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一人の人として大事にされた記憶:精神科医療編

 お久しぶりです。コロナ特例の電話診療制度が終わってしまってあれまとなり、明日なんと7か月ぶりにリアル通院を果たすさとうさです。病状が重いと病院すらいけないの、皮肉よねえ。

 さて、noteでも私の精神科医療での傷つきは何度か書いてきました。もうそれは人生において二度と取り返しのつかない何かを奪うレベルのトラウマを残すもの。
 以前、「そんなに嫌なのになんで精神科通院続けるの?」ってある人に言われて、その答えはぶっちゃけ「薬と診断書、意見書が必要だからで、メンタルケアは期待していないです。ってか期待したら辛くなります」が答えではあるんだけど、それでも良い思い出が全くないかというとそうでもなく。

 たくさん書くと疲れちゃうから今日は一つ。(一つっていうくらいだから複数あるんだよ)

 私、初入院したのが2014年の11月で、その時を機に今の主治医に変わったんですね。で、それまでの外来主治医がすごく怒る人で。何かと限界設定的なアプローチをする人で、今関わってる人はみんなさとうさにそれはあわないよねってわかってるんだけどね。
 当時、外来の看護師さんが妊娠中だったこともあり、病棟はきついからか大体同じ人がいて、主治医ともめてメンタル荒れて出てくる私を診察後いつも慰めてくれていた。
 で、入院決まって病棟で会ってしばらくして彼女は産休に入ってお別れしたんです。今日で終わりだよって時にはお手紙も書いたりしてね。

…その4年後。

 私は医療保護にて、通院先の関連病院に入院してまして。そしたらなんと!その看護師さんの姿が!それも臨床の看護師じゃなくて、通院先(大学病院)の看護学部の教員として、実習生を引き連れて。

 他の病院だし、4年のブランクがあるし、当然わかんないと思うじゃないですか。でも目があったら「さ、さとうささーん!?!?えーなんでここにー!!!」って声かけてくれて二人でおおはしゃぎして(病棟で大きい声を出してはいけません笑)
 しかも、2014年は私は大学院進学が決まっていた大学4年生、2018年は大学院卒業後、バイトもうまくいかず医療保護、隔離拘束連鎖の闇の一年でして。もう頭は暗いことしかないんですよ。
 ただね、その看護師さんからすると2014から知らないから、
「卒論書いて卒業できたんだねえ、一人暮らし成功して大学院まで卒業できたんだねえ、うんうん、すんごい頑張ったんだねえ。うれしいよお」って、私がろくに話してないのにぜーーんぶ私の予定されてた人生覚えててくれて、しかもポジティブな部分ピックアップして褒めまくってくれて、二人で泣いた(笑)

 通院先の大学病院って、私が通ってはいけない、患者層が明らかに違うような落ち着いた病院なんですよ。だから悪目立ちしちゃうし、記憶に残っちゃう患者ではある自覚はある(;^ω^)
 それでもさ、たっくさんいる患者の中で、しかも産休育休入っても記憶の片隅にいて覚えててくれたことってめっちゃ嬉しい。

 「距離感」「線引き」なんて言葉が騒がれすぎて、患者利用者として、恐々と職員は「所詮赤の他人」って気持ちは常にある。けど、喜怒哀楽を全力で共にし、自分の持てる力や時間を惜しまず共にしてくれた経験や体験ってのはこちらには伝わるし、一生忘れられない宝物になるし、人生の糧となる。そしていざという時の錨にすらなりえる。そして逆も然り。
 一人の患者、ではなく、一人の人として大事にされている。それがどれだけ尊いことか。

ということを書きたかった朝でした。

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