子育てと仕事との両立 #9 復帰2年後編
子育てと仕事との両立について、書いてみたいと思います。私は今(2020年6月)41歳です。起業して4年目、ブランディング専門のフリーランスとして活動しています。娘は8歳の小学生です。そして、シングルです。
#9 復帰2年後編(2015年~)※私36歳、娘3歳~
色々疲れた。
子育ても家事も仕事も、この生活も。世の中も。
全部、リセットしてしまいたい衝動に駆られる。
一体、いつからこんな状態に?どこで、どうなって、今があるのだろう。
どうすれば、今の状態から抜け出せるのだろう。
若いころは、怖いものなんて何もなくて、ただただ好奇心でいっぱいだった。自分と価値観が違ったとしても、争いごとにはならない。そこまで、自分自身、人と争うほどの深い考えなんて持ってなかったから。
今の状況が、自業自得とは思わない。かといって、周りにいる彼らが悪いとも思わない。誰が悪いわけでもないんだけれど・・・。
今の私は、良くない人生を送っている。
わかっているのに、ここから抜け出せない。
一体、どこまで戻れば、幸せになれる?
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世の中、「満足のいかない人生」で溢れてる。
ただただ、もう、考えることがめんどくさい。
こんがらがったものを紐解く作業ほど、めんどうなことはない。
怒りからは、何も生まれないのに、人は怒る。動物も自然も。怒りが爆発して、終わった後に、何が残るか、みんな知ってるのに、懲りずに怒り続ける。
本当に疲れた。もう、終わりにしたい。
そんな限界の日々をリセット。
2015年春は、石垣島へ3泊4日。女子2人旅。
もうすぐ3歳の娘は、飛行機を全く怖がらず、去年より成長しました。機内でもまあまあおとなしかったし・・。
1日目は、竹富島へ。自転車で、島を2周…。娘は楽しそうでした。そして、海へ。色んな青が見渡す限り広がり、素晴らしい景色でした。
海に入り、私はサンゴで足を切り、娘は冷たい水に震え。あがるあがると大泣き。さらに、シャワーが水で、ヒステリック状態。海…ゆっくり見たかったけど、自転車の旅へ戻り、昼食。
娘は疲れて、速攻…店で寝る。それもほぼ食べず。でも、店の人が優しくて…、ずっといていいし、ご飯も包んでくれて、優しさに癒されました。
次の日は、石垣島観光。
娘は、リス猿に、「おやつよ。はい、どうぞ。」と叫んでました。台湾の人がたくさんいて、娘を写真で撮りまくり、それを、私に「かわいい。」と見せてくれるという…、交流をしました。
その後、船で魚を見に行ったり…、サンゴがたくさん死んでて、なんか、ちょっと心配に。午後は、また懲りずに、海に行きました。海の上に、すべり台があるんですが、子連れでは登れない。足はとどかないし、私は、泳げないし…。娘は、私のジタバタを見て、諦めてくれましたが、残念。
娘は、自我が芽生え、自分でしたいことは自分でするし、したくないことは、しない。楽しいことだけして、嫌なことはしない。怒っても、絶対に譲らないし、睨むし、叩く。ご飯は食べないし、お菓子三昧。
2回ほど、こちらもキレてしまった。大人気なく。
思わず叩いてしまい…、後から、娘に「ごめんなさいは?」と言われ、「ケンカしないよ。やくそく。」と言われました。
丁寧に説明しないと、何も伝わらない。
相手は私の考えていることを知らない。
そして、
私は、娘が何を考えてるのかはわからない。
母親としての未熟さと、娘の成長を感じる旅でした。
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すれ違う考え方
今回の旅行にも、主人を連れていきませんでしたが、主人は、色々なところへ子どもを連れていくことをそもそも嫌っていました。理由は、病気にかかることを恐れ、じっとしていなくて周りに迷惑をかけることを恥ずかしく思い、そして、自分は親に幼少期にどこにも連れていってもらえなかったから、そんなに連れていく必要はないという理由でした。
私は、平日仕事をしている分、できる限り週末は子どもと楽しめる場所へ行きたいと思っていたので、日ごろから動物園、水族館、遊園地、公園などたくさん色々なところへ出かけていました。百聞は一見に如かずです。私は、実際に体験することを大事にしています。もちろん、私の母も小さい頃、色々なところへ連れていってくれました。
すれ違う考え方は、話しあいがないことには解決しません。
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会社を辞めるとき
さて、私の仕事はというと、相変わらず慌ただしくしており、働くことへの疑問もずっと、頭の片隅にありました。
私は、どういうことがあったら、会社辞めるんだろう。
給料が、減ったらやめるのだろうか。
私は、きっとお金ではなく、仕事の質と人間関係が辛くなったら辞めるんだろうなぁと当時は思っていました。
そしてGWは、4泊5日の北海道旅行。
今回は、主人もちょうど休みだったので、一緒にいくことに。
旅行中、私は終始イライラしていましたが、富良野で出会った人が印象的でした。その人は、勤めてた広告代理店が倒産して、1年ニートをしてたら、ある日、万華鏡の魅力に気づき!…、何でも三日坊主だったのに、廃校になった学校まで購入して、北海道で万華鏡の美術館をやろうとしたそうです。
しかし、廃校になったこの建物が耐震基準に満たず…、美術館としては運営できず…、今はその廃校に住んでいて・・何とも興味深い人生で、うらやましく思いました。
娘は、終始楽しそうでした。最終日は、ホテルのプールにみんなで入り、娘とパパが楽しく水遊びしている姿をみると、やっぱり子育てには、父親も母親も必要なんだなぁーと感じます。
やっぱり、私には、この幸せとは言えない状況に、堪えて、耐え抜くしかないような気がしました。
※
娘、3歳4ヶ月。
娘は、パパとお風呂に入るようになりました。そして、パパと少し遊ぶようになりました。主人が、会社に行かなくなって、娘とパパの関係が変わったからです。
そう。
ある日、突然、
主人が、会社にいけなくなりました。
理由は、はっきりとはわからないけれど、会社で嫌なことがあって、会社に行けなくなりました。だから娘は、パパが会社に行ってないことをうすうす感じとり、朝、パパとネンネしとくと言うようになりました。保育園に行かず、パパと寝てる、と。
私の悩みはつきません。
毎日、色々なことに頭を抱えていました。
思いとおりに物事が進まない、すぐストップする。
原因がわかったとしても、そう簡単に対処はできない。
自分の感情は置いておかなければならない。だけど感情なしに、人とはつながることはできない。ふわっと、当たり障りなくいくしかない。
これを毎日繰り返す。
でも、ふわっとしたことすると、結果も、ふわっとする。シンプルにスパッと行きたいのに、見えないふりして。聞かないふりして。変なのって思わないように。
生きていくモチベーションは、自分で維持して。
生きているリアルさが全くない。
どんな未来を生きたいのだろう。
2030年の日本。15年後の私。私は、50歳過ぎで娘は、18歳になっている。
日本の65%の仕事が消えていて、新しい65%の仕事が増えています。どんな仕事が消えて、どんな仕事が生まれてるのかな?
人口も減って、1億ちょっと。老人が増えて、子供は相変わらず少ない世の中。そして、国は財政難。データが膨大に増え、そのデータが当たり前のように活用され、人工知能が、人間を超える場面が増えている…だろう。
私は、どんな未来を生きたいのだろう。
非現実なことを実現させることができてたらいいな。可能性を信じて、否定せず、うまくその可能性を正しい方向へ導くチカラがあれば、未来を創ることができる。
ただ、それをするには、覚悟を決めないといけない。
離婚が頭をよぎる
今すぐというわけではないけど、いつか、離婚する日が来るように想像する。空想しているだけで、少し気分がラクになる。
娘が、保育園である女の子に叩かれたり、いじわるされているらしい。深刻具合はわからないけど、小さな声でボソボソと話してくれた。
で、その話を旦那にしたら。
「そんなん精神を鍛えなあかんわ。我慢して耐えるか、やりかえさな!」と、言いました。
あんたは・・・ずっと会社休んでるよね?もう3ヶ月も…。精神を鍛えなあかんのは…誰なの?(当時のフェイスブックより)
自分には優しく、人には厳しい。
どういう価値観なのか、私にはさっぱりわからない。理解することもできないから、もちろん合わせることもできない。
人生を振り返り、悩む。
女性は、女性というだけで、ダメという烙印を押され、性的な対象に過ぎない…という気にさせられた日。
私の人生を振り返ると、電気屋で働いてた頃、トップぶっちぎりで売ってたのは、50代のおばちゃんだった。狭い空間で、まばらな客を男性たちが取り合う中、おばちゃんは、いつも売上トップで、私に、接客のコツを教えてくれた。
化粧品会社で、企画をしていたころは、ほぼ社員が女性で、ちらほら男性がいる…という世界だったから、女性がイキイキしていて、私も楽しかった。
システム組んだりウェブの制作会社にいたころは、インド人と学生に、囲まれて、対等だった。みんなお互いを尊重して切磋琢磨していた。
今、老舗商社で働く私は、女性というだけで出世できない。男性から、セクハラやパラハラを受けても、そういうものだと流される。さらに、女性が女性を追い詰めることもある。独身でバリバリ働く女性から、子持ちの残業できない女性へ。夜、電話が繋がらないから、面倒くさい、仕事になんないって…言われる。年子で子どもを産もうとしたら、会社のお金を無駄に使ってまた休みに入るのか!と、陰口をたたかれる。
厳しい世の中。
私は、今後も女性として生きていく。
人生設計し直さなくてはならない。
環境や周りに振り回されてちゃダメだ。
女性は、ダメ…じゃないぞ!!ダメなんかじゃない。
でも、私の本当にやりたいことって、なんなんだろう。
娘の情緒がどんどん不安定に。
「ママがいい。」
「ママが好きから、一緒にいる。」
何を言っても、それしか言わない。朝からメソメソ泣く。いつも、怪獣みたいに泣くのに、朝は、悲しみの涙。(当時のフェイスブックより)
どうしよう…。
引きずって、怒鳴って、保育園に連れて行くべきか、気持ちを汲んでやるべきか。悩む。いろいろ説明しても、回答は、「ママがいい」
結局、今日は、保育園には行かないと、娘に嘘を言って、保育園まで連れて行った。罪悪感しかない。そして、私は遅刻。先週から、ずっとこの調子で、保育園を2日休んだ。長期戦になりそうな予感。(当時のフェイスブックより)
癇癪を起こしたら、娘が私を叩く。
今まで、そんなことなかったのに、週末は、何発も平手打ちされた。すごく痛くって、びっくりしました。「叩いたらダメよね?」と聞いたら、「叩いてもいい」とキッパリ。「なんで?」と聞いたら、「ママがしてる」と…。してないよ…。
泣き叫んで、イラついて、壁を叩いたりしていて…、手、大丈夫か?という勢いで。尋常じゃないストレスを抱えてるんじゃないかと、思ったりしています。なんだろう。どうしたんだろう。…どう、すべきなんだろう。(当時のフェイスブックより)
娘は、3歳半になった。
そのころの娘は、保育園の嫌がりが半端なく、朝は地獄の時間。
「ママがいいー!」と、泣き叫ぶ子を引きずり歩く10分間。抵抗はしないから、半分は行かなきゃならないと、理解してるんだと思う。
主人は、社会生活慣らし中なので、会社に行ったり、いかなかったりしてるから、旦那が休みの日は、娘も休めると思ってしまった。
会社に行けない人、保育園に行けない子。
私は、忙しくて、どんどん家庭や育児に向き合う時間が減っていく。
主人が、料理も家事もしてくれるから、私はほぼ何もしていない。そして、育児も、旦那と娘が仲良くなり、私との時間は、減りつつある。
これで、いいんだろうか。
振り返って思うこと
41歳。今、振り返って思うことは、主人が会社にいけなくなるというのは、本当に想定外でした。病名は「適応障害」。
適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。
引用サイト:https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html
一体、どんなストレスを抱えているのだろうと、できる限り主人と会話をする時間を設けたけれど、会社の○○が悪い、○○は仕事ができない、会社の制度が悪いなどすべて、周りを批判する内容でした。
当時、私は自分の存在が、主人を苦しませていることを知らず、上記のような話をただただ聞くだけでした。でも実際は、私の年収が彼より良いことに、主人は劣等感を感じていました。そして、主人が思い描いていた奥さんと私が異なっていることも苦痛でした。さらに言うと、結婚生活も子育ても、すべて、彼にとってはストレスでした。
私たちはお互いが無理をして、ひとつの空間で生活をしていたのです。
仕事も家庭も、子育ても大事。
自分の幸せを大事にすることは、悪いことではありません。私も主人も「自分の幸せ」を我慢することで、どんどん崩壊していきました。家族でうまくやるために我慢していたはずなのに。
だから私は、自分自身が幸せであることが大事だと思っています。
なぜなら、それが生きる意味だからです。
全12回くらいでまとめようと思っていますが、終わるのかな。とりあえず、続きは次回。ここまで、読んでくださってありがとうございました。
お気持ちありがとうございます。娘と元気に楽しく生きていくために使わせていただきます。