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階段怪談

 ロフトベッドで寝ていると、屋根裏を走るネズミの足音なんかがよく聞こえてくる。ただその夜に聞こえてきたのは、そんな軽い足音じゃなかった。
 わが家は築四十年ほどの一軒家で、造りも古めかしい。家族で眠る二階には廊下がなく、襖で四部屋が繋がっている。階段を上がってすぐの部屋で兄が寝ている。すでにその寝息が聞こえてきていた。私はベッドに入ってから二時間ほど寝つけないまま、午前一時になっていた。
 私の部屋は兄の部屋の隣で、反対側には両親の寝室がある。両親は一時間ほど前に二階に上がってきて、いびきをかいていたが、今は静かだ。家は静まりかえっている。
 ロフトベッドの上で寝返りをうった。家が古く天井が低いため、起き上がるときは背を丸めなくては座れない、窮屈なスペースだが、慣れると心地よい狭さだ。頭はベランダに出る窓の方に向け、足は兄の部屋に行く通路の方を向いている。身長に対してベッドは少し長いが、頭の上にぬいぐるみなどの荷物を置いているせいで、足はロフトベッドのポールすれすれ。
 少し感覚がぼんやりしてきた頃だった。足元の、階段の方から激しい音がした。一瞬何が起きたのかわからなかった。どたどたどたとも、どんどんどんとも聞こえる重たい音が、階段を上ってきて、同じ音を立てて下りていく。階段を往復しているらしい。
 音をよく聞いてみると、数がわが家の階段の段数と合わない。一段飛ばしに上り下りしているみたいな数だった。音は大きく、テンポが速い。不思議に思う気持ちと、何かが家の中で暴れている恐ろしさが胸を占めていた。家族は皆眠っているのだろう。耳を澄ませて反応を探ってみても、物音ひとつしない。
 音は五回ほど上ったり、下ったりを繰り返しただろうか。急に音が止まった。階段の踊り場、兄の部屋の入り口で、彼は立ち止った。音が足音であることも、それが男性であることも、彼がそこにいることも不思議に思わなかった。男性の足音だと、私は信じて疑わなかった。いや、不意にそうだと思ったのを、信じていただけだった。理由はわからないが、そういうものに出会った時、それがどんなものか、男性か女性か、どこにいるのか、ぱっと理解することがある。この夜もそれだった。

 私がこういった体験をしたのは、この時が初めてではない。高校生になってから、急にそういう物音や声、気配を感じ取るようになった。頭がおかしいと言われたこともある。

 彼らは不意にやってくる。たとえば、自転車に乗っている時。通りかかったアパートのベランダに男の顔があったり、マンションの駐車場にあった花壇の上に、アラブ系っぽい顔つきをした男の人の、首だけが浮かんでいたりした。学校の図書室に、私が通っていた時の制服とは違うデザインの、ブレザーとスラックスを着た生徒がしゃがみこんでいたこともあった。
 それらは全て、初めはそこにあるものとして、その存在を疑わないが、数秒後におかしいと気づいてもう一度見ると、消えているのだ。そういえば、女性を見たことはほとんどない。
 早く消えてくれと目を強くつむって待っていると、彼は私の足元にやって来た。音はなく、歩いてきたのかもわからない。踊り場で止まったと思っていたら、足元に来ていた。ロフトベッドのパイプすれすれにある私の足元から、彼はじっと私を見つめてきた。目を閉じているのに、その冷たい視線が脳裏に見えるようだった。彼は青い目をしていた。
 青い目にしばらく見つめられているうちに、私は深い眠りに落ちた。翌日、目覚めた私は真っ先に彼のことを思い出した。部屋に家族の活動する音がひびいてきていた。彼はどこにもいなかった。


*2020年8月に完結したものを加筆修正したものです。

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