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荒野を走るもの


地平線まで続く大地を、灼熱の太陽が舐めるように焼く。革の水筒はもう空になって、腹の傷からは絶えず血が流れ出ていた。まず間違いなく俺は死ぬだろう。それもこの太陽が沈む前に。

俺の20年ちょっとの短い人生は、この粗野で自由で強大なうねりの時代の中にあって、今、俺に踏みつけられている砂粒のように酷く小さなものだった。
何かの弾みで真っ当な人生から転がり落ちてからなんの目的もなく、阿片と銃と酒に囲まれた世界へ片足を突っ込んで、その後はお決まりのコース。
同じような人生を歩んだ男に背中から撃たれ、命からがら逃げ出したものの、行くところもなく、ただこの砂漠をさまよいながら死を待っている。全く悪夢のような人生だった。誰一人心から信じる事なく、そのくせ何かに甘えていた。いつか、自分の身にとんでもなく素晴らしい事が起きて、この人生を変えてくれると、本気で信じていた。そんな人間の末路だった。
走馬灯が駆け巡り、遠くに飛びそうになる意識を引っ付かんで体に戻す。
何故そんなにもして歩き続けるのか、自分でもわからないままに俺は歩き続けていた。

痛む腹を庇いながら砂粒を踏みつけ、一歩一歩前へ進む。
すると突然、熱を帯びた空気を切り裂くような高い音が砂漠に響いた。驚いて丘を登りきると、眼下に黒い格子状の線が伸びている。
あれは線路だ。そう分かった瞬間、先程の音がもう一度、稲妻のように鳴り響いた。近づいてきている。
これは汽笛だ。それならば、と線路の向こうを探すと、少し遠くにそれはいた。
黒い塊。
西部開拓時代を終わらせた、黒々と鈍く光る巨大な鉄の獣。
黒煙を吹き、唸り声を轟かせながら、蒸気機関車は大地を進んでいた。

段々と機関車はそのばかでかい図体を露わにしていく。生まれて初めて見たそれに呆気に取られていた俺は、痛みを忘れてのろのろと線路に近づき、そっと手を触れた。火傷するほど熱を持った線路からは、まだ少し距離があるにも関わらず、機関車が進むうねりによって起きた振動が、ビリビリと手に伝わってくる。
気付くと、身体が震えていた。恐怖によってではなく、線路から伝わってくる振動からでもなく、何か胸の底から湧き出るものによって俺の身体は打ち震えていた。
その何かは、この厳しい砂漠を割り開き、西部開拓時代を越えていく鉄の塊への、心の奥底からの敬意だった。死にゆくちっぽけな自分には到底直視出来ないほどの、圧倒的な眩しさからくるものだった。こんなにも強く、美しいものがこの世にはあったのか。

機関車は、もはや鉄と鉄の擦れる硬い音すら聞こえるほどに近づいていた。線路は振動を超えてガタガタと音を立てるほど揺れていた。
俺はゆっくりと、線路の真上に立った。俺はこのために生き、このために歩き続けて来たのだ。暑さと痛みで朦朧とした頭で思う。汽笛がもう一度猛々しく響く。正面から見る蒸気機関車は熱波と太陽の光に焼かれてさらに美しく、黒く光るけもののようだった。轟々と唸りをあげながら眼前に迫る機関車を、俺はうっとりと見つめながら立っていた。一瞬、サッと巨大な影が太陽を遮り、刹那、俺の身体は空に舞い、そして闇が訪れた。

走馬灯は訪れず、ただ世界中の雷鳴をひとところに集めたような轟音だけが、深い闇の中に響き続けていた。

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