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懐かしきドラマ演出部

助監督という仕事は不思議なもので。
サードをやっているときは、何が何だか分からぬまま走り回り、不条理に怒られていた毎日を送っていた。いつも誰かに謝りながら、それでも朝は元気な声で「おはようございます!」と役者を迎える。
セカンドになると、サードの動きがよく見えて「あれはやったか?」「こっちの消えものの段取りはできてるか」などと偉そうなことを言い始めるものの、衣装合わせの仕切りがグデグデだったり、衣裳香盤や扮装替えの時間などスケジュールをメイクさんたち扮装チームに怒られながら、そして痛いところを指摘されながら、役者が気持ちよく芝居に向かうのを阻止したりしてそれはそれで仕事がイヤになってみたりする。
チーフになり現場を仕切ることになり、スケジュールも切るようになるとセカンドが何を忘れてるか、サードが落ち込んで現場に来なくなるんじゃないかとかは見えるものの、数多ある役者事務所とのスケジュールのやりとりや美術転換、ロケセットの時間制限などがハマらず苦しみだす。演出家には「こんな時間じゃ撮れない」とか言われて「そんなのテメーのせいだろ」と押し返すこともできず、役者の時間や日没との戦い。マネージャーとの折衝などで胃が痛む日々。

そんなヘッポコ助監督の日々を過ごし、いよいよ演出を任されるようになると、あら不思議。あんなに憧れてた仕事が一番大変じゃねーか。クソみたいな台本を手に、役者に芝居をしてもらう。何をトチ狂ったかトラックショットやクレーンに憧れて、無理して撮ったはいいけれど、編集室で「なんじゃこりゃ」と演出のワガママだけで芝居なんてちゃんと撮れてるか危うい。せっかくいい芝居をしてくれてるのに余計なクリエイター魂が芝居の邪魔をする。こともある。
で、何本か撮ってるうちに「カントク」と呼ばれることに慣れたころ気付くのだった。ドラマってのは演出が作ってるんじゃない。すべてのスタッフ、全ての出演者がいいものを作ろうと必死で作り上げているものなんだと。それこそエキストラさんも喜んで出演してくれ、アクション指導の先生も面白くなるように考え抜いてくる。僕はただ「そのカットで何を見せるべきか」だけを考えて、そのことをみんなに伝え、作ってもらうことしかできないのよ。究極を言えば芝居は役者が一番考えてるし、技術的なことは技術スタッフが、美術はデザイナーと各担当が僕なんかよりすんげえ考えてくれている。ただ僕は何もしなくていいわけではなくて「こうしたい」と出来るだけ的確にみんなに伝えるのが仕事だ。それが伝わるとみんな燃えるし、伝わらないとハイハイとにかく撮ろうってくらいに燃えてくれない。そしてそこに気付いたころには演出も卒業することになる。何より僕はクリエイターではなくサラリーマンなのだから。

でもドラマの現場で覚えたことは無駄でもあるし、その後のプロデューサー業をする上ではとても大切なことも教えてくれた気がする。つかみどころのないことだったり、具体的なことだったりだし、まさに今自分がやってることを語るほど無粋にはなりたくない。
とはいえ思い返せば演出をしていたときよりも、助監督をしていたときのほうが楽しかったかもしれない。出来損ない演出家をほったらかして役者とカメラマンたちと自主練と称して芝居を作っちゃう。演出のカット割りをある程度守りながら、役者と話し合って進めて時間もバカスカ巻いていく感じは仕切りすぎの助監督であったけど、みんなに喜ばれたものです。

今もときどき現場を見る機会はあるが、演出に委ねてしまって、巻くのも押すのも演出次第という分業感は否めない。もっとサードもセカンドもチーフも現場を楽しんだらいいのに。どうせキツイ仕事なんだからさ。

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