見てるのは分子の実像か虚像か

有機化学という分野の研究は、とりあえずものを作ってみることが大前提だ。ただし、このものというのが分子という目で見えないとても小さなもので、本当に実在しているのか定かでない。いや、実在していないとそもそもこれまでの有機化学とはなんだったのか、ということになるのだけど。

構造有機化学という怪しい分野

有機化学の分野は大きく、ものを作る新しい反応を作り出すか、新しいものを作り出すかの二つに分けられる。そのうち、後者は新しい分子の「形」をデザインして新しいものを生み出す。考えてみればこれはとても危ういものだ。なにせ目に見えない。本当に考えた通りの設計になっているのか、目視で確認しようがない。だから我々は、間接的な方法をとる。その形をしているであろう「分子」がもつ性質から、その「形」であることを類推する。他の「形」をしている可能性を排除していくことで段々その形をしていると確定していく。

そもそも分子は原子の集合体だ。原子は物理をかじったことのある人なら聞いたことがあるかもしれないが、粒子と波の両方の性質をもつという、どういう存在か全く理解不能なものだ。これが寄り集まっている。たとえば波のものが寄り集まったところで形をもつかどうか、甚だ疑問だ。

形を見ているのか、電子の通り道を見ているのか

X線構造解析という解析法がある。これは分子の形を一発で「見ることができる」ので、化学者は分子を見た気になれる。しかし、実際やっていることは、X線が「何か」にあたって散乱し、それが作り出す強弱豊かな点をX線構造因子という関数を使って計算している。そこで見えるのはぼ三次元の空間に広がる雲の模様だ。その雲の大きいところの中心に原子があるとし、その原子同士の距離が近いとそこに結合があるとする。したがって、X線構造解析で見ているのは原子ではなく電子の通り道、いわゆる軌道だ。原子の集合体である分子を我々は、言葉は悪いが「作り上げて」見た気になっている。AFMなどの電子顕微鏡もそうだ。実際には原子同士の反発、すなわちクーロン反発を利用して、反発の度合いを見ているにすぎない。
そもそも原子にはハイゼンベルグの不確定原理というのが存在する。原子の位置と運動量は一定に定まらないというものである。我々は何を見ているのだろうか?

それでも分子をデザインしていく

これほど存在があやふやなものを作っていくのは難しい。しかし、研究者たちはこれまで、その形があると信じて研究を行っていて、事実、その形の通りの性質を作りだしてきている。これまで積み上げてきた先人の知識をもとに、これからも分子の形を考え、新しい分子を生み出していくしかない。ただ、その前提として、分子の「形」というものが想像上のものかもしれないという考えはもっていた方がよいと思った。

昨今の研究不正について、思うことがあり、考えてみた。

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