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僕と苦手な虫の話

はじめに

夏が近づくにつれ、虫に関するいわれなきデマというか、不快であることを根拠に駆除される虫が増えてきたと思う。僕の方でも先日母に駆除を命じられ、害はないので拒否したのだがその時に誰もがお前と同じ感性だと思うなという趣旨のことを言われた。だが待ってほしい、僕だって害がある虫は苦手なのだなどと考えているときに思い出した話を書く。

僕には苦手な虫がいた

僕には昔、苦手な虫がいた。虫屋(虫に関する趣味を持つ人たち)にはいろいろなタイプがいて、ごく一部の種類以外に興味がない人から虫全般が好きな人から様々だが、僕は後者で、特別好きな虫はいないものの虫全般が好きというタイプだった。しかし、どうしても寄生虫の類だけは好きになれなかった。
寄生虫と言っても全部が昆虫というわけではなく、有名なアニサキスやサナダムシは虫とはついているが昆虫じゃない。ノミとマダニはひとくくりにされることもあるがノミは昆虫なのに対してマダニは昆虫じゃなかったりする。また、そのどれもが人間に害を与えるというわけではなく、特定の種類の生き物にしか寄生しなかったり、中にはセイボウの仲間のように無茶苦茶奇麗な虫もいる。(ほんとにきれいな虫なので調べてみてください画像は見つけたら貼ります)
だが、昆虫であろうとなかろうと寄生虫の類全般がだめだった。思い返してみると、寄生虫に初めて苦手意識を抱いた記憶がモンシロチョウの蛹に黄色い糸のようなものが大量に付着した末、コバエのような生き物(寄生バチ)が出てきたというものなので、ある意味当然かもしれないが、知識として人に害はないとわかっているものでもどうしても人間に寄生するんじゃないかと考えてしまい、恐怖と不快感を覚えていた。

思考の変化

だが、今もそうかと言われるとそれは違う。今でも人につくタイプの寄生虫は苦手なので、マダニ対策は徹底するし、屋外の猫を撫でてる人とか正気を疑う。南京虫など一生見たくないのでとっとと根絶されろとさえ思っている。
一方で、人間につかない寄生虫は特段好きというわけでもないが昔と違い恐怖は抱かないし面白がって観察する余裕さえある。セイボウの仲間なんかはむしろ見たくてしょうがない。
この思考の変化には私自身の成長もあるとは思うが、物事には必ず理由があると考えるようになったところが大きい。例えば、寄生虫が大量発生するのならば、その宿主も大量にいなければならない。ここで寄生虫を駆除するようなことがあっては生態系のバランスは崩れてしまうだろう。といった話で、要するに上の話でいえばモンシロチョウ視点で見てしまったのでかわいそうだと感じたし、不快感を抱いた、しかし、より全体に視点を合わせるとまた違った見え方となるという話だ。
このような話(お前の部屋にゴキブリがわくのはそこに食べ残しがあるからだみたいな話)をして、それでも不快なことに変わりはないと怒られたことは何度かある。しかし、存外変わると個人的には思うので、ぜひやってみてほしい。仮にゴキブリがどうしても不快なままでもゴキブリがわく原因そのものに目を向けることができれば効果的な対策につながるはずだ。

まとめ

「物事には必ず原因がある」という考え方と全体を見ることはわりと重要なことだと思う。
例えば最近鳥のひなを保護したという話が何件か出回っていたが、鳥の死体を食べる生き物もいるし、鳥が増えすぎればえさ不足か感染症か、どこかでつじつま合わせが来る。(それはそれとして親鳥がどうにかすることも多いのでそもそも人間がかかわるべきではないが)
環境の話だけではない。移民に対してヘイトを向ける人たちもいるが、もはや日本で今のままの生活を望むなら移民は欠かせない。安く便利な日本の暮らしを維持するために移民は招かれている。
ものごとについて考えるときにはつじつまが合う程度には視点を広く持つということは注意していきたい。



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