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啓蟄に寄せて2023

啓蟄

本日3月6日は旧暦の2月15日、啓蟄(けいちつ)です。
啓蟄とは土の中で眠っていた虫たちが目覚め、這い出てくるという意味です。この時期になると虫だけでなく虫を食べる動物や虫が好きな人たちも活動的になります。
Twitterなどでは昆虫関係の趣味を持つ人たちが自分の今年の目標を発表する日という文化が根付いているので、去年一年を振り返るとともに今年の目標を書いていこうと思います。

この一年と虫

この一年は昆虫関でもいろいろなことがありました。前々からの問題ではありますが、気候変動や環境の破壊とそれに関連するもろもろのニュース、近年の昆虫の市民権の向上の一端を担っていた俳優の不祥事、最近の昆虫食関連のもろもろの騒動。
特に昆虫食騒動はだんだんと昆虫食だけではなく虫そのものへのバッシングに発展しています。これは近年はだんだんと昆虫が市民権を得つつあると感じていたこともあって割とショッキングな出来事です。
こういった状況やバッシングの中身を見ていて感じたのは虫をはじめとする人以外の生き物ががいかになじみのないものになっているのかということです。

生産の場と食べる人の隔絶

昆虫食関連のバッシングで浮き彫りになったのは、昆虫食への忌避感だけではなく虫そのものへの忌避感と人間がいかにほかの生物から切り離された生活を送っているかでした。
家庭菜園でいいので野菜を育ててみるとわかりますが、そもそも食糧生産というのは良くも悪くも虫から切り離せません。受粉の場には昆虫がいますし農薬を使っていても虫はつきます。食料生産の場に虫由来の成分が入るなんて許せないという意見を見かけますが、現実的に不可能なのです。
食べたことのない食物への忌避感というのは生物の生存上有利に働いたと思われるのである種当然だとは思いますが、バッシングがここまで拡大した原因の一つがこのような自分が食べているものがどうして育ったかわからないほど都市部の人間がほかの生物と隔絶してしまっていることだと思います。
このような状態が生物として健全であるかということは僕にはわかりません。

虫が見えない現代人

また、昆虫そのものへのバッシングに拡大した例だと「虫なんて気持ち悪い」「見ただけで吐きそうになる」といった意見も見かけます。ただ、少なくとも私が見る限りは東京の街中であってもそれなりに虫はいるので、本当にそこまで嫌悪感を抱いているのならタワーマンション高層階に引きこもるくらいしか生きる道はありません。
一方で、私が知る限りこのような生活をしている方はそれほど多くはありません。なぜかといえば、このような方々にはおそらくそこにいる虫が見えていないからだと思います。
これは虫に対する抵抗が大きくない人たちでも言えることで、同じ場所で虫を探していても目の前にいる虫(カブトムシのような大きい虫)が見つけられないという方をよく見かけます。
自分は一応自然環境が身近にある場所で赤ん坊のころから虫好きのまま成長したのでよくわかっていませんでしたが、どうやら虫を見るためにはある程度の慣れや経験が必要なようです。

見えない隣人たちを見る

虫は生態系を支える重要なピースです。
生物多様性が重要であるということが常識になりつつありますが、このような状態で生物多様性の保全を叫んだところでうまくいくはずがありません。
前時代には虫が不衛生や不快の象徴とされていたこともあったでしょうが、時代は変わりました。一度持ってしまった不快感を捨てるということは難しいかもしれませんが、不快感と事実は分けて自分より後には引き継がないようにするべきでしょう。
なにより、自分は虫に命を救われたような人間なので彼らの魅力がわからないどころか存在すら事実上認識されていないということは大変残念に思います。
今年は、SNSでの発信や自然観察会など少しずつでも彼らが見える人を増やしていくような活動をしていきたいと思います。



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