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生きている


「石は生きている」
図書館で見つけた分厚い本のページの隅に、その一文は氷山の様に屹立していた。
「一八世紀、鉱物は動物や植物と同じ生物に分類されていた。動物は生き、成長し感覚を持つ。植物は生き、成長する。そして鉱物は成長する」

石は生きている。鉱物は成長する。
この一文に含まれたイメージは、私の世界を全く変えてしまった。
 
 その本を読んだ後に、父親の持ち物である古い腕時計の中に赤い小さな石を見つけた。その石はルビーらしかった。時計を構成する無数の歯車の、何十万、何百万という回転を受け止める軸石というもので、そのために果てしない摩耗に耐えうるルビーのような強度を持つ宝石が使われていると、父はそう言っていた。

しかし、私の脳内には全く違うイメージが浮かんでいた。
この真っ赤な宝石が長い年月をかけて、垂直にニョキニョキと伸びていく。針状に鋭く尖ったその宝石は、そのままにしておけば時計の盤面を突き抜けて、宇宙の向こうに向かって伸びていってしまうだろう。
だから無数の歯車が爪とぎの役割を果たすため、懸命に、真摯に、彼らを造り出した職人の如く回転を続けている。この時計が時を刻む度に、歯車が一度また一度と回転する度に、削り取られた目に見えないほどに細かなルビーの粒子たちが、時計の周りに散っていく。

私はそんなふうに思った。

 またある時は、自分の住んでいるマンションの事を考えた。
住民がベッドで眠っている間に、少しずつ少しずつ、何かを孕んだように微かに膨らんでいくマンション。眠れない暗い夜に、部屋の何処かで鳴るパキリという音。知らない間に描かれていた、星座のような壁のヒビ。ヒナが産まれる前の殻のように、剥がれていく白い外壁。

 またある時は道路のアスファルト。またある時は石焼ビビンバの器。またある時は、スミソニアン博物館の月の石について考えた。私の中では、どの石も生き生きと首をもたげ、羽を伸ばし、宇宙の向こうまでその艶やかな手を伸ばそうとしていた。
 
 そんな中、父が死んだ。時計を見た後の日に下された、余命1ヶ月という診断を全うする事なく、あっさりと死んでしまった。葬儀はしめやかに進み、父は骨になった。玉砂利のような父の骨はしかし、もはや宇宙の向こうに手を伸ばすことは無かった。 
 その後に、私は父の収められた墓石の事を考えた。黒く艶やかに光る墓石がぐんぐん長く伸び、やがて空のはるか向こう、宇宙の向こうに到達してからも伸び続けている。この墓石の周りには真摯な歯車たちも、殻を割って産まれるヒナもいない。 ただ玉砂利に似た父の骨を乗せて、墓石は果てしなく成長していく。生きているものも、死んでいるものも、永遠不変がこの世に存在せず「石は生きている」のならば、それならば。全てが生きて宇宙の向こうを目指している。
 
私は最後にそう妄想をして、それから墓石の掃除は控えめにしよう。

そんなふうに思った。

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