなものが体に馴染んでしまい、そうめんか何かが食べたい気分だと言ったら冷やし中華を買ってきてくれてみんなで食べた。実家に帰るといつも時間が本当にゆっくり流れていくようで、頻繁には帰らないがお正月などたまに行くと何かを取り戻せるような場所だ。その時だけ忘れかけていた子供の気持ちに帰っていた。


十分実家でゆっくりして車で送ってもらい、自分の一人暮らしの家に5日ぶりに帰った。ふと一人になりこの5日間のことを振り返ると、改めて壮絶な体験をしたということ、そしてこれからの自分の体や仕事や人生のことを思いつつも、本当に周りの人に支えられているなとしみじみ思う。


数日後から職場でできることだけさせてほしいと自分の強い希望で復帰し、その時も本当にみんなが心配してくれて、先回りして色々なことを手伝ってくださった。Twitterで退院の報告をするといろんな人がコメントやいいねでお祝いしてくれた。家族も心配して時々電話をくれるようになった。社会人になってからは自分で自分の生活を工面するようになって、一人暮らしも長くなり、孤独というかもうたった一人で誰にも頼らず生きているような顔をしていたが、普通に生きているだけでたくさんの人と関わりを持っていることに今回気がつけたのは大きかった。


退院から1ヶ月経った時にまた再受診して、ようやく詳しい病名や手術について説明を受けたのだが、「子宮内膜症」という病気を私は元々持っており、今回これが卵巣の中で良性の腫瘍となり、それが破裂したことで激痛が走ったとのことだった。
手術でその腫瘍の部分を取り除いてもらい、今回は大事には至らなかったものの、内膜症をもともと持っているためまたこのように他の場所に転移して腫瘍になったり他の病気を伴う可能性もあるため、薬を飲んで治療していくことになった。
この内膜症は完治は難しいらしいが、薬を飲むことでひどくなったり合併症を起こすことを抑えることはできるらしい。ただしこういった子宮や卵巣の婦人科系の病気には全く知識がなかったので驚いたが、この薬を飲んでいる間は妊娠はできないとのことだ。(そしてこの受診で判明したが自分は子宮の形が奇形もあり、普通の人よりも妊娠しずらい体だということも説明された。)

そのためまだ妊娠することもできる年齢でこの薬を飲むという選択は簡単ではなかったが、他の合併症や命の危機などを考えて、私は薬を飲んでこの病気と付き合っていくことにした。女性には子供を産むという選択肢があり、それを望む女性も多い中、私は今まで子供がほしいと強く思ったことはなかったのだが、その選択肢が普通の人よりも狭まっているということに正直ショックはあった。今も完全に受け入れたというよりはふわふわした感覚で、いざ将来子供を産みたいと思った時には薬をどうしたらいいのかなど、まだ疑問に思うことも色々ある。


ただ、今回まず一度は自分の命の危機も覚えるくらいの痛みと感覚があって、そこから手術と治療により5日間でほぼ元の生活に戻れたこと、そこでわかった健康の大切さや周りの人たちの暖かさ。色々な出来事と奇跡が積み重なったのは、偶然のようで何か見えない力が私に教えるために用意してくれた機会であったようにも思う。

復帰してまず誰かに伝えたかったのは、私のように今までほぼ病気もしたことがない人は「自分は大丈夫だ」と思っている人が多いはずだが、それは本当に間違っているということ。いつ何が起きるかは神のみぞ知る、今回私は予想だにしなかった「病気」という形だったが、いつ何の試練があなたに襲いかかるかはわからないのだ。


この腹痛がなければ産婦人科に行くこともしばらく頭になかった私が、これからは当然定期的にいくことになるし、他の体のことも気になるので、ちゃんと気にして検診したり、規則正しい生活リズム(これはすでに怪しいが)も気をつけていきたい、きっかけで価値観はいくらでも変えていい。何より大事なのは健康、あなたの体だと今一番伝えたい。


大変長くなりまして、そして書き切るのにめちゃくちゃ時間がかかりましたが、今回入院生活を振り返って記しておきたかったことです。

今ほぼ普通の生活をしていて調子に乗りそうになりますが、私は病気と付き合いながらこれからの人生を送ることになったので、そこにあまりネガティブにもならず、健康には後悔のないくらい気を使いつつ、そして目一杯人生を生き切ることが大切だと思っています。


こんな長い3部作日記、もし読んでくださった方は本当にありがとうございました。お互い、健康を舐めると怖いんだというのを頭に入れつつ、コロナ社会にも順応しつつ、悔いのないように生きていきましょう!


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