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ネットニュースの品性と、感情のうねり

前からライティングに興味を持っていたのもあり、実は最近ライターや編集に関する講座を思い切って受講し始めた。授業はまだ数回目なのだが、有名な雑誌やニュースサイトの編集長、一流のフリーライターの方などの貴重で実のあるお話が毎週たくさん聞けてとてもやりがいがある。
今は情勢もあり授業はオンラインであるが、普段会えないようなお忙しい方々にチャットで直接気軽に質問できるのは、刺激的で面白い経験だ。

そんな中でつい数日前、とある雑誌の編集長を長年勤められている方の講義があり、ネットと紙媒体の記事における意識の違いの話がとても興味深かった。
やはり雑誌の世界も、年々紙よりネットの需要が増えてきているようで、ネット媒体の記事を作るときにどうしたら読んでもらえるのか、という話題の中でこんなお話をされていた。

「たくさんの人に読まれたり、広く話題になったりする記事というのは、怒り、悲しみ、喜びなど、何らかの感情を刺激するフックがある。」


実はわたし自身、最近ネットで色々なニュースを見るたびに「感情を刺激される」ということを痛感していた。

例えばコロナの感染者が爆発的に増えていて、私の知っている人にも陽性になった、濃厚接触者になった、という人が毎日出てきており、自分もいつ当事者になるかわからないという緊張感の中で毎日生活している。

加えてわたし自身、“介護士”という医療現場や高齢者にも近い場所で普段働いていて、なおかつ“音楽”の活動をしている(今は休止中)のもあり、双方に関わる知り合いがいたり、さまざまな意見、立場、心情が聞こえてきたり、常にどちらの意見も尊重してわかっていなくてはいけない立場だとも思っている。

そうゆう意識が常にあって、どこか気付かぬうちに気を張っている部分があるのか、最近ネットで目にする情報の一つ一つにやたらと神経質になるというか、感情がささくれ立っているような気がしていた。

例えば五輪や大きな音楽フェスが開催されたというニュースをとってみても、わたし自身何年も前から地元の東京で五輪を見れることが楽しみであったし、また有名音楽フェスにお客さんとして毎年参加している人や関わっている人が周りもいたり、そこに大好きなバンドが出演していたり、自分としてはそういったイベントについて好意的にみたいという気持ちもある一方で

この情勢、そして医療が切迫している状況下で、自分の仕事場の介護関係の人たちは本当に必要最低限のこと以外は控えている人ばかりである中、「なんでこの時期にわざわざイベントをやらなければならないのだろう」と思ってしまう気持ちも少なからずある。そしてそう思ってしまう自分のことも嫌になったりする、そんな繰り返しの日々だ。

そういった板挟みの心情が常にある中で、たまたま目にしてしまうネットニュースも、それらの不安や怒りなどを煽るような言葉や表現が使われていたり、要らぬ方向への怒りや政府に対する懐疑心を掻き立てられたりする。

さらにそれを見た私もついついtwitterでなんだか刺々しい言葉や怒りを呟いてしまったり、それを見てきっと悲しんだり気分が悪くなったりする人もいるかもしれないと後で考えては、なんだか嫌な連鎖が生まれてしまった気持ちになることもある。


今起こっていることや政治などのニュースに関心を持つのはむしろ善いこと、正しいことなのかもしれないけど、そういった情報を追って自分で意見を紡ぐごとに、自分が誰かに対して「嫌なやつ」になっていないか?不安で仕方がない。

ある意味でネットニュースやネットに出る記事というのは、そういった人の感情を刺激して、SNSで拡散して、議論を巻き起こすことでこそ、より見られる記事にもなるし、話題にもなる、それこそが成功でありいい記事なのかもしれない。

その講義を受けたときに授業をしてくださった編集長の方に、「メディアの品性が問われることがあると思うが、それについて考えられていることはありますか」という質問を投げさせていただいた。それはやはりその方も常に考えることが多い課題だそうで、きっと編集やライターの業界でしっかり仕事をしてきた人たちにとっては共通のテーマなのだとも思う。

「ものをかく」という行為やそれによって誰かに何かを感じてもらうことに、とても興味がある。一方で、いわゆるPV稼ぎだけを狙ったゴシップばかり追いかけているような、下品な雑誌のようなことはしたくない。
ただそんなゴシップの中にも政治における汚職や芸能人の不倫などが大きな社会への問いかけを提示していい方向に影響を与えることもあるし、ゴシップや他人のプライベートを追うことが一概に悪だとも言えない。

そういった刺激的な記事に興味や関心がそそられてついクリックしてしまう、そして感情をかき乱されるのも、ある意味メディアの思うつぼでもあるが、読者側としてもなかなか中毒性があってやめられない。最近は自分がそこに振り回されすぎてるような気もして、私自身は少し疲れてきたようだ。


ネットニュースやネットの記事に関しては、一定のバイアスがかかっていたり、なんらかの意図を持って編集されているという可能性を常に頭に入れながら、できるだけ俯瞰的に冷静に見て情報を自分で精査していけるようにしたいなと、こんな混沌とした時代だからこそ思う。

コロナとかワクチンとか、左とか右とか、今日は何人が感染して街はそれでもこんな様子でしたとか、今日政治家が芸能人がこんな不祥事をしましたとか、毎日色んな情報が錯綜して流れてくる。
世の中があらゆる方向に渦を巻いて、毎日毎日いろんな感情が至るところでぶつかり合う。その中で情報を選び取りながらも、誰かを不用意に傷つけたり、責めあったり、自分を必要以上に大きく見せたり、そういったことをうまく避けながら、できるだけ常識と正気を保っていたい。

とりあえずは、自分のやりたいこととやるべきこと、自分自身の生活に集中しようと思う。個人的な今の目標は英語とライティングのスキルをコロナ期間に身につけたいと思ってます。息抜きにネットニュースを見るけど、そこに必要以上に飲み込まれたり、生活や感情を狂わされたくはない。
辛いなと思うことはあるけれど、まずは命や周りの大事な人のことを大切に、この時代においてできること楽しめることをとりあえず一生懸命やっていたい。こんな大変な嵐のような時代ですが、皆さんもどうか正気で立っていてくださいね。

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