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精神障害者の支援の効果って?

 私の学生時代の専攻は公衆衛生学でした。なので、信頼性・妥当性の高い研究方法といったものは少しは勉強してきた(自分でできるとはいってない)つもりです。だからこんな介入をしたらこんな効果がでました!みたいな研究論文を良い意味で疑ってみて、本当にそれって効果あるの?みたいに捉える方法は少しはわかるつもりです。
 ただね、それが新しい薬の開発とか血圧を下げるとかだったらわかりやすいのです。そこまででなくても、禁煙や運動習慣でもまあわかりやすい。
 でも、精神障害者支援となると支援の効果(アウトカム)の設定がとてもとても難しいのです。なぜかって一言で言うと数値化しづらいアウトカムこそが大事なことがあるから。

 ○○できるようになる、○○の回数が増える!といったアウトカムはわかりやすい。ただね、私や私の周りの人を見てて思うのはもっと前段階に大事なことがいっぱいあるってこと。例えば…

・支援者との関係を安定的に継続する
(私はご丁寧に診断書に「支援機関と関係が切れがちで安定的な支援体制の構築が困難」と書かれるレベル)

・何かを「する」ことはどんどんできなくなっているけど、
すべきでないことをしないことは継続出来ている。
ただ、これは禁煙が継続できています!というのとちょっと違うと思っている。禁煙は「たばこを吸わない」という行動が肺疾患予防につながるからそれ自体が目標だけども、精神疾患ですべきでない行為、例えば代表的なものだと自傷行為は、辛さの処理方法としてのそれを他で置き換えられたらいいよねという類のものであるからちょっと違うかなって。
依存症は私は未知の分野なのでわからないけどまた違う文脈なのだと思います。

・自分にとっての安定する生活を見つけた人が、外から見たら変化がないように見える毎日の中で実は水中でバタバタ水かきしていることは目には見えづらい

・今まで激しい波の中にあった人が「安定している日常」を得たというのはとても尊いことだし努力の成果

そんなこんなで数字が向上するような成果がなくとも立派な成果であることはあるなあ、そして数字に表れるものを求められすぎたら逆に調子崩しちゃうこともあるよなあ、と。


 常に何かができるようになっていくことが大事、精神疾患の無い人と同じ水準の生活を目指すことが良い!というのは、本人が希望しているのでない限り、押し付けるべきでないと思う。というか押し付けないでm(__)m
(結構いるんです、そこを目指さないと怠慢、治療意欲がないって言う人)
 むしろ自分なりの安定できる生活スタイルを身に着けた人は私は本当にリスペクトする。私もそこを目指したい。

 同時に、だからと言って支援の質を評価しなくていいわけではないと思うんです。以下のように、必ずしも本人の「できるようになったこと」の数値化にこだわらないってことが大事かなと。

ドナベディアンは、医療の質は「構造(structure)」「過程(process)」「結果(outcome)」という3つの側面から評価できるとした。
構造的側面とはモノや人の配置などの物的あるいは人的資源の側面、過程的側面とは医療従事者の態度や行動の側面、結果的側面とは治療や看護の結果としての患者の健康状態やクオリティオブライフ(生存生活人生の質)の側面である。

https://www.healthliteracy.jp/yougo/agyo/iryonoshistu.html

 医療に限らずこの考え方は応用できるかなって思います。
 
 あと当たり前だけれど、その人個人のストーリー、ナラティブとして捉えられたらいいというか捉えてほしいなあっていつも思っています。
 
 本人がどんな経験をしてきて、これからどんな人生を歩みたいのか。どんな人生を歩みたいかに正解不正解はないし、その善し悪しを他人が判断するのはとてもナンセンスだなと思います。
 なんていうか、支援者側の成果にとらわれず、本人のハッピーがどこにあるか、それをベースにやってくれたら嬉しいなと思う今日この頃でした。


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