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頑張っているのにまだ「しなきゃいけないこと」 があるなんて。息苦しかったんだ。

私は比較的、強迫観念が強めでした。

完璧主義的で、自分で自分を追い込んで、できない自分にうんざりして自己嫌悪に陥って…。
負の循環でしかありませんでした。

締め切りのあるものに関しても、ミスなどが無いように早めに終わらせる。
それは良いとしても、その自分で決めた期限を早めに設定しすぎて、自分から期限に追われに行くような感覚になったり…。

更に、ミスしてはいけない。
迷惑をかけてはいけない。

そんなことをしているとだんだんと余裕がなくなっていきます。

私の頭の中は常に「しなければならない」。

そんな「しなければならない」「ねばならない」は良く無いよねっていう自己啓発本は多いけど…
そんな簡単には考え方を外せないわけで…。

そういう考え方の癖を外すように試行錯誤していたさなか、工夫も追いつかずパンクしてしまいました。

そうなって改めて、自分の人生について考えるようになったとき、なるべく全部の自分の考え方を見直すところから始めていったのです。



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人にはそれぞれ価値観があって、それは成長の過程で刷り込まれていくものがほとんどだと思います。

そうなってくるとほとんどが親の考え、教師の考え、周りにいた大人の考えがどんどん刷り込まれていっている状態。

もちろん、そうやって人は社会での歩き方を少しづつ学んでいるんですよね。

でも、そのときに出てくるのが、自分の価値観と周りの価値観の間でズレが出てきたとき。

「あれ?おかしいな?」「どういうこと?」「違くない?」
色んな考えがで出れば出るほど、
「こういうものなんだ」「社会生活においては我慢が必要だ」
「これは私が間違えているに違いない」

そんな自分を黙らせる行為を何度も繰り返すうちに、気がつけば周りが作り上げた価値観が定着してしまっているような気もします。

特に、社会人になったり、結婚したり、親になったり、、
責任が増えれば増えるほど、自分が我慢をすれば良いんだと思うことが多くなっているように思います。

だけど、私も含めてそんな人に言いたい。

「あなたは十分頑張っているよね。だから、ちょっとくらい自分のわがままを聞いてあげてね。」と。

先日あげたつぶやき。


このつぶやきに対して、
「頑張れは無責任だけど、頑張ったねは優しさを感じます。」というコメントをいただきました。

なるほど、本当にその通りです。

そしてここで同時に考えたのが、
「私はどれだけの頑張れという言葉やその優しさを自分に与えてあげているんだろう」ということでした。

どんな価値観も間違ってはいないし、コミュニティによって変わったりもします。

そんな価値観が、自分と近い存在の人と違ったとき。
自分を疑う人が時々います。
私もその一人でした。

ですが、その価値観が出来上がるまで、私たちは頑張って人間をしているんですよね。

最初の「ねばならない」の価値観も同じ。

失敗を恐れる中で、「そうした方がいい」から段々と「しなければならない」という価値観に変わっていったように思います。

でも、本当は失敗をしたところで失うものは限られているということです。

むしろ、その失敗をしても今までの自分が頑張って稼いだお金で生きていける。
家族がいる、温かいお風呂に入れる、帰る家がある。
笑って話せる友達がいたり、今目の前にご飯があって、スマホで映像がみれて…。

私の本当の幸せについて考えてみたとき、
「あれ私ってすでに十分幸せじゃん」
「なーんだ頑張って人間してんじゃん」
そう思ったとき、何も自分が「しなければいけない」ことがこの世の全てではないんだなと。

「やらないと!自分が頑張んないと!」
よりも

「自分、めーっちゃ頑張って人間してるっ♪」

それだけで人生楽しくなっていくなと。

もちろん、仕事みたいなやるべきこともありますが、こなす必要があるタスク以外、自分で選択をしていって良いんだと思うんです。

そして、なんでも取捨選択。

自分頑張ってるんだもん。限界だってあるんだから。

辛いことを全部拾わなくても大丈夫大丈夫。
そのままのあなたらしく。

一番大切にしたい人たちを大切にしてあげて。
そのうちの一番はあなた自身よ。


最近は自分にそう声をかけられるようになりました。

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