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【映画レビュー】地球の静止する日

(古典ですがネタバレ含みます。ご注意ください)

1951年に米で公開された、有名な古典的SF映画です。
NHK BSでオンエアされたのを観ました。
前から観たかった一本なのでうれしかったのですが、なぜ、今?
観終わると、色々今の時世に合った放映だったことがわかります。

ある日、外宇宙からやって来た円盤型宇宙船がワシントンに着陸。
中から現れたヒューマノイド型宇宙人クラトゥは「平和のためにやって来た」と宣言しますが、誤解から軍隊の銃撃を受け、深傷を負います。
その直後に現れたロボット、ゴートは軍隊の兵器を無力化する驚異的な能力を発揮。
クラトゥはゴートを制止すると軍の病院に収容され、政府の要人に対し、世界中の指導者に来訪の目的を告げたいと希望します。

クラトゥは核や宇宙開発といった新しい技術が宇宙の他の星へ向けられることを懸念しています。
当然、時代背景として米ソ間の冷戦状態があるわけですが、大統領補佐官がクラトゥに語る当時の世界情勢が、ロシア・ウクライナ紛争でガタついている今のそれとあまり変わらないことになんとも言えない感情を覚えさせられます。

人類は進歩しなさすぎかもしれません。

原作はハリイ・ベイツという作家の小説「主人への告別」。
私は「宇宙から来たロボット大使」という題でジュブナイル化されたものを子供の頃読んでました。
冒頭、クラトゥが銃撃されるシーンと、最後にゴートがロボットでありながら自分がクラトゥの主人であることを明かすオチだけは鮮明に覚えています。
子供心にあの結末は、一種の不条理だった気がします。
この映画では結末やゴートとクラトゥの関係は原作と異なり、ゴートは惑星国家間の安全保障システムとして、警察官のような役割をしていることが明かされます。
地球よりはるかに進歩した宇宙文明においても、平和は力による安全保障に頼らざるを得ないというのが、当時のアメリカ人の考え方を反映しているようです(今も同じかな)。

また、宇宙から平和のためにやって来る使者クラトゥは、どこかウルトラマンの元祖のように見えなくもありません(同じ宇宙人でもスーパーマンは一種の難民でした)。
そういう視点から、公開中の映画「シン・ウルトラマン」も観てみたらどうだろうか?と思ったりもしました。

ちなみに上の画像は公開当時のポスターの一部で、確かにゴートが女性をこのように抱き抱えるシーンはありますが、こんなカッコのお姉さんではありません。
期待して観に行ったお客さん、がっかりしたんじゃないでしょうかね。w

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