【星海の麒麟】 4



ーー第4色 星海の麒麟ーー

ふっと吐いた息がぼんやりとした輪郭を型どり、瞬く間に消えていく。

冬の空気はどこかよそよそしくて、透き通っているように感じた。

人もみんな寒さに縮こまって、誰かと触れ合うのをまるで拒否してるように見える。


僕はこの他人行儀で、1番冷たい季節が好きだった。


冬になると、何故か感情を偽らなくても許される気がして、その事を自覚する度に、僕は自身の問題から逃げているんだなと考える。


毎年、脳裏をすぎる僕自身の悩みはさておき、そろそろ彼女の持つ秘密について聞かなければならないだろう。


朝比奈 唯真 が抱えている問題は、簡単に解決するものだとは思えない。

むしろ、色彩屋の僕としては"天敵"とも言える問題である。

しかし、いつまで時間を引き伸ばしても解決するものではない。


だからこそ僕は雪がこっそりと降りしきる寒い日に、彼女と麒麟がいる海に向かった。

「うわぁ〜、本当に砂浜には雪が積もらないんですね〜。」


唯真さんはしんしんと純白が降る空と、季節を通して変わり映えしない砥粉色の砂浜を交互に見比べていた。


砂浜は塩分を多く含んでいて、それの影響で水の凝固点が下がり、雪がすぐに溶けて積もらないなんて話をどこかで聞いた気がする。


「寒いですね〜海が目の前だからですかね。」

「もうすっかり冬だし、ほんとに寒くなったね。」


僕らの足元から後ろにかけて、海岸線に沈みゆく夕日の作った影が、薄く長く伸びている。


唯真さんは前に海に来た時と同じで、夕陽を見つめるにはあまりにも眩しそうに目を細めていた。

僕が唯真さんの秘密を口に出したら、この関係はどうなるのだろうか。

もしかしたら何も変わらないかもしれない、もしかしたら彼女は気に病むかもしれない。


そして何より、彼女が今纏っている黄緑色の、楽しい、安心という色が変わるのが怖い気がした。


「ねぇ、唯真さん。」


彼女は無垢な表情で僕の顔を見る。

この一言がもしこれからの未来の色を変えるとしても、僕はこれ以上、彼女の抱える問題から目を逸らしたくなかった。

「唯真さんは、あの夕陽が何色に見える?」


彼女は肩を強ばらせ、夜空のような藍鉄色を自分の雰囲気に上塗りする。

それを見て僕の予想は当たったんだなと確信した。


「…何色に見えるんでしょうね。」


彼女はわざと明るい声で僕に言った。

それは小さい子供の強がりのような、まるで悟った大人のような不思議な声色だった。


僕は何故か、このやり取りを遠い昔にもした気がしたけれど、どうしても思い出すことは出来ない。


「唯真さんは…色が見えないんだね。」


僕の胸を塗ったこの痛みが、この熱が全身を麻痺させ、思考を鈍らせるように感じる。

それでも今だけは、この感覚に身を委ねたいと思った。


例え、この感情が色褪せていくものだとしても、僕は彼女に愛の色を抱いたのだから。

唯真さんの抱える問題について、一番最初に引っ掛かったのは、コーンの毛色を褒めた時である。

大抵の人は、コーンを見た時、その瞳の色に目を奪われるが、彼女は瞳ではなく、毛色だけを褒めた。

それも一般には白と見分けのつかない色を、である。


続いて疑問を抱いたのは、彼女が僕の店でお手伝いを始めてすぐの事だった。


普段、彼女はミスをほとんどしないが、何故か赤色のファイルや、青いラインの入ったカップなど、『色で判別するもの』をお願いした時だけ間違って持ってくることがあった。


初めは気のせいかと思っていたが、それが何回か繰り返され疑問に変わっていった。


しかし、彼女は『色を知ってる』言動をすることがある。

赤は情熱的、青は冷静、緑は穏やかなど、色に対するイメージを彼女は明確に持っていた。

それは色を見たことがある人間にしか不可能な事であった。

そこから僕が考えた結論は、朝比奈 唯真 は後天的な"色覚異常"であるという事だ。

原因は分からないが、おそらく彼女は小さい頃には色が見えていて、今は見えていないのだろう。


だから彼女は僕に依頼しに来たのだ。


『私の色を"もう1度"見つけて欲しい』


海岸で僕が唯真さんの秘密について口にした後、僕達は何を話すわけでもなく帰路についた。


その日から数日が経ち、唯真さんは店に姿を見せていなかった。

「考え無しに行動したかな、どう思う?コーン。」

頭を撫でられている愛猫は小さな鳴き声を上げ、僕の顔をじっと見た。


「せめてお前の感情だけでも分かりたいものだよ。」


気分が落ち込むというのはこんな感覚を言うのだろうか。

何をする気も起きないし、お客さんも来ないのでダラダラと過ごす時間だけがゆっくりと流れていく。


その時、カランコロンと入店を知らせるベルがなった。

僕は何故か罰が悪くなったかのように身体を強ばらせ、焦るように店先を見る。


「いらっしゃ…あれ?緑田さん?」

「久しぶりです。お邪魔します。」

店内へと足を踏み入れる女性は、僕がこの色彩屋を営むために、色彩の相関や色の基本についてなどを教えてくれた女性である。


その女性 緑田 香耶乃 (みどりだ かやの)は自分でアウターをハンガーにかけ、こたつに入った。


この店の間取りも、店を建てる際に何回も来ており、慣れたようなものだろう。

コーンも懐かしむように緑田さんに擦り寄り、膝の上で丸くなった。


「緑田さん、今日はどうしたんですか?」

「いや、近くでお仕事があったから寄ってみたんです。」

はい、お土産です と彼女は紙袋に入ったお茶菓子を手渡してくれた。

紙袋の中にはミルクチョコとホワイトチョコの二種類のラングドシャが入っていた。


甘いお菓子だからと、僕はスッキリした紅茶のダージリンを淹れて、お茶菓子と共に緑田さんの前におく。


彼女は紅茶を1口飲んで、お茶菓子を手に取る。


「お店は楽しいですか?」


「とても楽しいですよ。」


もうこの店を始めて数年が経って、店を始めると決めて、緑田さんに色を教えて貰ってからかなり僕は変わったのではないだろうか。


「…色以外が見えるようになりました?」


彼女はコーンを撫でながら静かに問う。

「緑田さん、僕は未だにハッキリとは断言できないけれど」


確信がなくても、曖昧でも、これが僕の感情だと信じていたい。


「僕はきっと恋をしたんです。」


緑田さんはクスッと笑って、そんな畏まって言う事かな?とコーンに話しかけていた。


何だか居た堪れない感覚がして、誤魔化すようにお茶菓子を手に取る。

すると彼女が意地悪を思いついたかのように言った。


「それはあのお手伝いさんですか?」

「えっ?な、なん、い、唯真さんを知ってるの?」

あまりに緑田さんと唯真さんの繋がりが意外だったので、どもってしまう。

「専門の友達ですよ。私はもうあんまり学校行ってないですけど。」

ニヤニヤしながら言う緑田さんは、少しだけ冷めた紅茶を飲んで、思い出したように言う。


「そういえば、私から1つ依頼があるんですけどいいですか?。」

「いや、貴女絵のエキスパートみたいなものでしょ。」


僕に色の基礎を教えてくれた人が、僕に解決して欲しい色の悩みなんてあるのだろうかと思う。


「星海の麒麟の色を教えて欲しいんです。」

「なんで、緑田さんがそれを知ってるんですか?それは僕が…」


僕が父親に教えて貰ったただのお伽噺をなぜ、彼女が知っているのかと驚く。

しかし、少し考えて唯真さんから聞いたのかと思いつき、彼女の表情を見て、そうなんだと納得した。


「まず…どこから話せばいいのかな、いっぺんに話すには少し長くなるけどいいですか?」


彼女は構わないという風に、座布団に座り直してこちらを見る。

店の外では、僕が初めて【星海の麒麟】を見た日のように

積もりもしない小さな純白が、記憶の断片を掘り出すかのように、鈍色の空を蝕んでいた。


小さい頃、それこそ僕がまだ5歳とか6歳とかそのくらいで、言うなれば、海に行ったら砂遊びをするような子供の時。


僕は父に連れていって貰い、星海の麒麟の話を聞いた海岸に来ていた。

その日の砂浜は、いつもより息を潜めていて、波風も小声で話してるように静かだった。


父は忘れ物を取りに車まで戻っていて、1人取り残されていた僕は、波打ち際をとぼとぼと歩いていた。


すると、僕と同じくらいの女の子が小さく座り込んでいるのが見えて、僕はなんとなく駆け出した。

「ねぇ君はなんで泣いてるの?」


生まれつき僕は感情に少し疎かったんだと思う。
すすり泣く女の子の傍に寄り、まだ幼い僕が発した言葉は無神経にも程がある言葉だった。


女の子は少し間を置いて涙を拭い、小さな声でお母さんが居なくなったの、と言った。

「でもね、私、なんでかあんまり悲しくなれないの。とっても好きなはずなのに、涙がね、少ししか出ないの。」


続けて女の子が言った言葉は、小さな僕にはよく分からなくて、

あんまり悲しくならないなんて、僕と一緒だねなんて思った。

けれど、何故か励ます言葉も同情する言葉も言えなくて、その代わり僕が好きなおとぎ話をする事にした。


「ねぇ、この海にはね、キリンさんがいるんだよ。」


女の子は顔をあげて、ゆっくりと辺りを見渡す。
そして見つけられないことを非難するように僕を見ていた。

「キリンさんはね、願いを叶えてくれるんだよ。ほらあそこにいるよ。」


深い群青色に少しずつ黒を足して行くように、空はだんだんと暗くなり、相反するように星たちが煌めき出す。

海岸線から少し上には沢山の星が見えて、僕にはそれが麒麟の形に見えた。


「願い事しようよ!君は何が欲しいの?」


女の子は少し考えて、もっとお母さんのことでギュッとなりたい、と言った。


僕は女の子の手を取って、立ち上がり、大きなキリンを見つめた。


「わたしにも分かったよ、綺麗なキリンさんだね。」

「そうなの?」


女の子が少し赤くなった目をキラキラさせて
麒麟を見つめる。

けれど、綺麗かどうかは僕にはよく分からなかった。


「ねぇ、君にはあのキリンさんが何色に見えるの?」

女の子は次に僕の方を見つめて言った。


「何色に見えるのかな…」

僕は生まれつき、2つのものが足りなかった。

感情が大きく動かないこと、そして


「僕には色がよく分からないから、色がよく見えるようにお願いするよ。」


僕は生まれつき、色を認識することがあまり出来なかった。


きっとあの日、あの場所で僕と彼女が会ったことは偶然じゃないんだと今になって思う。

僕には色がほとんど見えなくて、感情がほとんど分からなくて

女の子にも色がほとんど見えなくて、感情がほとんど分からなくて


そんな出来すぎた話はないんだから。


そして何より、僕はあの日から、色が人の2倍ほど見えるようになった。

そして、感情を読み取ることも感じることも無くなった。


「だから、小さい頃の僕には星海の麒麟が何色に見えたか分からないんだ。」


あの日以降、僕は星海の麒麟を見れていない。

多分次に見る時は、お伽噺のように願いが叶う瞬間なんだろうと、心のどこかで思っている。


緑田さんは少し考えるような素振りをしたあと、おもむろに立ち上がり、身支度を整えだした。


「じゃあ今から見に行きましょう。麒麟を。」

「え?」

先に向かってますね、と言って緑田さんは店を出ていった。

その行動はどこか前もって決まっていたかのように迷いなく、取り残された僕は仕方なしに身支度を整えて、店を出た。


店の外には既に緑田さんは居なかったので、1人で星海の麒麟がいる場所へと向かうことにした。


緑田さんは知り合った当初から、時に予測が出来ない行動をする事があった。

でもそれはいつも、誰かが幸せになる方向で、彼女の不器用な優しさが心地よかったりした。


柳色を纏った彼女は、きっと今回も僕や、他の誰かのために行動してくれたんだろう。


そして僕は星海の麒麟がいる海岸にたどり着いた。

そこに居たのは緑田さんではなく、海風に髪を靡かせ、透明な光を纏った唯真さんだった。

彼女は波打ち際の手前に座って、海を見ていた。

僕は静かに近づいて、少し離れた隣に座った。


「…香耶ちゃんに呼ばれたんですか?」

「そうだね。彼女はいないみたいだけど。」


緑田さんはきっとこの場所に唯真さんと僕を呼んで、2人にさせたんだろう。

僕達が少し気まずい雰囲気だったこともきっと知ってて、このような誘導をしたのだ。


「私…結構頑張ったんですよ?色が見えなくても仕事を手伝えるように。」

目の前に広がる海は、静かにその水面を揺らし、藍色の草原のように見える。


木も草も、1本たりとも生えていない草原を見つめ、彼女はゆっくりと話を続ける。


この半年以上続いた生活のこと、初めてこの海にきた時のこと、依頼を1人でこなしたこと、休日に2人で出かけたこと。


一つ一つ、幸せを数えるように彼女は指を折りながら話した。


「水中さんのメイクの依頼とか大変でしたよホントに!私色あんまり分からないのにメイクだなんて本当に、、」

怒ったように腕を振って力説する彼女はやっぱり綺麗で、僕はその輝きが何かが、今この瞬間に分かった気がした。


「唯真さん。僕は貴女が本当に輝いて見えるんだ。何色でもない、透明な美しい光に見えるんだ。」


彼女は話すのをやめて、じっと僕の目を見る。


「分かったんだ僕には。貴女が伝えてくれる感情が眩しすぎて、色にできなかっただけなんだって。」


単純な話で、唯真さんは感情が人よりも豊かで、心が綺麗すぎて、僕には眩しすぎただけなんだと思う。

だから僕には唯真さんが、"光"に見えた。


「僕は唯真さんの心が、眩しいくらいに世界で1番綺麗だって思うよ。」


僕の言葉を少しずつ飲み込んで、涙に変える彼女はとっても綺麗で


僕は遠い昔の、記憶と同じように彼女に声をかけた。


「ねぇ、君はなんで泣いてるの?」


僕の言葉を聞いた彼女は、ただでさえ涙を零すためにあるような、その大きな瞳を見開いて、全身で驚きを表していた。

「僕達は小さい頃に会ってたんだね。そして星海の麒麟に願い事をしてた。」


少し前から、もしかして小さい頃一緒に願い事をした少女は唯真さんじゃないかと思っていた。

しかし、こんな奇跡は存在できないだろうと決め付けていた。


でも、もし星海の麒麟がお伽噺で終わらなくて、本当に願いを叶えてくれる存在なら

僕はもう一度、麒麟に会いたいと思った。


「…不思議ですね。」

彼女は1文字1文字に思い出を塗るように話す。


「小さい頃、綺凛さんに会えて、私は救われたと思います。」

唯真さんは目元を袖で乱雑に拭って立ち上がり、小さな革靴を海で濡らした。


沈んでいく夕陽が彼女を優しく包んでいて、初めて彼女が色彩屋に来た時のことを思い出した。


「綺凛さん…私の色を探してくれませんか?」

藍色の草原から、蹄が踏み鳴らす音が聞こえた気がした。

ーー第4色  星海の麒麟ーー

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