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石の歌う森(第7回) ~星は風にそよぐ イシアス篇~


 セシルはどう返していいかわからなかった。このあと自分が楽しそうにロータシアの話をするのは、なんだか自慢しているように聞こえてしまうのではないか。かといって、急に淡々と話し始めるのもおかしい。セシルはぐるぐる頭を回転させ、なんとか言葉を探しだした。
「ロビンは風になってロータシアに帰ったんだもの。ミオは風になれないから、連れていかれなかったんじゃない?」
 ミオは首を振る。
「方法はあるんだよ。だからロビンは、ステファニー先生に、私を連れていってもいいか訊いてくれたんだ。でも、許可してもらえなかった。私がロータシアに来ることはレディに書かれていないからって。ロビンはこう言ったの。これでよかったんだって、いつかわかる」
 セシルは納得した。レディに従うこと、それがロータスの信仰なのだ。
「ミオはここでやらなきゃいけないことがあるんだよ、きっと。私がステファニー先生に精霊術を習うことは、先生のレディに書かれてたの。それが今につながってる。そのおかげでミオにも会えたし」
 ミオが笑った。
「慰めてくれなくてもいいよ。私が先生のレディに逆らってロビンとロータシアに帰ったとしても、セシルにはロータシアで会えたはずでしょ」
「そっか。でもね、ロビンの言ってることは、本当だと思う。これでよかったんだって、わかるときが来るよ。ロータスの神さまってね、気まぐれに書いてるみたいだけど、やるときはやるんだよね、これが」
「ふふふ。心配しなくても大丈夫。そう思うことにしてる。叶わないことにいつまでもしがみついて、時間を無駄にしたりしないよ」
 ミオのカラリとした様子に、セシルは安心した。これなら、何を話しても、自慢しているようには取られないだろう。
「ねえ、そうだ。ロビンは、ここではイシアス語で会話してたの?」
 セシルは、気になっていたことを尋ねた。世界の共通言語がアメリア語になって久しい。父と母が家庭ではイシアス語を話すという方針をとっていたため、セシルはバイリンガルだったが、イシアス人の多くはイシアス語を無用のものと考え、アメリア語しか話せなくなっている。でも、森の人は閉じた社会に生きていてアメリア語を必要としないから、イシアスの言葉しか話さないだろう、とセシルは思ったのだ。
「始めは、アメリア語を話せる私が通訳をしてたの。ロビンはイシアスの言葉をまったく知らなかったから。でも、ロビンはあっという間に話せるようになったよ。社交的な人ってとにかく人と話すから、言語の上達が速いんだよね」
「ミオはどうしてアメリア語を話せるの?」
「森の外に遠い遠い親戚がいてね、お父さんと仲のいい友だちだったみたいだけど、その人がアメリア語も話せた方がいいって言って、子どもの頃から私たちに教えてくれてたの。だから、兄もロビンの言うことは理解してたけど、通訳はほら、向いてないでしょ」
そう言ってミオは苦笑いした。そう言えば夕食の席でカイトさんは一言も話してなかったな。セシルはミオに苦笑いを返した。
「その人、よく来るんだ。セシルも会うことになると思う」
「その人は先見の明があるんだねえ。まあ、ロビンが来ることを予想してたわけじゃないでしょうけど」
「確かにね。ねえ、それよりロータスの話を聞かせてほしいな」
「うん。でもね、シャインウッドの森でステファニー先生と暮らしていたときは、ここの暮らしとちょっと似てたかな。水は井戸で、明かりはランプだったけど。ガスはもちろんなくて、お料理には、石窯と冬には薪ストーブを使ってたの。ただね、遠くても歩いて行かれる距離に町があったから、足りないものは何でも買えたんだ」
「そこが大きな違いだね。でも、スーワの人間だって、すべてを自給してるってわけじゃないんだよ。ここは交換経済なの。自分の得意を誰かの得意と交換する。お金は使わないけど、おじいさんは狩人だし、おばさあんはかご作り職人だし、私は漁師なの」
 ミオの意外な言葉に、セシルは思わず聞き返してしまった。
「漁師? ミオが?」
「そうだよ。明日、セシルに、私の仕事を見せてあげる。今日はもう寝ようか。セシルも疲れてるだろうから。ロータシアの話は、明日から少しずつ聞かせてもらえばいいもんね」
「明日から私、何でもお手伝いするつもりだからね。朝食の支度も。ミオが起きるとき起こしてね」
セシルが張り切ってそう言うと、ミオが気の毒そうな顔をして言った。
「あのね、私たち、朝食はとらないの」
「へ? そうなんだ」
「大丈夫?」
 セシルは赤くなって必死で弁解した。
「やだなあ。私だって、朝食抜くことぐらいあるんだから。それより、ロータシアのお土産、持ってきたんだ。チーズとかパテとか」
「ほんとに? わあ、楽しみだな。ワクワクして、眠れないかも」
「なんだ。ミオも食いしん坊なんじゃない」
 ふたりで大笑いすると、壁板をコンコンと叩く音がした。ミオは肩をすくめて掛布に潜り込んだ。セシルも目を閉じ、屋根のすぐ上の枝にとまって鳴いているフクロウの声を聞きながら、眠りに落ちていった。

 翌朝、ミオに起こされてセシルが部屋を出たときには、おじいさんとカイトさんはもう狩りに出ていた。
「おはようございます!」
 セシルは元気よく挨拶すると、居間のテーブルでかごを編んでいたおばあさんに
「昨日お渡ししそびれてしまったんですけど、これ、お土産です」
と言って、バックパックに入れてきたロータシアのチーズや瓶詰めをテーブルに並べた。
「1年くらいは保存がききます」
とセシルが付け加えると、おばあさんはうれしそうに
「保存がきくというのはいいね。私たちにとって保存、貯蔵、っていうのは、命に関わるとても大切なことだから」
と言った。それを聞いたミオが、
「まさか食べないでとっておくつもりじゃないでしょう?」
と泣きそうな顔でおばあさんの顔をのぞきこむ。
「冬の間に食べるものを、少しでも多く保存しておかなきゃならないってことは、ミオも知っているじゃないの」
「そうだけど」
ミオが落胆のため息をつくと、おばあさんは
「楽しみはね、それを待つ時間も楽しみの一部だからね」
そう言ってたしなめた。

 ミオの朝の仕事は洗濯から始まった。洗濯は雨の日を除いて、だいたい3日に1度するのだという。ミオが「明日洗濯をするよー」と家族に告げると、洗濯かごにみんなが着物を出す。もちろん、かごはおばあさんが編んだものだ。
 まずは、洗濯物の入ったかごを窓からロープで下に降ろした。それから、縄ばしごで下に降り、かごを持って、ふたりは川へ向かった。
 ゴツゴツした大きな木の根を登るようにして前へ進む。そんな地面をミオは流れるように歩いた。まるで飛ぶようだったカイトさんの歩みを思い出して、ここの人たちが履いている柔らかそうな皮のサンダルに秘密があるのだろうか、と考えながら、セシルは風に背中を押してもらいながら必死でミオについていった。やがて、楽しげな川の音が聞こえ始め、思ったより川幅のある川原へ出た。
 久しぶりに聞く流れの音に、セシルの心は安らいだ。ロータシアでは毎朝、小川のほとりで五感を解放し、流れの音に身を任せて、精霊たちとしっかりつながる時間を持っていた。
 水の流れる音は人に魔法をかける。セイレーンの歌のように人の心を惹き付ける。ここでこの歌をずっと聴いていたいと思わせる。セシルは目を閉じて、流れの音に聞き入った。近くの枝ではヤマガラが「あっちにおいしい実があるよ」とセシルを誘っている。
 セシルの胸に歓びがあふれた。
 目を開けると、ミオが川岸にひざをついて、流れの中で着物をゆすっているのが見えた。セシルも急いでかごから着物を取り、ミオの真似をする。藍色はカイトさんの作務衣だ。水の冷たさが清々しい。横で真似をするセシルにミオが言った。
「これからはセシルも、洗濯物があったらかごに入れてね」
「うん、ありがとう。ねえ、ミオたちの服、本当にきれいな色だね」
「それぞれ3着ずつ持ってるんだ。それ以上は持たないの。私が茜、桜、浅葱。おばあさんが山吹、黒梅、胡桃。おじいさんが若草、紫、柿茶。兄さんのは全部藍。誰のものか色ですぐにわかるでしょ。スーワには亜麻から麻糸を紡ぐ人、麻布を織る人、服を仕立てる人がいるの。仕立ててくれる人はご近所さんだよ」
 工場で機械に作られた服しか着たことのないセシルは驚いた。
「服を作るって、そんなに手間がかかるんだ」
 ミオが立ち上がり、セシルを見下ろして言った。
「そう。ここで生きるのは手間がかかる。その手間で毎日が成り立ってる。さ、終わった。帰って洗濯物を干したら、昼食の準備だよ。午後は湖で魚を捕ろうね」
 川の中に立ってシラサギが魚を捕っている。
「ここで捕らないの?」
セシルが尋ねると、
「川はね、流れる力が強いから、魚を捕ることに集中できないの」
とミオは答えた。

 ミオが洗濯物を干している間に、おばあさんが火をおこした。火を使う料理は外でする。おばあさんは、火口に火おこし棒を入れ回転させた。集中力を保って忍耐強く棒を回転させ続ける。ようやく火がついたところで、草の束をかぶせてそっと息をふきかけると、火口から炎が上がった。セシルは原始的な火おこしを初めて見た。
 おじいさんとカイトさんが仕留めてきれいに処理してくれたキジの肉を、串に刺して焼く。肉汁が落ちて火のはぜる音がとても賑やかだ。お鍋の中では、どんぐり粉のおかゆがクツクツいっている。
 狩りから帰って一休みしていたおじいさんとカイトさんも降りてきて、火を囲んでの昼食になった。
 ミオがお鍋のふたを開け、どこからか摘んできたツユクサを入れた。
「ツユクサの青ってきれいでしょう。私、大好き」
「ツユクサって食べられるんだ」
感心しながら、自分の車の下敷きになっているツユクサのことがセシルの心をよぎった。
 隣に座るカイトさんから小さな壺を手渡され、ふたを開けるてみると中には塩が詰まっている。
「キジ肉につけるんだよ」
とおじいさんが言う。
 ここは海から遠い。お店で買うわけはないし、セシルは不思議に思っておじいさんに尋ねた。
「お塩はどうしてるんですか?」
「山塩だ。ここからはだいぶ遠いが『塩岳』といって塩水が湧き出す山がある。年に何度かスーワの若い者たちが隊を組んでその地へ行き、そこで湧水をゆっくり煮詰める。そうやって何日もかけてできるだけたくさんの塩を作り、持ち帰るんだよ」
「それは貴重ですね。大事に使わないと」
 セシルは自分のお皿にうやうやしく塩を取った。
 カイトさんが焼けたキジ肉の串をセシルの皿に載せてくれた。
「ありがとうございます」
セシルはお礼を言い、キジ肉を頬張った。焼いてる間あんなに肉汁がはぜていたのに、まだまだ中はしっとりみずみずしかった。山塩は、丸くてやさしい味がした。おかゆには胡桃が入っていて香ばしく、食感が楽しい。真剣に味わっているセシルを、みんなが微笑みながら見守った。
 森の食べ物はエネルギーに溢れているからだろうか、お腹がすいていたはずなのに、軽い食事でもすっかり満ち足りてしまった。

 昼食の後片付けを済ませて、ミオとセシルは流れ星の湖へ。ミオは魚を入れる大きなかごに網を入れて背負った。夕食用の草や実を摘んで帰るため、セシルもかごを持った。
 昨日、空から見たあのエメラルドの湖は、湖畔に立ってみると想像以上に大きかった。対岸ははるかに遠い。岸辺はきめ細やかな白砂だ。
「気持ち良さそう」
 セシルはスニーカーと靴下を脱ぎ、日を浴びた白砂のぬくもりを足の裏全体で受け止めた。足裏からセシルの中にエネルギーが入ってくる。歓びが、また湧き上がってきた。
 ミオも砂の上に荷物を降ろし、サンダルを脱いだ。
「ここはどうして流れ星の湖って呼ばれてるの?」
とセシルが尋ねると、ミオはいつも腰に提げているナイフをはずして言った。
「言い伝えがあるんだよ。ずっとずっと昔、この湖を目指してたくさんの流れ星が落ちてきた。流れ星は、湖の周りにもたくさん落ちたの。だからこの辺りでは黒曜石がたくさん採れるんだって。このナイフの刃も弓矢の矢じりも、黒曜石を割って作るんだよ」
 ミオはナイフを鞘(さや)から出してセシルに見せた。ナイフの刃は、溶けるような漆黒の輝きを帯びて、強い霊気を放っている。
「きれい」
セシルは感嘆のため息を洩らした。
「言い伝えでは、森に散らばった黒曜石たちが200年に1度、故郷の星を想って歌うと言われてるの。それがね、なんと今年なんだよ!」
「ええっ! ほんとに? それって、もしかして私も聞けるかもしれないってこと?」
「かもね。石が歌うのは、しし座流星群の活動が活発になる11月だって記録にはあるみたい」
「最高のシチュエーションじゃない」
「だよね。さてと。そろそろ、魚を捕らなきゃ。セシルはここで見ててね。って言っても、見えはしないんだけど」
ミオはそう言うと、背負いかごから網を取り、水の中へ歩いていった。そして、水深が膝辺りのところで立ち止まり、静かに膝をついて頭を垂れた。
 ロータシアで多くの不思議な精霊術を目にしてきたセシルだったが、このあと起こった現象ほど驚いたことはなかった。ミオの体が透明な水になり、その体が噴水の終わりのようにパシャンと崩れて湖の中に消えたのだ。
 カイトさんが風になれることは知っていたが、ミオが水になれるとは聞かされていなかった。水になるというのは、水の神と一体になるということだ。どれだけ強い結びつきなのだろう。セシルの胸にミオへの尊敬の念がムクムクと湧いてくる。
 風が吹いて森の木の葉がざわめき、湖面にさざ波を立てる。岸辺に寄せる波がたぷんたぷんと音をたてている。何分待っただろう。セシルは、今この世界に自分しか存在していないような心細い気持ちになった。
 そのとき、少し離れた岸辺に大きな大きな水柱が立った。もうもうと湯気が立ち昇っている。セシルが呆然とその光景を眺めていると、
「間欠泉だよ」
とすぐそばでミオの声がした。大きさも種類もさまざまな魚たちでいっぱいの網を手にして、ミオが立っている。ずぶ濡れで湖から上がってくると思っていたのに、つゆほども濡れていない。
「ねえ、どうなってるの?」
 セシルは何がなんだかわからず、ミオに説明を求めた。セシルをびっくりさせられたことがうれしくてたまらないという顔をして、ミオは捕ってきた魚をかごに移し、それを背負った。そして
「あそこでゆっくり解説してあげる」
と言って、水柱が上がった方を指さした。

 水柱が立った向こう側に、崩れた建物の跡があった。屋根は完全に崩落し、低い壁だけになっている。かつてはドアがあったであろう入り口を抜けて中に入り、セシルは驚いた。
「お風呂だ!」
と叫んでミオを見ると、ミオは歯を見せて笑った。
 床一面に美しいタイルが敷き詰められ、御影石の大きな浴槽からお湯があふれだしている。
「遺跡、っていうには新しすぎるけど、有益な遺産は手入れをしながら大切に保存して、今でも活用しているんだ。さっき、間欠泉を見たでしょう? あれは地下で沸騰して噴き上がるの。だから源泉は100度を超えてる。このお風呂のお湯は、湖の水を引き入れてちょうどいい温度にしているんだよ」







 

 





 

 



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