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Isolation、夏の入り口、屋上にて。【2000字改訂版】

あれは、僕が大学に入りたてで、まだ「学生寮」に入っていた頃のことだ。
田舎の大学だったけど学生寮はさらに田舎にあった。
夜のアルバイト上がり、終バスまでに乗って帰るというプランはほぼ絶望的で、夜遅くに人のいない田舎道をとぼとぼ歩いて帰るのが日課になるようなところだった。
当時、寮にはエアコンがなく、夏になると暑すぎる部屋を出て屋上で風に当たっていたのだけど、周りは山と田んぼばかりだったのでそれでなんとかなった。

寮には話の合う 1 つ上の先輩がいた。
話が合うといっても無口な人だったのでほとんど話さなかったし二人ともアルバイトが忙しく寮で会うことはほとんどなかった。でも、何となく通じるような気がする人だった。

 ・・・

そして最初の夏が来た。

夏は大抵そうだけどその年も夏は突然やってきた。
梅雨が明けたと思ったらカンカン照りの雨の降らない日が何日か続き、授業のない日はアルバイトばかりしていた僕はもうすっかり真っ黒に日焼けしていた。

そんな日曜の夕暮れ時、バイト早上がりだった僕は早めに寮の風呂に入ってから部屋でエリック・クラプトンの「スロウ・ハンド」を聴いていた。
夏の夕暮れ時に乾いた歌とギターを聴いていると無性にビールが飲みたくなったが切らしていた。寮の冷蔵庫は共同なので少ししか買い置きができないし、コンビニエンスストアでさえ歩いて相当行かなければならなかった。

ビールを買いに行こうかどうしようかとぼんやり考えていると、ちょうど「コケイン」のイントロが始まった頃にその先輩が僕の部屋にやってきた。そして、さっきまで冷蔵庫で冷やされていたと思われる6本組のビールを見せて、

「もらったビールがあるから、一緒に屋上で飲もう。」

と言って、僕を誘ってくれた。
ふたつ返事でその計画に賛同すると、先輩は僕にビールを渡し、

「ちょっとギター取ってくるわ。先に上がっといて。」

と言って自分の部屋に戻って行った。

僕はそのビールを持って屋上に上がり、縁に腰掛けて先輩を待った。
すっかり暗くなった屋上で何もすることがなかったので、ビールに付いた水滴がたがいにくっついて少しずつ大きくなり、垂れて落ちていくのをボンヤリ眺めていた。

宙ぶらりんな気持ちとは、こういうことを言うのだろうな。
限りなく自由で、限りなく不安でもある。それはひとつの物事の別の側面なんだろう。

しばらくすると、その先輩がギターを持って屋上に上がってきた。
僕は6本組のビールをばらして先輩に渡した。

「今日も結局、雨、降らなかったな。」
「そうですね。今日も本当に暑かった。」

僕らは寮の真っ暗な屋上に吹く夏の湿度をたっぷり含んだ風に当たりながら、例によって2人で黙ってビールを飲んだ。

先輩はしばらくポロポロとギターを弾いていたのだが、ふと思い出したように言った。
 
「『Isolation』って曲知ってるか?」
 
「ジョンの曲ですよね。もちろん知ってますよ。」
 
「オレ、好きなんだよね。」
 
そういってギターを弾きながら「Isolation」を歌い始めた。

僕達は気づかない内に誰もがそれぞれの中に孤独を抱えて生きている。どんなに成功したってそれが消えてなくなることはない。
Isolation。

ジョンはそう歌っていた。

キーに無理があってちょっと音程が外れた歌だったけど、そんなことどうでもいいくらいに自分の真ん中の部分を掴まれて揺さぶられている気がした。

人生最後のモラトリアム。気楽な大学生活。
孤独などとはもっとも縁遠いはずなのに、暗くて深い孤独と絶望の淵に立ってその底をのぞき込んでいる気がした。

先輩が歌う Isolation が終わっても二人ともずっと黙っていた。
話したいことは沢山あったけど今ここで話すのは違う気がした。
屋上を吹く風は、相変わらず暑く湿気を含んでいた。その風に当たりながら僕らは生ぬるくなった缶ビールの残りを飲んだ。
遠近感を失った山影から聞こえる煩いくらいの鈴虫の声が夏の濃厚な空気に溶けて、遠くへ流されていった。
夏の入り口、真っ暗な田舎の大学の学生寮の屋上はどこからも isolate されてどこにもつながっていなかった。
 
  ・・・
  
夕方、居酒屋でひとりで飲んだ帰り、このことを思い出した。
僕らは随分遠くに来てしまった。

僕らの中のあの isolate された屋上に吹く風は、今も暑く湿ったままだ。


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