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地図情報サービス「カムナビ」のリリースにあたって。制作へと至る背景。サービスに込めた思い。

 初めまして。個人でWebサービスを開発をしているさとうたです。
 趣味でサービス開発を初めてかれこれ3年くらい経つのですが、今回ようやく自信(と不安)を持って発表できるようなWebサービスをリリースすることが出来ました。ここではその「カムナビ」というサービスを制作するに至った背景、その思いなどを綴っていけたらなと思っています。

まずはサービスの説明から。

カムナビとは…
地図上に思い思いの情報を追加し、場所にまつわるあらゆる事柄を共有することで、場所により深い意味を見出し、土地をより豊かに楽しむ、そんな地図情報サービスです。

と、言われてもあまりピンときませんよね。

では、具体的に何をするサービスなのか。
よりイメージしやすい言葉で言うなら…

地図上にインスタやツイッターみたいな投稿を残せるサービス

です…!

 はい。本当にそれだけです。単純ですよね?
 しかし、こんな単純な条件を満たしているようなサービスが世の中には意外と無いんですよね。
 例えば地図アプリでパッと思い浮かぶものと言えば、ご存知「Googleマップ」。
 Googleマップにもユーザーが場所に関する情報を投稿する機能はありますが、あれは決められたスポットにインフォメーション的な情報か個人のレビューを投稿するのが主な目的で、「どんな場所にどんな事でも」書いていいわけではありませんよね。
 そもそもああいう地図アプリは「ナビ」として利用するのが主な使い方だと思うので、今回僕が開発した「カムナビ」とはそもそも別物です。(その割にはサービス名にナビって付いてますが…)
 もちろん他にも「カムナビ」と似たような考えを持って運用されているサービスもいくつかあるとは思うのですが、そこはあまり詳しくは調べてません!
 要は作りたいから作ったという一言に尽きます!

 では何でこんなサービスを作り、それを世の中に発信したいと思ったのか。ここからはその動機や思い、そもそもの着想の部分をつらつらと述べていきたいと思います。


 そもそも僕がこのサービスのアイディアを思い付いたきっかけに日本史があります。
 大人になってから日本史の面白さに気付いた僕は、戦国の武将や幕末の名士に胸ときめかせるいわゆる日本史好きとは違い、日本史には書かれていない日本の歴史の方が気になって仕方がない、というちょっと変な日本史の学び方をしていました。
 どういうことかと言うと…
 多くの人がイメージする日本史というものは、本能寺の変や明治維新なんかに代表される朝廷や幕府、政府など、その時々のトップの人々が何をしたかを書いた、言ってしまえば「中央」の歴史のことだと思います。が、「中央」があればそこには当然「周辺」があるわけですよね。というか、歴史に描かれるような「中央」の人々なんてのはごくごく限られた少数の人達なのであって、その他大勢の大半の人々は歴史にすら残らない「周辺」の庶民なんです。
「なんでその他大勢である僕が中央で偉そうに威張ってた奴らの所業を頑張って学ばにゃならんのか。周辺の庶民たる僕は「周辺の歴史」をこそ学ぶべきではないのか!」
 そんな反発心もあったのもしれませんね。笑
 実際に歴史学でも、歴史観そのものを批判的に再検討するというのは、既に何年も前からおこなわれていることです。そこには地方史や民衆史などの膨大な学問的な積み重ねもありますし、文献だけでは補えない他の部分は民俗学として百年以上も前から体系化されています。
 それらの文献を僕なりにいくつか読んでいくに伴って、僕なりの考え方、仮説のようなものがだんだんと芽生えてきました。

日本という国は全国津々浦々あらゆる所に歴史がある。

 別にオリジナリティのある考え方ではないですし、ほぼ直感なので、「何でそうなのか?」とか「だから何?」とか、そういう問いに説得力のある形で答えられる自信はありません。
 ただ、なんとなくそう思い、なぜか妙に自信もあった。
 あとはこの仮説をどういう形で実証しようか、そんなことばかりを考えていました。

 そんな折にたまたま手に取ったのが「岡村の今昔」という本でした。

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 僕は横浜市の磯子区にある岡村という町で生まれ育ったのですが、この本はその岡村に住む有志の方々が集い寄付金を募って制作された郷土史の本です。
 この本には岡村という町の歴史が余すとこなく記述されていて、その内容の充実ぶりに感心すると同時に、今まで垣間見ることのなかった地元の別の側面を突き付けられたような気持ちにさせられました。
 というのも、岡村という町は別に取り立てて語るようなとこもない、郊外にあるごくごく一般的な住宅地なのです。京都や鎌倉あるいは広島なんかだったらいざ知らず、普通に岡村に暮らしていたらまず歴史を感じることなんてありません。しかしこの「岡村の今昔」という郷土史を読むことによって、変わったものなど何一つないこの生まれ育った町は、突如その様相を変化させて歴史的観光名所へと様変わりしたのです。

 僕がまず何をしたのかというと、地元を観光しました。本を手に携え、地元の名所旧跡を巡ったのです。
 高校時代、何度となく通った通学路。そこをちょっと脇にそれれば、鎌倉時代に源頼朝が創建した神社が現れる。今の今までその存在すらも意識していなかった町の歴史です。
 頼朝といえば平家を打倒し幕府を開設、中央権力を西から東へと移した張本人です。つまりはトップオブトップ、中央中の中央です。
 今まで無関係だと決め込んでいた中央の歴史は、その場所を通して僕の中に入り込んできたのです。

 そうこうするうちに、初めは思いつきに過ぎなかった考えが僕の中で徐々に確信に変わっていきました。
「岡村でさえこれだけ豊富な歴史の積み重ねを感じられるのだから、それはきっと日本中どこにいようと同じはずだ。僕が得たこの感覚を別の場所にいる他の誰かにも試してはもらえないだろうか」
 とはいえ、何か特別なことをやったわけではありません。僕がやったことといえば、ただ本を読んで地元を散歩しただけ。誰でもそれなりの知識を持って地元を練り歩けば、きっと僕が得たような感覚を味わえるはずです。
 では、地図をパッと開いたらその場所に関するあらゆる知識が得られるというのはどうだろう。
 また、そこに書かれている情報は他のユーザーによって提供されたもので、その土地に対する多様な視点をもたらすものであるといい。
 そして、自分もまたその土地から得た知見を地図上に残し、他のユーザーと共有してもらう。
 僕の考えでは、それは日本中どこにいようと誰であろうと可能なはず。日本中のあらゆる場所であらゆる人々が、自分と土地との関わりをサービスを通して地図の上に残す。しかもそれがいつでもどこでも参照可能な状態であれば、それはもう、中央に偏らない周辺の歴史、いや、本来の歴史と言えるんじゃないでしょうか?

 そんな行き過ぎた妄想に駆られた僕は、いてもたってもいられずカムナビの制作に着手し始めたというわけです。

 頭の中のイメージばかりが先行して、実際が伴ってないのが現状です。が、もし僕のこの無謀とも言える妄想にちょっとでも共感してくれる方がいたら、まずはサービスに触れてみていただきたい。その上であなたと関わりの深いその土地について綴っていただけたら、それほど嬉しいことはありません。何も仰々しい歴史の話を書けというのではありません。本当に小さな個人的なことであっても構わない。その小さな一つひとつの記録の積み重ねが、後に振り返ったときに「歴史」と呼ばれるのではないでしょうか。僕はそう確信しています。

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