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最低限の暮らしの保障って…内容だけじゃ…ないよう…

 日本国民なら憲法25条があるってことになってますよね。一応。
 ただ、外傷的育ちの中で育った私はそういった当たり前の権利が当たり前に保障されないことが「当たり前」だったんですね。それって大人になってから対人関係が、とかフラッシュバックが、とか不安が、とかだけでなく、自分が主張して良い当たり前の範囲ってやつもわからなくなるわけです。
 これって大人になって発症した身体障害、精神障害だったらある程度自分という基礎ができてるけど、外傷的育ち勢には心の基礎や安全基地って仕組みがないので我ながら面倒だなって。でもね、やばいグループホームに住んではや4年半、当たり前の権利は平身低頭しなくても享受して良いものだって今更気づいたのです。これはありがとうTwitter民案件です。
 というわけで改めてお願いしたいことです。しかし安定の伝えたい人には伝えられないし伝わらないやーつ!(それでも一歩)

支援の仕事として私に関わってくれる人にお願いしたいこと
(生きていくのに最低限必要な衣食住、清潔、買い物、医療等について)

  • 日常生活が成り立っていないことを把握しつつ、無視しないでほしい

  • それらを支えてもらう時に交換条件を出されたり、
    嫌なことを言われたり、されたり、蔑まれたり、態度で出されるのもやめてほしい

  • 周りが私にさせたい行動をさせるために、しなかったら家を奪う、身体の自由を奪う等、脅すのもやめてほしい

  • 困っているという訴えを自立の一言で無視しないでほしい

  • それを相談された第三者機関も本人の言葉は信憑性がないというように軽視しないでほしい

 なんだか脅されるのには幼少期から慣れていましたし、精神的苦痛や放置は、身体的痛み・苦しみを与えられないだけましでは!なんて思っていましたが、どうも言葉で嫌なこと言われたり、「してあげない」って言われたり、実際してもらえないのもイマイチなんだなあと思えたことは楽になりました。
 そこも辛いっていうことは決してワガママじゃないんだなって。

 そして、これらは裏を返すというかもう少しはっきりした言葉で言うと以下のようになるかと。

  • 生活の保障は無条件にしてほしい

  • 職員立場の人であれば、少し言動に気を配ってほしい
    (こちらは色々な恐怖や抑圧によってどうしても立場が弱くてビビッているのだ)

  • 一度受け入れたなら、自分たちが勤務時間中ラクに相手できる人以外、体のいい言葉を並べて排除するのではなく、まずは「どうしたらできるか」考えてほしい。ウエからの選民思考やめてほしいです。

  • 何かが一人ではうまくできないからここにいるという前提は心の片隅に持っていてほしいです。私含め、皆自分でできることは懸命にやってるし、できないことを恥ずかしいとか自己否定につながるような感じにはしないでほしいです。

かわいくもかっこよくも、そして応援しても良い感じの反応ないかもしれないけど、うちらみんな必死に生きてるんだー!

よろしゅうよろしゅうm(__)m

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