精神障害者はどこで暮らすのか:滝山病院事件のニュースを見て

ちょうどTwitterでこの記事を見た。

これに対する「患者は地域で暮らすのが良いはず」という暗黙のニュアンスにちょっと疑問を覚えたので書いてみることとした。
もちろん虐待や暴行事件はありえないことは前提だけど。

最初にことわっておくと、私はこの世の何よりも入院が嫌いである。

任意・医療保護合わせて10回くらいは入院し、隔離拘束も経験した。それがその思いにさせたのだけどそれはまた後日。
では、個人的にはなんで「病院嫌い!地域にいたい!」なのに「地域移行ばんざい!」には反対なのか?

① 地域生活の受け皿が整っていない


退院先がない、それは本当にその通りなのです。
グループホームを建てようとしたら地域から「地域の安全が」「土地の価値が」と反対される。
これをNIMBY(我が家の裏庭にはおかないで)というらしいです。この言葉を教えてくれたのも二世代ほど上の患者仲間というのがつらい。

いやいや、それは一昔前の話では?と思う人もいるでしょう。
いやいや、ここ5年以内、ハマヨコでこーんなのぼりたてて反対運動起きてるんです。

そして一人暮らしとなれば家を貸してくれない、ヘルパーさんも不足しているなど、「病院から出ていけ」といいつつ地域に暮らす場所がない、これが第一です。

② 患者側が退院に対して恐怖感がある

今でこそ入院3か月以内で退院!といった流れはあるけれど、やはり少し離れた病棟には何十年と、もう病院が暮らしの場になっている人が事実いるのです。世の中はみんなスマホをもち、交通系ICをもち、レジだってセルフレジになっている。
退院支援しましょう!外出練習しましょう!って言って、ちょっと隣駅に行くだけでこういったハードルが山ほどある。
そして刺激が統制され、イレギュラーができるだけ排除された院内とはちがって、もう刺激だらけ!いや、こりゃもう退院怖くなるって。

退院支援というと生活環境整備をしがちだけど、
「その人の時がどこから止まってるか」
って実はとても大事なのだと思います。それに年をとると新しいことって入りづらいしね…

③ 病院の安心感 > 外の世界の魅力


これは私が病棟の看護師さんに言われたことなんですが。
私は退院退院騒ぎすぎて、別病院で任意の時も「あと一回退院と言ったら医療保護にします」と脅されるぐらい(問題発言)病院が嫌いなのですが、それについて

「さとうさちゃんは、外の世界の楽しさとか魅力を知っているから退院したいって思えるんだよね。でもここに長くいて、食事もあげ前据え膳、お風呂も入るだけで洗ったりしなくていい、ルーティンで過ごしていれば安定して暮らせる。それがいいって思っちゃう人もいるんだよ」

って言われて。
なんていうかこれって「退院意欲の無さ」とか「向上心・治療意欲の無さ」って絶対いっちゃいけないやつだなって思った。
だってさ、その人たちは外の世界でうまくいかないとかしんどい思いを山ほどしてきて、今つかの間かもしれないけど安定、ひいては安心を得ているわけじゃん?

実際グループホームに入ってからも病院の方が良かった、と入院したり救護施設に行ったりしながら、退去になってしまった方もいた。
地域生活って一人時間に耐えられないといけないし、冷たい目もあるし、ちょっとしたことを自力でやらないといけない。
だから病院の閉塞感や規則に窮屈さを感じなければ、ある意味居心地が良いと思う人もいるのは事実。

この文章を書いた理由は②と③について支援者の方々、ちょっとライトに考えてる部分あるかなと思ったから。
小さな手続き一つ変わってるのに対応できなかった、思ったよりバスの中がうるさかった、視線を感じた、そんな小さなことがバリアになっていく。
家とかを整えて「まずはやってみましょう!」でやってみたらむしろ悪化して二度と病院から出れなくなったような人を沢山見てきたから、Let's try!!みたいなのが怖いのである。私も含め。

結論

医療経済的問題、社会保障費や精神障害者の自立、人権、色んな観点から地域で暮らすのが望ましいのだと思う。多分。その辺は詳しくないからわからない。
から私見で話すと。
私は責任もあるけど自由がある地域で暮らしたい!
けど、今は地域(って言い方もあれだけど)で暮らす方がみんなにとって幸せだよって言えるほど支援体制がないのは事実。だから、
地域で暮らすことは大変なこともありつつ、皆で支えあってやってくし、大丈夫だし、楽しいよ!って思えるようになってほしいな。
理想論かもだけどね。理想なくては理想に近づかないからね。


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