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家無し宿暮らしな「新生活」-Week(?-2)

"新生活"という本記録の副題に、今更ながら違和感を覚えた。

というのも諸事情により新生活が始まる予感に満ち満ちているのだが、とはいえ家無し宿暮らしという「体(てい)」は変わらない。

もはや家無し宿暮らし以前の「旧生活」のことなんて簡単に思い出せるものではない。とはいえ「最新の旧生活」なるものは、家無し宿暮らし以後のものなのだ。そう、過去は常に古い、生き続けているだけで更新できてしまうもの、それが新生活だと定義づけよう。

だいぶ長い道のりを来てしまった(ように錯覚する)せいで、その道のりのことを思うだけで疲れてしまう。より果てしない道のりを行ってしまえば取るに足らなく感じられたり、むしろ趣のあることに思えたりするのかもしれないけれど、現状進んできた自らの行程は、ただ疲弊感をもたらすのみだ。

とにかく疲れる一年だった。

目まぐるしい環境の変化に対応するのが、予想以上に難しかった。自分のことを買い被っていた。これは猛省すべき点で、自分のことを正当に評価すべき年齢に差し掛かっている。今後成長できる余地は大いにあるのだが、早めに自分のことを正当に評価できてないと辛い未来が待っていそうである。もちろんどれだけ傍目には見窄らしくなろうと、自分のことを肯定し続けそうではあるが(自己保存というやつだ)、客観的に見てもまともでありたいと思う。それは、下記Noteでも取り上げたオジサンになりたくないという意味かもしれない。

https://note.com/satousuke/n/n6259798f393d/landing?puid=e7b8d300-a1e8-4d40-900f-83bac8198b2a

来年以降はあまり疲れないように生活をしたい。というのも文章を書く時間をしっかり確保したいからであり、それはここ半年ほどまともにできていなかったことなのだ。その時私が身を置く「新生活」が、私を温かく包んで筆を執らせるものであることを切に願う。

とはいえ、仕事に精を出すエネルギー源に、家がないという状況(?)が、しっかりと成り果ててくれた気もする。安寧とほど遠いところでのお努め。

家無し宿暮らしをして一番強く思うのは、残暑の厳しい今でさえ思うのは(これを執筆し始めたはそういう季節だった、推敲している今はもう10月が終わろうとしている)、一枚の毛布のありがたみということだ。もちろんこれはあくまで比喩であり、私が最もありがたみを感じたのは一つの寝袋だったりする。寝袋の単位ってなんだろな。一袋(いってい)、二袋(にてい)、?

10月からは次の新生活が始まる。おそらく最も文化的な「家無し宿暮らし」となることと思う。とりあえずその新生活にて吸収した文化的な側面をもってすれば、自ずと道は開けるはずだ。

つまりは新生活を更新し続けるという原則を強固なものにできるはずだ(それは退屈しないという意味ではないと思う。環境の変化は目まぐるしかったが、今年は近5年ほどで最も退屈な1年だった、もちろん友人には恵まれていた)。

来年の1月からはもちろんまた別の新生活が始まる。これは年が変わることで当然のごとくという普遍的な側面のみならず、また別の、新しい生活様式を想定しているためだ。さて、どうなることやら。

追記:編集している今、すでに10月が終わろうとしているが「家無し宿暮らし」の様相は、当初予定していたものとは異なっている。さほど文化的とはいえず、仕事に忙殺させてやっている関係もあって、五反田カプセルホテル暮らしが主である。

それにしてもTwitterを毎日更新して、それを1週間分まとめて1つの記事にするという計画は、いとも簡単に破綻した。

そうこうしているうちにTwitterがXになって、暑い暑い夏が終わって、仕事だけが上手くいっている、友人たちはいつも素晴らしい、もっと彼らを笑わせなくてはと思うが、会う時間が確実に少なくなっている。いや、これは改善できることだ、もう少しだけ待ってさえくれれば。

というのも、今年いっぱいで幡ヶ谷のバーをやめる。12月前半にはサプライズパーティが催される。私のためのサプライズパーティの存在を、私は知っている。なぜなら、企画に参加したからだ。そんな私のためのサプライズパーティを、私が、そして皆がどのように楽しんでくれるのか、本当に楽しみで仕方がない。

幡ヶ谷のバーでの勤務には、週末の時間を確固たる形で奪われていたので、その時間をいろいろな使い道に振り分けるつもりだ。応援しているラプターズの試合を見ながらビールを飲む、ラプターズ以外の試合も興味をもって見ちゃう、ビールを飲みながら。それから、過去の名試合やらラプターズが優勝した時のシーズンなんかを、まるっと振り返る、ビールが美味いだろう。うーむ、なかなか充実しそうな予感しかしない。

もちろん、本当にNBAの試合を観に行きたいと思っている。できればトロントに、トロントじゃなくても、アメリカでもいい。今海外にめちゃくちゃ行きたいというわけではないんだけれど、海外に行ったらNBAの試合を生で観戦したい。だって感動するって分かっているから。好きなものを想像を超える規模で見れたら、それは感動するから。そしてその感動するから、と予想できたことを予想しただけに満足せずちゃんと実行に移すこと、そこで体感したリアルな感動と予想上での感動の差分、これをしっかりと分析して、それを何に活かすのかは分からないけれど、絶対感動した方がいいと、分かっている。お前、そろそろ感動すべきだよって、自分が自分に言っている。

さて、感動する以外にもやることは沢山ある。毎週2日もフルの休みがあるなんて信じられない…!震えてしまう。

だって毎週簡単に京都に行けてしまう。どうしよう本当に。
毎週、京都、そば、酒、まつもと。。

さて、ツイートする習慣が失せ、しかしこうしてまた文章を書いているなら結果オーライ。バーで働く日常も去る、退屈なことも多く退屈から学んだことは数こそ少なくとも、しっかりと自らを形成する細い芯を固くはしてくれた。

これは最近ことあるごとに言い振らしていることなんだけれど、「幡ヶ谷で働くの最初の1週間でよかったな」って。

「でも1週間で辞めてたら仲良くなってなかったよ」ってそんなことは分かってるよ。てか2週目以降に出会った人たちがいなくても正直困るんだから、言葉の綾よ。

一番大切な人には1週目で出会えてたってことにさせてほしくて、その人は結婚して京都に移住して、私は彼の妻に可処分時間の奪い合い戦争を仕掛けてはいつも負けている…!まぁ正直法律を使って結び付くなんてズルだし、東京から駆け落ちしたのも卑怯である。

そんな彼の妻と大晦日に紅白歌合戦を見て有象無象の有名人たちを罵倒したの、本当にいい思い出です。

2022年の12月31日のことですか。

早ぇよ、矢かよ。


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