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【3分ショートショート】趣味

「趣味って酷くないか」つくねの串を振りまわしながら、神宮路が喚いた。
「やめろ」ぼくは背を反らせて身をかわした。「たれが飛ぶ」
 ここは「叶屋」。カウンター席だけの、うらぶれた小料理屋だ。
「ああそうですよ、楽しくやってますよ。だからって遊びじゃないっつうの」神宮路はつくねを一口で頬張ると、串を串入れに投げつけた。が、酔った手元は当然のよう狂い、串は縁に当たってくるくると空中に漂いだす。
「荒れてるねぇ」ミカちゃんがカウンターの奥から素早く腕を伸ばして、器用に串を捕まえた。「なにかあった?」
「戻って家業を継げって、いわれたらしくてさ」ぼくが肩をすくめてみせると、ミカちゃんは「ああ」と頷いた。
「楽しんでちゃいけないんですかっ、てんだ」神宮路はまるまっちい手で涙滴型の猪口を握ると、ぐいっと呷った。だが「叶屋」があるのは、宇宙エレベーターの静止軌道ステーション。当然、無重力だ。酒は猪口に張りついたまま、流れてはこない。神宮路は悪態をつきながら口から迎えにいき、ずずずっと啜った。「研究ぅつうのは元来、楽しいもんだろが」
「さぁな。ぼくは、苦しいことのほうが多いかな」酒パックから絞りだした酒で、空になった猪口をなみなみと満たしてやる。「それに、楽しいってより、面白いって感覚だな」
「んなことぁ、どうだっていいんだよ!」神宮路は猪口を振りあげた。酒はたぷたぷと暴れたが、すんでのところで飛び散らず、かわりに神宮路の手を濡らした。「好きなことしてるのは、仕事じゃないんですかっつうの」
「あたしはお仕事、楽しんでるかな」ミカちゃんは新しいおしぼりを広げて、神宮路の前に浮かせた。「このお店は趣味だけど」
「プライドの問題ですよ」神宮路はおしぼりで手を拭いながら呟いた。「こちとら人生賭けてるんすよ。甘っちょろい趣味なんかと一緒にされちゃあ、たまらんのですよ」
「失礼だが」突然、カウンターの端から客がいった。「趣味の真髄をご存じないようだ」
「なんだって」神宮路が睨む。
 男は山高帽を持ちあげて会釈した。「いや、お話しが耳に入ってしまったものですから」
「おれがなにを、ご存じないだって」
「趣味の真髄は苦しみです」男は猪口をひと啜りしてつづけた。「決して楽しみなどではない。依頼されたわけでも、報酬があるわけでもない。にもかかわらず、進んで苦しみを引き受ける。これが趣味というものです」
 神宮路はふんと鼻息を荒げた。「そんな物好きいるか――」
「あなたは」男は神宮路を遮った。「趣味をお持ちですか」
「……い、いや」
「わたしの趣味は、こうして路地裏を訪ねながら、出会った方々にご趣味を見つけて差しあげることです」男は口角を上げた。「そうだ、あなたもおひとついかがですか」足元の鞄をごそごそかき回し、いまにも動きだしそうな小鳥を取りだした。「たとえばバードカービングなど、いかがでしょう。木片から鳥を彫りだす、奥深い趣味です」
「そんなことしてなんの意味がある。鳥の彫刻が欲しいなら、モデリングして3Dプリントすりゃ済むだろ」
 男は深くため息をついた。「苦しみがなければ趣味ではないと申しあげたはずです。丹精を込める時間こそが尊いのです」手の中の小鳥を愛おしそうにさする。「なんでも、一彫り一彫り魂を込めて刻んでいくと、終いには羽ばたいて手元から飛び去るとか」
「そんなわけ――」
「ところがです」男は神宮路に取りあわず、つづけた。「趣味の道は、究めるわけにはいかないのです。趣味とは専門家ではない者の営み。道を求めるあまり、熟練してはいけない。趣味で目指すべきは、破滅です」
「……はあ?」
「身を持ち崩すことが、趣味人としての矜持。財産を食い潰し、家庭を壊し、人生を棒に振る。それこそが趣味の絶頂。趣味人は日々、その高みを目指して精進しているのです」
「気に入ったわ!」ミカちゃんがカウンターから身を乗りだした。「あなたのその趣味、うちで活かしてみない?」
「ここで、でしょうか」男が訊きかえす。
「さっきもいったでしょ、このお店は趣味よ。お仕事っていうか、ビジネスは宇宙関係なんだけど、宇宙では暇を持て余してる人がたくさんいて、困ってるの。面倒見てもらえると嬉しいんだけど、どお?」
「なるほど、魅力的なお申し出ですね」男は猪口をちびりと舐めてから、おもむろにいった。「ですが、やめておきましょう。身を持ち崩そうにも、重力がないのでは崩れようがありませんから」

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