見出し画像

原稿の「赤字」をお金で買わなきゃならない時代に

今まで一度も赤字を入れられたことがない


『書く仕事がしたい』にも書いたけれど、私は「編集者さんからの赤字は、ラブレター」だと思っていて、原稿に修正が入ると「ああ、人様のお力で、今日も私の原稿がもっと良くなってしまう。ありがたやー」と、赤字を拝んでいます。

とくに、雑誌の原稿では、いろんな人の赤字が入る。
少なくとも、担当編集者/デスク/編集長/校閲の4人が、それぞれの立場で疑問を書き出してくださったり、修正要望を出してくださったりした。
記事によっては、ここに、薬機法などのリーガルチェックをしてくれる法務担当者のコメントが入ってくることもある。

ライタークレジットは私のものだけど、私の原稿をよってたかって良くしてくださっているのは編集部の皆様方で、読みやすい原稿にしてもらった上に、原稿料までもらえる。こんなに役得(意味ちょっと違う?)はないと思っている。

赤字だらけの原稿を見るたび、私は岡本真夜さんの歌のメロディに合わせて「赤字の数だけ、上手くなれるよ」の歌詞を脳内リフレインしてきた。赤字大好物。赤字をパクパク食べて生きてきた。

しかし、「赤字」をもらうことに、恐れを持っているライターさんは多い。こちらが見てられないくらい落ち込んでしまう人も多い。そうなってしまうのは勿体無い。せっかくのフィードバック、骨までしゃぶった方が美味しいに決まってるからだ。

なので、私の講座やゼミにきてくださっている講座生のみなさんには

これからたくさん、原稿に「赤字」を入れさせていただくのだけれど、これらの「赤字」は、人格の否定ではない。こうした方が、もっと読みやすくなるな。もっと多くの人に届くのではないかな、という納品物に対する提案なので、あまり落ち込みすぎないでね。

と、最初にお伝えしている。

ゼミ2期生にもらったワイン。「赤字はラブレター」のラベルが。

ところが、です。
近年ちょっと様子が違ってきたと感じる。

最近の講座生の人たちの原稿を添削してお戻しすると、

「はじめて、こんなに原稿をしっかり読んでもらえて感激です」
「今まで、一度も赤字をもらってこなかったので、本当に勉強になりました」
「自分は『ちゃんとした原稿が書けているのか』心配だったので、厳しく見てもらって感動しています」
「講座でもらった赤字を宝物にしています」

みたいな感想を受け取ることが増えたのだ。
マジか。

ゼミにきてくれるライターさんに、「今は、赤字が欲しいと思ったら、お金で買う時代です」と言われてびっくりしたこともある。

たしかに、原稿に赤字を入れるのは、時間もかかるし体力もいる。私は普段、講座生の方たちの原稿を添削しているけれど、(この半年ログを取り続けたところ)1人あたり平均45分かかることがわかった。20人分の原稿を見るには15時間。これを講座期間中は毎週やっているのだけれど、1週間のうち、2日は添削をしていることになる。しみじみ「赤字を入れるって、本当に大変な作業だな」と思う。

私たちの時代は、媒体サイドにも、新人のライターを育てる余裕があった。業界全体で、良い書き手を育成していこうという空気があった。
しかし今では、その時間と予算を取れる媒体はどんどん少なくなっていって、とくにウェブ媒体では、「修正不要の原稿が書ける上手いライターさんにお願いする」or「編集者が問答無用で原稿を修正してアップする」のどちらかが多くなってきている。

今は、ライターになりたい人がすごく増えているけれど、この状態では、新人さんがデビューするのもままならないし、自分が書いている原稿がプロとして通用しているのかどうかを確認する手段もない。シビアな時代だと思う。

「私たちの時代はよかった」と言いたくない


ただ、「私たちの時代はよかった」「ラッキーだった」と言うだけでは、救いがないし、老害感あるなと思う。
なんとか、自分と関わってくれたライターさんたちにだけでも、私たちが受けた恩恵のようなものを、恩送りできないものかなと、ここ半年ほど考えてきた。

もっと平たく言うと、
「これから書きたい人たちが、実際に取材をして原稿を書きながら(もちろん原稿料をもらいながら)、編集者にフィードバックをもらえる仕組みを作れないかな」
と考え、さらに
「もうすでに書ける人たちには、好きなテーマを思う存分書いてもらえないかな」ということ、を考えてきた。

もうひとつ。
私の講座に来てくれた方は、100人を超えるのだけれど、本当に魅力的な原稿を書かれる方が多い。専門性を持った原稿を書く人も多いし、作家性のある原稿に感動することも何度もあった。
彼/彼女たちの原稿を、私自身がもっと読みたいと思う。でも、講座を離れてしまえば、それもなかなか叶わない。彼/彼女たちの原稿を読むことを、仕事にできないかな……。
そんなことも考えてきた。

で、ここで、わりと脳の作りが単純な私は
あ、メディアを作っちゃえばいいんじゃないかな
と、思ったわけです。

・これからライターになりたい人がデビューできる場所を
・書きたいテーマをもっている人が企画を持ち込める場所を
・by ネームでエッセイやコラムを書きたい人が書きやすい場所を

作れないかなと思いました。

そんなこんなで、さとゆみライター講座とライティングゼミの卒塾生で作るメディア、「CORECOLOR(コレカラ)」をスタートすることにしました。

このメディアを通して、もうちょっと、みんなと一緒に書くことをわちゃわちゃ楽しんでいきたいし、いろんな人の赤字をもらいながら成長していくライターという仕事を楽しんでもらえたら嬉しいなと思う。

早速、続々と仲間から企画があがってきていて、わくわくしています。

いまは、そこまで潤沢な原稿料をお支払いできていないのだけれど、いつか、きっちりマネタイズできるサイトに育つといいな(切実・どなたかアドバイスくださいませ。これを「仕事」にできるようにしたい)


「自分がいる地球」と「自分がいない地球」


私はこれまで、「自分がいる地球」と「自分がいない地球」のことを、イメージして原稿を書いてきました。
自分がいる方の地球、自分の原稿が存在する地球の方が、ちょっとだけ、あったかくて、やわらかくて楽しいといいなと思って、書いてきました。

だけど今は、自分がそんな原稿を年間100本書くよりも、100人の信頼する書き手の仲間たちがもっと書きやすくなる地球になったらいいな、と考えています。

CORECOLOR(コレカラ)が、そんな第一歩になったらいいな。

第一弾は、早坂みさとさんの企画で、「珈琲店タレーラン」シリーズを執筆する作家の岡崎琢磨さんと、宝島社編集者の下村綾子さんの対談です。

10年、ずっと部数を落とさずに書き続けられるシリーズも特異なら、新人を発掘して育てることに尽力する(売れなくてもいろんなテーマで書き続けられるように指導する)宝島社の育成も素晴らしくて。

もう一本は、塚田智恵美さんによる、山下達郎さんのコンサートレビュー。

最初読んだときに、なんて「発見」があるんだろうと感動しました。私はちえみが書く原稿が大好きで、ときどき羽が見える。こんなみずみずしいレビューを、私も書けるようになりたい。

これからも、仲間の原稿が続々上がっていく予定です。
みんなのフレッシュな原稿を、お届けできたらと思っています。
ぜひ、ご覧くださいませ。


(さとゆみライティングゼミ3期は、2023年1月スタート予定です。11月に、募集のご案内いたします)

【こんな本を書いています】



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?