結局割を食うのは私たち
こんにちは。さとうさです。
部屋では電気毛布をつけつつ、外では半袖を着ています。これは体のどこがバグってるんですかね。
さて、ちょっと今日は覚書というか殴り書きというかXだと長い内容だったのでこちらでってくらいの軽いノリで書いてます。ただね、内容は別に軽くない。
私が営利弱者ビジネス(ただビジネスとして成立しうるほどビジネスでもない)の障害者グループホームに常日頃キレてるのはこのnoteをご覧いただいている方ならご存知の通りかと。ただ今日はちょっと違う視点から。
私が住む横浜って超リッチな土地から日本三大ドヤ街までグラデーションの激しい街なんですよ。まあグラデーションっていいつつ土地としては結構ぱしーんって境界線があったりするんだけど。それは置いておいて。
GHの設置に関しても、私が住んでる所はなんだかみんな訳ありな感じでごみのルールとかも雑でもとやかくいう人もいないし、夜になるとコンビニに暴走族もいる。その分?GHに対して何か言う人もいない。
けどね、市内でもリッチなエリアでは「子どもの安全がー」「土地の価値がー」っていうところがあるわけですよ。以下の記事にも書いたけどね。
でね、ここで色んな主張に出会うわけですよ。
GHを建てるのに地域住民の許可はいらない。地域住民に反対の権利はない
住んで問題ないって実績作って理解を進めていくことが精神障害者の地域移行の社会づくりにつながっていく
積極的に出ていかなければ何も変わらない
その通りなんだと思う。だけどね、利用者が住んでからも軋轢があるっぽいんだよ。そうすると思うのは
うちら一度きりの人生、しかもあがきながら生きているこの人生を病気や自身の障害の苦労だけじゃなくて社会開発のプロセスとして、余計な苦労を上乗せされるのは大分嫌なんよね…
これソーシャルアクションとかじゃないもん。単なる苦労だもん…
自分が良い暮らしする努力したい。精神障害者の地域移行の社会づくり(にも包括的な)の変化のプロセスのために一度きりの人生を犠牲にされたくないよ。
って思ってまうんですよね。
当事者なしでは進まない話ではあるけど、そのつもりなくとも当事者を人質に進むような社会変革はちょっとさって思っちゃうんだな。
もちろんね、住む場所に困りつつ、仕方なく住んだ先で搾取されている人たちの権利や暮らしを守るために頑張ってくれてる支援者が多くいると知ってるけどね。
前も何かで言ったんだけども
理解できないところがあるから教えてほしい、という人達に対しては丁寧な説明が功を成しうる。
けども「納得いく説明をしろ」という人たちに対していくら丁寧な説明やかかわりをしても、「納得しない理由」を探しているだけで、最終的に【納得がいかない】と言ってしまえばおしまいなので、全くもってその努力は無駄なのである。
と思っているのです。
(それでも一縷の望みにかけて…って粘れる人は本当に尊敬するけどもね)
まあとにもかくにも。
社会とかそういう大きいのは知らん。
私と私の周りの大事な人がハッピーに暮らせればそれでいいんだ。
それに多分そういう小さい積み重ねが大事だしそれしかできない。
そう思っています。
とりあえずさ、ハッピーに生きるためにクリパだよ。まあパーティはむかないからおいしいものとプレゼントだね。サンタさんこないかな。
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