見出し画像

ならいごとノート:十津川村で「ゆべし」を習う

ゆべしは柚をくり抜いて、味噌やクルミ、山椒を詰め込んで藁にまいて半年ほど熟成させる保存食。今でも和歌山や奈良の農山村に伝わっています。ゆべしというと、スイーツの餅が先に浮かぶ方が多いかもしれませんが、かつては武士の携行食として戦場に持って行ったという味噌の保存食。作ってみるとわかるのですが、「柚餅子」と呼ばれるのはゆず自体が餅のようにもちもちしてきます。

<ゆべしができるまで>

十津川村でゆべしづくりを習う

最寄駅からバスでゆられること3時間。
平均年齢70歳、7世帯の住民が暮らす十津川の集落へ。1泊2日、てしごとならいごとの旅にいってきました。

冬至の日にみんなでつくったゆべしを本場、十津川のおばあちゃんちで食べ比べ。そして、ほんものの味を教えていただきました。

画像1

7世帯が暮らす内野集落

家庭によって違うゆべしの味
「餅米と、鰹節と椎茸、一味、そば粉を入れるとさらさらになるし、シーチキンとかシャケの缶詰を入れてもおいしい。味噌は、赤みそだと黒っぽく、薄いみそだと、色も薄くなる。」
マグロやシーチキン??山の中なのに。

「ゆべしは家庭の味だから、どこの家も受け継がれたものに、少しづつ自分なりの材料をたして変えていくもの。生クリームを入れるところもあるのよ。」

衝撃でした。


家庭の味はどこの文献にも出ていない。
みんなで想像しながら作ったゆべしも、ある意味ちゃんとしたゆべし。
地域によって、あるいは時代によっても違って当たり前なのでした。

画像2

「昔のゆべしは、みそにそば粉くらいだったから辛かった。豊かになって家にあるものを工夫して入れるようになったのね。」


60代のおばちゃんは平均年齢70歳の村では若手だ。
ゆべしの作り方も、昔に比べて進化していっているのでした。


まず、おばあちゃんのつくったゆべしと、
わたしたちがつくったゆべしを食べ比べてみました。


柚には、品種がいろいろとあって、私たちが以前つくったのは、小さい「花柚」というのだそう。色も薄い黄色でした。
今回、おばあちゃんが準備してくれたのは、直径5、6センチのオレンジ色した柚。トゲがない柚なのだそう。

画像3

白みそでつくったゆべしは皮も黄色いまま。
熟成味噌でつくった柚餅子は黒くなる。
時間がたつと、柚子と具が一体化していくのです。
これはまだ1ケ月ですが、3か月後のものは、皮との境界がわからないほどに!

「白味噌のゆべしは、柚の色がきれいでいいね!」
おばあちゃんにとっても、発見があったようです。


作り方

材料:椎茸、餅米、一味、ごま、マグロフレーク、砂糖、味噌、けずり節、ラッカセイ

餅米や椎茸をまず粉にするところから始まりました。

材料を練り、縦に長い筒状にしていきます。
こうしておくと、柚の中に入れやすいのです。

画像4

柚をくりぬくときは、なるべく、穴が小さく目立たなくなるように切る。
蓋はかならずセットでおいておく。


そして、いよいよ、蒸し。

画像5

具は膨張するので、6分目にしておくのがコツ。

画像6

蒸しあがりのゆべし

次の日の朝、蓋がぴったり合うように、出過ぎた具を出したり、
膨らみがたりない柚に具を足したり、調節しながら整形していきます。

画像7

熊野古道を歩く

蒸している間、熊野古道の登山道入り口まで連れて行ってもらいました。
石畳の参拝道だと思っていたけど、想像以上に険しい熊野古道。
山を一つ越えるのに1日がかりです。

今回は、少し登山口から2時間、歩いてみただけでした。

画像13

ゆべし以外にも、縄を打って藁仕事をならったり、灰を炊いて灰汁を作る技術、茶粥の作り方を学んだり。

画像10

画像12

藁打ちを教えてもらっている


お庭のうこっけいは放し飼いで自然にひながかえる。一家に数軒、蜂さんのおうちが設置。蜂の家の方が人間の家よりもはるかに多い!茶粥のためのお番茶、香り米を作り続ける。

画像8

おばあちゃんのお話を聞き書き中

夕食には、鯖の熟れ鮨が出て来ました。
「魚は、熊野古道を通じて、高野山からやってきた。」

高野山から熊野をつなぐ参拝ルート、熊野古道の人と食の往来は、山村集落の食文化を豊かにしていたのですね。

画像9


お世話になった農家民宿

農家民宿「山本」
奈良県吉野郡十津川村内野198
0746-67-0076


よろしければサポートお願いします。いただいた費用は、出版準備費用として使わせていただきます。