【星海の麒麟】 2
ーー第2色 星と海を駆ける無色ーー
「色彩屋」にとって決まった営業時間は存在しない。
この店を営んでいるのが伊勢 綺凛 1人である以上、始まりの時間は大抵朝の10時頃からと決めているが
閉店時間はお客さんがいるかどうか、お店に来そうかどうか、または気分で決めている。
今日はお客さんと長く依頼の話をしていたし、早めに閉めようかと考えていた時、店を尋ねる1人の女性が居た。
薄く伸ばした斜陽を背負い、その色味の温かさすらも身に纏っている彼女は、僕に1つの依頼を持ちかけた。
「色を探して欲しい、依頼内容はお間違いないでしょうか?」
「はい、そうです。」
店内の明かりを灯し、夕陽を遮るブラインドをガラス窓の半分まで降ろす。
上半分は弱く白い光に、下半分は強い橙色に色分けされた部屋で、彼女 朝比奈 唯真は 湯気が立ち上るカップを両手で持って息をふきかけていた。
そこまで熱湯で淹れている訳じゃないから猫舌なのかな、などと余計なことを考える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【カラーボード】
朝比奈 唯真 自分の色を見つけること。
自分の色を探したい、文字通りそのままの依頼。
自分を表す色? 自分がなりたい色?
本人もまだよく分かっていないようだ。
カウンセリングを行い、手探りで進める。
なお、猫がとても好きな様子。いい人。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「この天使はなんて言う名前なんですか?」
「あ、コーンって言うんですよ」
凄まじい勢いでコーンを愛でる朝比奈さんは、無類の猫好きのようで、バックの中にチュールや猫用のおもちゃを持ち歩いてるほどだった。
コーンよ、そんな助けを求めるような目で僕を見るな、僕にはどうにも出来ない·····
明らかに撫でられ過ぎて、迷惑そうにしているコーンには、そのまま我慢してもらうとして
この依頼に対する解決策を考えなければいけない。
「コーンちゃん?コーンくん?この子、本当に綺麗な毛の色してますね〜」
「…その子はコーンくんですね」
僕はコーンを見た時のお客さんの反応をよく覚えている。
それは僕が無類の猫好きであるからだし、今までコーンを褒めた全員が、"目の色"を褒めるからである。
コーンの瞳は他では余り見ないコーンブルーフラワーという色で、初めてコーンを見る人は瞳に魅入られる。
しかし、朝比奈さんは瞳に触れずに毛の色をまず褒めたのが意外だった。
なぜなら、コーンのコーンフラワーホワイトという毛色は、普通の人にとってほぼ白にしか見えない色だからだ。
「朝比奈さんは色彩感覚が高いんですね。」
僕は小さい頃から、色に対する感覚が常人の2倍ほどある。だからこそ、同じ感覚を朝比奈さんが持ってるかもしれない、と期待してしまう。
しかし、僕の言葉を聞いた朝比奈さんの"色"は先程までの明るい向日葵色から、少し沈んだ紺瑠璃色に変わった。
そして、一瞬の間にまた明るい向日葵色に変わる。
「ほんとですか!?色の専門家に褒められるとは、私も中々ですね!」
胸を張り、ドヤ顔をしている彼女は何故か無理やり上から明るい色を塗っているようで
そのムラのある明るい色の下に、暗い深い色が見えている気がした。
しかし、僕にはそれを指摘する勇気はなくて、ただその複雑で、悲しい綺麗な色を見つめることしか出来なかった。
「私、これからどうしたらいいでしょうか?」
「…っそうですね、まずは色んな色に触れてみましょうか。」
見つめていた事に気づかれないように、慌てて多くの色が載っている表を取り出す。
「この表だけでも沢山の色があります、もっと他にもありますが、多くの色に触れるところから始めましょう。」
朝比奈さんは真剣にふんふんと頷いている。
「例えばこの表を見て、街を回ったりして、普段意識しない色を感じたり、少しずつ色を意識した生活を始めることで好きな色を見つけるといいと思います。」
「私の色を見つけるために…まずは好きな色を見つける…という事ですか?」
「そういう事ですね。もちろん、違う方法も色々試してみましょう。」
その後、日が完全に落ちる前まで朝比奈さんと依頼について話し合った。
今日はもう暗くなるからということで、また明日、相談に来ますと朝比奈さんは店を後にした。
遠くに夕日色が揺らめいてる濃藍色の空の下で、心のどこかで明日が来ることに明るい色を塗る自分に気づいた。
翌日、朝比奈さんは開店してから1時間後、だいたい11時くらいに店を訪れた。
まだ4月だが、今日は初夏並の気温になるせいか、朝比奈さんは薄手の白いカーディガンに鈴蘭のような花が描かれたワンピースを着ていた。
「伊勢さん、昨日の帰り道、そして家で、私考えたんです。」
朝比奈さんは昨日と同様、コーンを膝の上に乗せ、撫でながら真剣な目付きをしていた。
「大変、厚かましいと思うのですが」
一言一言に重みを持たせるように話す彼女につられて、何故か僕も緊張して唾をゴクリと飲み込む。
「あの…この店を手伝わせて貰えませんか!」
「…はい?」
「それは良いという返事…?」
「いや、え、ちょっと待ってください?なんでそうなったんでしょうか?」
彼女は恥ずかしさを隠すように、コーンを撫でる手つきを早める。そしてコーンの迷惑そうな表情が深まる。
「いや、あの、たくさん色に触れるといいとおっしゃったじゃないですか。それならこの店が1番じゃないかって、、あ、もちろんお給料とかはいらないので、少しの間手伝わせて貰えませんか!」
正直、僕の店は1人で経営してるのでお手伝いさんが一人いればいいなとは思っていた。
さらに正直に言えば、家事がとても嫌いなのでそれを手伝ってもらえばいいのでは?と邪な考えがよぎる。
「…分かりました。朝比奈さんにお手伝いを頼みたいと思います。ただ、働いて頂いた分の給金はちゃんとお払いします」
「ほんとですか!?やったぁ!!!」
無邪気に喜び、コーンを嫌がらせかのように撫で回す彼女を見て、家事の手伝いはやっぱりやめようと思った。
こうして、僕と朝比奈さんの色を探す生活が始まった。
朝比奈さんは専門学校の最高学年だそうで、これから1年間はほとんど学校に行かなくていい上に、就職も決まってるらしい。
時間に余裕があるという事で、店に来れる日はいつでも適当に来てもらうことにした。
そして、話し合った結果、給金はちゃんと払う代わりに、朝比奈さんには家事全般をお願いすることになった。
正直、僕は家事が苦手で何より料理が全く出来なかったので、これが一番助かってるかもしれない。
そうして朝比奈さんが店を手伝い始めて、1週間程が経つ。
その間で分かったことは、朝比奈さんは料理が本当に上手いこと、構い過ぎてコーンに嫌われつつあること、そして少し天然というかドジなとこがある事である。
何回か青色の線が入ったカップと、赤色の線が入ったカップを間違えたり、緑色のファイルと黒色のファイルを間違えたりしている。
そんな何でもない日々を過ごし、朝比奈さんが少し店の仕事に慣れ始めたころ、珍しい依頼を持ったお客さんが店を訪れた。
「お名前よろしいですか?」
「黄岡 ひろって言います。黄色に岡山の岡、ひろはひらがなです。」
「おうか、ひろ、さんですね。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カラーボード
黄岡 ひろ バイクの配色、色合いについて
昔から乗ってる大型バイクの色を変えたくなった。
よく分からないので丸投げしたい。
黄色が好きなので黄色目立つといいなぁ。
コーンのことを無理に撫でないで見守るタイプの人。コーンに好かれるタイプ。いい人。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「え、本当に丸投げで大丈夫ですか?」
「あ、もう全然!俺よくわかんないんで!勝手に乗っても大丈夫ですし、もう好きにしてやってください!」
黄岡さんは、菜の花色をムラなく塗ったような
明るく、豪快で、よく見せる笑顔が優しい人だった。
どうも彼は大型バイクで日本旅行している最中だそうで、知り合いに会っている間、バイクの色を変えようと思ったらしい。
「あのー、僕バイクの配色のセオリーとか分からないんですけど」
「俺あんまり流行りとか気にしないで、好きなバイクに乗りたいんで大丈夫です!」
「伊勢さんセンスあるので大丈夫ですよきっと〜」
「なんで朝比奈さんも丸投げに賛成なんですかね…」
こうして黄岡 ひろさんの依頼が始まった。
色彩屋の前には1台の大型バイクが停められている。
黒を基調とした重厚なフォルムに、銀色の装飾がなされている。
よく走っているのを見掛けるバイクはおおよそこの色合いだろうなと思うような、典型的な配色だった。
しかし、よく見ると色が所々磨り減ったり、禿げたりしていて年季を感じさせる。
「朝比奈さん…僕本当にバイクのこと分かんないんですけど。」
「伊勢さん…少し寒いんで、私上着取ってきていいですか?」
「僕の話聞いてました?」
彼女は誤魔化すように微笑むと、店の中へ戻っていく。
時間が経つにつれて少しずつ彼女は素を出し始め、割と自由に過ごしている。
僕としては心を開いてくれているようで良かったが、なかなか朝比奈さんの依頼の進展は見られない。
「とりあえず、図面でも描いてみましょう。」
上着ではなく、紅茶と画用紙を用意していた朝比奈さんが店の中へ手招きする。
確かに、今現物を見て考えても仕方が無いかと思い、僕も店内へ入った。
「黄岡さんは何色に見えましたか?」
朝比奈さんが淹れてくれたダージリンを飲みながら、黄岡さんのことを思い出す。
「そうですね…彼は明るい色、前向きな色、人に好かれる色、菜の花のような黄色でしょうか。」
「菜の花…黄色っと」
図面には少し歪な大型バイクが描かれており、脇の方に、色についてメモが増えていく。
「確かに黄岡さん人に好かれそうですよね〜なんか人懐っこい犬っていうか、穏やかな性格でしたね。」
「でも本当に丸投げで大丈夫なんですかね。」
「多分大丈夫ですよ!彼は、なんかこう、ドキドキというか、完成を楽しみに、依頼する事を嬉しそうにしてましたから。」
僕が見た彼の色は確かに黄色のような前向きな色だったが、なぜ彼女にはそこまで詳細に"感情"を読み取れたのだろうか。
不思議に思っていると朝比奈さんが、紅茶の飲み終わったカップを片付けながら言った。
「伊勢さん、イメージを膨らませるためにも黄岡さんの言葉に甘えてバイクに乗りませんか?」
春の風は優しくて、まるで摩擦が無いように頬を撫でる。
けれど、海の風は塩でも含んでいるのか、どこかザラザラしているようで
その風が肌に触れる度に、海に来たんだなぁと思う。
「伊勢さんはここに来たことありますか?」
朝比奈さんはほとんど海に沈みかけている夕日を見ながら言う。
「小さい頃から何度か来たことがありますよ。」
「実は私も小さい頃に1度だけ来たことがあるんです。」
あんまり覚えてないですけどね、と言いながら伸びをして、オレンジ色の光を浴びる彼女は、何故か夕陽を、真昼間の太陽を見つめているかのような、とても眩しそうに見ていた。
「バイクのこと、少しだけ分かった気がしまし
たよ。」
免許を取ってから、およそ2年ぶりぐらいに運転した大型のバイクは力強い走りで、風を切るという感覚が懐かしかった。
「私の提案は完璧でしたね。」
意地悪が成功した後のような、無邪気な笑顔を向けて、彼女は波打ち際へと歩いていく。
僕は一歩一歩、砂に沈んでいく感覚を確かめるように、もう何度か来たこの海を思い出すかのように彼女に着いていく。
夕日が落ちて、空が藍鉄色に変わっていくと、徐々に白がかった練色の星が見え始める。
この砂浜は昔からずっと明かりが少なくて、星が良く見えた。
「朝比奈さん、星海の麒麟って知ってますか?」
彼女は一瞬だけ、肩をビクッとさせ、ゆっくりと僕の方へ顔を向ける。
「僕の父が小さい頃に教えてくれたんです。星海の麒麟は与えてくれる。
この夜の海に、小さい星々が浮かんでる時はお願いしなさい。」
僕は父の声を思い出しながら、ゆっくりと話を続ける。
どこか不思議で、懐かしいお伽噺だ。
「麒麟は、今自分に足りないものを、誰かと補ってくれる。麒麟の首ほどに長い時間が経ったらまた来なさい。 その時、願いはきっと叶う。」
今まで誰にも話したことの無い、こんなお伽噺を話そうと思ったのかは自分では分からない。
直感に近い何かをもって、僕は朝比奈さんに話さなければと思った。
「星海の…麒麟…誰かと補う…願いを叶える…長い時を経て…」
朝比奈さんは僕の言った言葉を飲み込み、要約するように口にする。
「伊勢さん…私、少しだけ見えた気がします。」
朝比奈さんは星座をなぞるように、夜空を指で撫でる。
「私の色が、少しだけ見えた気がします。」
「めっっっっっっっっっちゃ!!かわかっこいいいい!!!」
小さい子が初めて見つけたガラス玉を見るように、いつか憧れた有名人を目の当たりにした時のように
黄岡さんはキラキラとした目でバイクを見る。
「ご期待に添えたみたいで良かったです。」
予想以上に喜んでもらえたみたいで、嬉しさと共に深い安心を覚える。
黄岡さんのバイクはイメージカラーである菜の花のような鮮やかな黄色をベースにして、純粋な白と、色合いを引き締めるための黒という配色にした。
「この白入れるところは朝比奈さんの案なんですよ」
色彩屋の手伝いをして貰ってから、少しずつ朝比奈さんにも仕事の事について、意見などを貰っている。
そのおかげで、自分がまだ見えてなかった色を見つけられたような発見があって、また新鮮な気持ちで仕事を行えていた。
「おぉ〜さすが夫婦でお店やってるだけあって、お互い支え合って仕事してるんですね〜」
「…ん?」
「あれ?夫婦じゃないんですか?てっきり新婚的なあれかと…」
黄岡さんは不思議な表情をして首を傾げる。
いやきっと、不思議な表情をしていたのは僕らの方であろう。
「いや、!か、彼女はお店のお手伝いをしてもらってるだけで、その夫婦とかでは!」
何故か強く胸があつくなって、過剰に反応してしまう。
きっと彼女も僕みたいな平凡なつまらない男と夫婦に思われたのは不快だろうと思う。
「あ、そうなんですか?まぁとにかく、今回はお世話になりました!なんかあったらまた来ます」
「あ、ありがとうございました。」
バイクに跨りさっそうと走り出す黄岡さんを落ち着かない頭で見送る。
「あ、中に戻りましょうか!」
静かなままだった朝比奈さんに声を掛け、表情を見る。
「はい、そうですね!」
しかし、何故か彼女の色は様々な色が混ざり、複雑な模様を作り出していて
僕にはそれがどんな"感情"なのか分からなかった。
こんな時にはいつも、ないものねだりをして無理な願いを求めてしまう。
もし、僕に人の感情がちゃんとあって、もしちゃんと人の感情を読み取れたら、と。
僕は小さい頃から、感情に対して機微が薄くなってしまう『統合失調症』を患っていた。
普段から無理に感情を作り、色で人の考えていることを判断することで、僕には感情があって、人の気持ちがわかる振りをしていた。
そして感情がないなんてもう慣れたはずで、もう何も感じないと思っていた。
でも、今だけは何故か、この色のない心が酷く痛くて
店内に戻っていく彼女の肩に手を伸ばした。
まるで感情のない心を表しているかのような、僕の灰色の瞳には
彼女の持つあまりに複雑で、美しい瞳から
透明な心が流れるのが見えた。
ーー第2色 星と海を駆ける無色ーー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?