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misaってどんな人?


初めまして、misaです!
数ある中で私のブログに辿り着いてくださり、ありがとうございます。

このブログでは、読んでくださった方の人生が生きやすくなる、楽しくなる、
自分は幸せだと、感じられるようなヒントになる情報をお伝えしたいと思っています。
とはいえ、私もまだまだ修行の身であり死ぬまで発展途上です。笑
なので、温かい目線で読んでいただけると嬉しいです。

さて、今回初めてのブログは
私misaがどんな人なのかを知って頂きたく、私の今までの人生についてご説明させてください。
40年近く生きてますのでそこそこ長くなりそうですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

【misaについて】


1984年島根県大田市に生まれました。
両親が共働きだったため同居する祖父母に厳しくも愛情たっぷりに育てられ幸せな幼少期を過ごしました。
小学生の頃からファンファーレバンド部に所属して、お友達と遊んだ記憶がほぼ無いくらい休みなく毎日練習に打ち込むようなストイック過ぎる小学生でした。
『全国大会は東京開催だから、出場できたらご褒美でディズニーランドに行ける』という言葉を信じて本気を出し(笑)全国大会で1位を取りました。


地元の海で父と2歳の私

小学・中学・高校と生徒会長や副会長を務め、全校集会などで大勢の人前でお話しすることに何の緊張も感じないような子供でした。(こう書くと、可愛げが無いですね。笑)この頃のあだ名は『会長』でした。部活や学校行事などで何かと『長』になる役割を自分から立候補していたので、人をまとめたりお世話するのが好きだったんだと思います。

高校2年生の頃、大好きだった叔父が突然亡くなったことをきっかけに看護師になろうと決意します。が、特に将来の夢が何もないチャランポラン高校生だったので担任の先生に『今の成績では無理だし間に合わない。鼻血が出るほど勉強しろ』と言われ、数学の勉強中に見事に鼻血を出し、そして見事に地元の看護学校に合格しました。


看護学生時代に学園祭でドラムを叩く20歳の私


看護学生時代は
勉強に看護実習にバイトにと忙しくも充実した日々を過ごし、20歳の頃に初海外となるアメリカとカナダへ語学留学を経験しました。
県からの補助があったとはいえ、行かせてくれた両親に心から感謝です。

無事に看護学校を卒業、国家試験・就活も合格し、広島大学病院の救命センターに配属されます。
ここでの経験は私にとって今でも忘れられない貴重な学びの連続でした。
ここで非常に運命的な同期との出会いがありますが、ここだけでめちゃくちゃ長文書けちゃうのでまたいつか。


OPE室看護師で機械出しをしているところ(左)


ERとOPE室しか経験がないので
ナース服ではなくスクラブ姿しか写真ない😂


救命センターに配属されて数年、23歳の時に
心臓の不整脈発作の手術を受けます。
そしてそこから私の人生は大きく動き出し、まるでジェットコースターのような乱高下に心も身体もボロボロになる経験を何度も繰り返します。


が、ここから始まる一見『辛かった』出来事がなければ 今の私も そして今この文章を読んでくださっているあなたにも 出会う事はできませんでした。

今現在のmisaという人間が出来るまでの
人生がドン底だった出来事、そこから這い上がった経緯やヒント・方法を次回へ書こうと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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